伸びる

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『───で、おやすみ。って言って、それで…』  そこで音声はプツという音を立てて静かになった。  耳を澄ますと「サー」というホワイトノイズが聞こえる。  突然、ガチャリとラジカセが鳴ると、今度こそ本当に静かになった。  二階の六畳間で、向かい合うように座っていた正志と茂道は、そのままラジカセをしばらく見つめていた。 「ほら、やっぱりこんなもんじゃないっすか」  ふてくされたように茂道が言った。 「まあでも、興味深いよ」  あごに手を当てて、わざとらしく考えたフリをしながら正志は目を細めている。そんな様子をじーっと見つめていたが、やがて茂道は脱力してゴロンと畳の上に寝転んだ。  相変わらず考えるフリをしていた正志がチラリとそっちを見ると、大の字になったまま目だけで茂道が睨んでいる。 「なに」 「なにじゃないでしょ、おれの言ったとおりじゃないっすか」 「言ったとおりっていうか、まあまあ、ねえ。そう捉えることもできるかもしれないけど」 「いや、それ以外に無いっすよ。やっぱり二千円無駄になった、あーあ、腹減ったなあ」  茂道は飲みかけのコーラを一気に飲み干して、これみよがしに正志の目の前にトンと置いた。 「いやだってさ、あんなとこにあったテープだよ? なにかあると思うじゃん」 「なにも無かったじゃん」 「結果的にそうなったけど、もしかしたらって思ったのよ」 「もしかしたらで中古のラジカセ買わせないでくださいよ。絶対すき家で豪遊した方がよかったっすよ」  プシュっと音をたてて、茂道は二本目のコーラを飲んだ。外は徐々に白み始めていた───。  大学二回生の夏、茂道は学校に通っている理由を忘れかけていた。いや、もとよりそんなものは無かったのかもしれない。なんとなく就職が嫌で入った大学だった。  都会と言うにはそれほど栄えてなく、かといえそれほど田舎でもない。田舎都市とでも形容するのが妥当かもしれない。そんな街にある大学だったので、他の学生たちも同じようなものだった。  頭を染め、今どきの服装に身を包んではいるが、どこか虚しさを感じさせる雰囲気があった。一回目の夏休みが過ぎまた春が来る頃、同期の半分以上は見なくなった。それでも通い続けている自分はまだマシか、そんな風に思っていたが、逃げで入った大学は全く楽しくなかった。  単位のために受ける授業と生活費のために働くバイト以外は特に予定もなく、大学生らしい青い生活も程遠かった。ただ、とにかく毎日が過ぎていった。  ある日、キャンパスのベンチに座って休んでいると、通路を挟んだ反対側のベンチに無の男がいた。覇気も無いが無気力でも無い。ただただ「無」の表情で男が座っている。坊主頭が少し伸びた髪型で、Tシャツにジーンズとスニーカー。整っているようで散らかっている、なんとも言い難い顔だ。もしあの人物を尋ねる人がいたら特徴が無くて困るだろうな、そんなことを思うほどだった。  茂道しばらくその男を観察していたが、男は一切動かない。傍らにリュックを置き、ただベンチに座って虚空を見つめていた。ひょっとしたらまばたきもしてないのでは、と感じてしまうほどの虚空だった。  結局、日が落ちて茂道が帰宅するまで男は無だった。  翌日も男はいた。その翌日も、翌週も。男はずっとそこにいて、ずっと無だった。  あれは自分にしか見えないもので、大学に住み着く地縛霊の類いかもしれない。そう思ったが、掃除のおばさんとは普通に会話をしていたので、どうやら人間らしい。それ以外が無だった。ときおり、ハッとした表情を一瞬見せるがすぐまた無に戻った。  退屈な毎日に突然あらわれた男、いったいこいつはなんだ。茂道は自分でも気づかぬうちに毎日少しずつ男との距離を詰めていった。  そしてひと月も経つ頃、そのベンチには無の男と無の男を隣で見つめる男がいた。はたから見ればこんなことはおかしいかもしれない。