1.午前五時の聖母

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1.午前五時の聖母

「ふゆちゃん」  暗闇から声をかけられて、永野ふゆは驚き飛び上がった。ぱちんとスイッチの音がして明るくなる。廊下の向こうに立っているのは、同居人の真砂になだ。眠そうな目を擦りながら、ぽてぽてと歩いてくる。 「朝帰りだね」 「……ごめん」 「いいよ、誰と遊んできたの?」  真砂はいじわるな笑みを浮かべた。だが正直言って、今の永野には真砂の相手をする体力が残っていない。 「違うよ。残業……」 「残業代は?」 「つかない」 「浮気デートの方がましじゃん」  むう、と真砂の頬が膨れる。そうして、今にも倒れそうな永野に容赦なく抱きつく……本人は支えているつもりらしい。 「はーあ。女盛りをすり減らしてまでする労働に価値はあるの?」 「なくはない、と思ってやってる」 「責任感つよつよだねえ」  真砂の手が永野の髪を、犬にするかのように撫でる。 「ま、お泊まりせずに帰ってきただけ偉いかあ」 「そうだよ……そうだよね!?」  永野は力強く、真砂を抱き締め返した。 「あー、にな。なぐさめて」 「はーいよしよーし」  限界を迎えたらしい永野の背を抱いて、真砂は慈母のような笑みを浮かべながら言った。 「ねえ、もっと『なぐさめてほしい』?」 「は……?」  真砂の吐息に、熱いものが混じったのがわかった。永野は疲れ果てたはずの身体に火が灯るのを感じて、そんな自分を恥じ入った。
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