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きらきらと辺りを照らす朝日を一身に受けて、小鳥たちが空を飛んでいる。一羽の小鳥が樹の枝に止まった。朝食を終えたのか、ちゅんちゅんとご満悦そうにさえずっている。その小鳥の目の前に大きなガラス窓があった。光を受け入れることを拒むように、内側のカーテンは閉め切られていた。だが閉め方が雑だったようだ。カーテンの隙間から白衣の男の背中がちらちらと覗くのを、小さな野生の眼は見逃さなかった。
今が何時だかわからないが、天井に近いところに取り付けられた明り取りから見える外の色は、紺から白にすっかりと変わっていた。近くの樹に止まっているのだろう、小鳥の鳴き声が絶えず聞こえてくる。
だが小鳥なんぞどうでもいい。俺はただひたすら、透明な飼育かごの中の、一匹のマウスに視線を注いでいた。マウスは狭いかごの中をせわしなく走り回っている。飼育かごの横に設置したタイマーを見ると、計測時間は48時間を超えていた。俺は体の奥底から震えが湧き立ってくるのを抑えられなかった。
「できた……。できたぞおおおおっ!」
天井を見上げ、思わず大声で叫んだ。こんなに声を張り上げたのは久しぶりで、叫び終わった後にむせてしまった。そのせいで早朝の来訪者に気がつかなかった。背を屈めながらせき込んでいると、視界に見慣れた女性もののスニーカーが入り込んできてようやく助手が来ていたことに気が付いたのだ。
「おお、君か。早いな、もっとゆっくりでいいのに」
背を屈めたまま、彼女にあいさつ代わりの労いの言葉をかけた。研究が大詰めを迎える中、連日遅くまで研究室に残っていたせいですっかり体調を崩していたため、自分も残ると言ってきかない彼女を昨夜は早く帰らせたのだ。目の下のくまはおしゃれな眼鏡で誤魔化しきれないくらいに濃く、大きかったが、昨夜はよく眠ったのだろう、疲労の色はいくぶん薄まっていた。
「おはようございます。博士、今の大声は、もしかして」
ここのところ死んだようだった彼女の眼が、何かを期待してお日様みたいに輝いていた。その期待に応えられる。俺は自信たっぷりに飼育かごのマウスを指さした。
「このマウスを見てくれ。もう丸二日間、起きたままだ」
「おめでとうございます!ついに完成したんですね――”絶対不眠薬”が」
「ああ。睡眠を取らずに生命活動を続けられる!人類は睡眠という枷からようやく解放されるんだ」
「偉業、ですね。さっそく論文にまとめましょう」
「そうだな。だが眠くて仕方がない」
彼女の言うとおりだ。早く全世界に向けて発表したくてたまらない。現代人が一日のうちにやるべきこと、やりたいことはここ十数年で劇的に増えているというのに、24時間の内の何割かは睡眠に取られ、一切の活動の停止を余儀なくされている。睡眠時間を減らすことができれば、人類の可能性はもっと広がるはずだ。俺が成し遂げたのはそういう仕事なんだ。
だが、はやる気持ちと裏腹に睡魔が鎌首をもたげ、まぶたがのしかかってくるかのように急速に重たくなった。衝動的に横になりたいと思ったが、これほどの偉業を放って眠りこけたくもない。
そうだ、早速この薬を服用してみよう。自分自身で臨床実験を行うのだ。俺はできたばかりの”絶対不眠薬”の入った小瓶に手を伸ばし――そこで意識が途切れた。倒れる途中、マウスのぎらぎらとした目と視線を交わした気がした。
「きゃあっ、博士!?」
助手は甲高い悲鳴を上げた。無理がたたって倒れてしまったのだろう。ひょっとしたら何か重病を発症したのかも――。彼女は慌てて博士を抱え起こそうとした。そんな彼女の耳に聞こえたのは、緊迫した事態にそぐわぬ安らかな吐息だった。
要するに、博士は寝落ちしてしまったのである。助手はほっとため息をつくと、彼の身体を何とか近くのソファまで引きずって横たえた。
「おやすみなさい、博士」
この薬は人々の暮らしを劇的に変える。だがそれでも、睡眠は疲労困憊に対する特効薬であり続けるだろう。そんなことを考えながら、助手は自分の白衣を脱ぎ、毛布代わりに博士にかけたのだった。
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