しかし、そのおかしさを超越するほどに、茂道の意識は無に引っ張られた。  こいつの見つめる虚空には何があるんだろうか、自分には見えない未知のものがこの男の目だけには映るというのか。  いや、虚空を見つめるというよりも虚空が男を見つめているのだ。  きっとそうに違いない、茂道は確信を得てガリガリ君ソーダ味を頬張った。  意を決して男に話しかけることにした。 「毎日何をしているんです?」  男は無から有というべきこちらの世界に意識を戻し、茂道に視線を向けると黙って一枚の紙を取り出した。 「UFO研究会サークル 部員大募集中!!(今ならすぐに副部長!)」    そうして知り合ったのが正志だった。  正志は単位をたったひとつ逃したせいで卒業できなかった。そのため受ける授業が極端に少ない。しかも友達は全員卒業してしまったので、本当に暇だった。それは心を無にしておかなければならないほど、それはもう苦痛に感じるほど暇だった。  仕送りだけで生きていくという確固たる信念のもと、決してバイトはしなかった。仕送りのほとんどは家賃と車のガソリン代に消えた。残ったお金で食べる食事は寂しいものがあったが、バイトをするよりはと思い我慢できた。  ただ自宅にいるのも暇だったので、好きだったUFOの研究をするサークルを立ち上げようと思った。サークルの部長になり、あわよくば後輩部員にメシをたかろうと考えたからだ。  しかし、まったく部員は集まらず、結局学校から公認をもらうことができなかった。正志はしかたなく非公認サークルとして、暇つぶしとして、ひとりでベンチに座ってUFOを探していたのだった。 「活動って他には何かしてたんですか?」  茂道が部員募集の紙を読みながら聞いた。 「UFOを呼んだりしてたよね。心の中で念じて」 「はあ…。で、UFOは来たんですか?」 「まあ、もう少しかな」 「なるほど」  ───茂道はこうして、UFO研究会サークルの副部長になった。  部員が増えたことで、活動もより活発になった。  茂道のアドバイスもあり、UFOを探す範囲を大学外にも向けてみることにした。  近隣の怪しそうな森や山に目星をつけ、正志の車で現場へと向かった。しかし、やることといえば相変わらずで、椅子に座り空にUFOが現れるのを待つばかりだった。  オカルト雑誌で「高度15000mに未確認飛行物体?」という記事を見つけたとき、肉眼では厳しいということで双眼鏡を買った。それにともない、夜間の活動もするようになった。  山間部にある開けた場所に陣取り、火を焚いた。三脚に双眼鏡を装着し、空を監視する。その合間に、持参したカップめんやビールを楽しむ。その割合が、最初は8:2、そのうち6:4、最終的には1:9というただのキャンプサークルと化した。  ふたりだけの非公認キャンプサークル。もはや何がしたいのか分からなかったが、楽しければそれでいい。大学生の楽しいに理由はいらない。これが真っ当な大学生活だ、ふたりはそう信じて疑うことは無かった。最低限の食材と安酒、たまにUFO観察。今まで空っぽだった自分が満たされていくような、そんな気がした。  ───とあるキャンプ場からの帰り道、オカルト雑誌を呼んでいた茂道が言った。 「この先に、有名な廃墟があるそうですよ」  ちょうど季節も寒くなりはじめ、安い装備でのキャンプに限界を感じていた正志は目を輝かせた。 「廃墟って?」 「なんか、宇宙人に一家皆殺しにされたっていう」 「宇宙人? レプティリアンか」 「これだけ凶暴となると、おそらく」 「調査する必要があるな、茂道隊員」 「ですね、ボス」  宇宙人が絡んでいるということは、もしかするとUFOの何かしらがあるかもしれない。レプティリアンについてはあまり知らなかったが、ふたりはこの非公認サークルを立ち上げた当初の気持ちを思い出し、高揚感を感じていた。    国道から横に一本入り、少しだけ進むとアスファルトから砂利道に変わる。その辺りから茂った木々が空を隠し、トンネルのようになっていた。すごい道だなと見とれていると、突然開けてそこに一軒家があった。  瓦屋根の平屋で、雑草が生い茂り敷地との境目がわからない。しかし、たまに人が来るのだろうか玄関まで草が踏み分けられてる跡がある。雨戸がぴったりと閉まっており、中の様子はわからない。もしかしたら玄関も鍵が閉まっているのではないかと思ったが、ドアノブに手をかけるとあっさり開いた。 「雑誌にのるほど有名なら逆に管理が厳しくなりそうなものだけどな」  玄関扉を少しだけ開けたまま、正志が振り返って言った。 「有名だからこそ、鍵かけても無駄だと思ったとか?」 「あえて人を入れようとしているのかも…」 「いや怖いっすよ…」  丁番が錆びついているのだろう、扉を引くとギィーっと嫌な音がした。恐る恐る中を覗くと、そこは異様な室内の造りになっていた。柱はあるが壁が無く、床は全てフローリングになっていた。反対側にガスコンロと流し台があるだけで、トイレも風呂もない。およそ家族が暮らしていたとは思えないほど、生活感が皆無だった。何かの道場のようにも見えたが「家族が暮らしてたんでしょ?」正志が聞くと、茂道が黙ってうなずいた。全体的に埃っぽかったが、玄関から中央に向かって等間隔で埃が薄れているところがあり、それが足跡だと気づくのに数秒かかった。 「結構人が来てると思ったけど、その割には…」 「足跡が少ないすね」  表の草の踏み分け具合から見てもっと多くの足跡があっても良いはずだが、どう見ても一人分の足跡しかなかった。 「それになんか広くない? 外から見た感じコンビニくらいだと思ったんだけど、なんか、なんかさぁ」 「壁が無くて仕切られてないからじゃないすか?」 「それにさぁ、足跡も変だよ」  言って正志は、足跡の横を歩きながら続けた。 「この足跡、そこの真ん中で終わってるんだよ。変じゃない?」 「何がですか?」 「いや、そこで足跡終わってるんだよ?」 「え?」 「戻ってきた足跡が無いじゃん」  成道は「あ」と気づいた。  一応、天井を見上げてみたがもちろん何も無い。玄関から部屋の真ん中まで足跡をつけた人物が、そこで突然消えるイメージが浮かんだ。  ふたりとも足跡が消えた理由をあれこれ考えていたが、それっぽい答えは見つからなかった。どちらともなく「帰ろう」と言って踵を返した。  玄関から出る。  外から見ると、やはりコンビニ程度の大きさしか無い。  もう一度確かめてみようと、正志はドアノブに手をかけようとして、止めた。  今度は、ドアに鍵がかかっているような気がしてならなかった。  帰り道、ふたりはしばらく黙っていた。廃墟からだいぶ離れた場所に来るとボソボソと喋りだした。 「レプティリアン…。レプティリアンか」 「爬虫類型人間なら、ヤモリのように天井を伝って外に出ることも可能か」  正志はハンドルから片手を離し、あごを触りながら言った。 「もしかしたら、UFOが来て部屋の真ん中にいた人をさらったのかもしれないですよ。だから、足跡はあそこで終わっていた」 「建物をすり抜けるように、UFOが吸い上げたってことか」  得体の知れない恐怖から開放され、ふたりは少し興奮していた。雑誌やテレビで得たUFOの知識をめちゃくちゃにつないで、先程の足跡の理由を結論つけようとしていた。  あれこれ話しているうちに、また自然と静かになった。  そしてとある信号で停まったとき、じゃーん、といって正志がカセットテープを取り出した。  青透明のカセットで、ラベルらしきものは何もない。側面に「10」と印刷されている。 「これ何ですか?」 「さっきの場所で拾ってきた」 「え、中で?」  正志は何も言わず、ニヤリと笑った。 「あーあ、すき家食べたいな」  茂道は、半分になったコーラのペットボトルをぐるぐると揺らしている。 「分かったよ、今度マクドナルドのハンバーガー食わしてやるって」  正志は満面の笑みだが、茂道は不服そうな顔をしていた。 「それってあれでしょ、安い食パンにベーコンとケチャップ挟んで焼いただけのやつでしょ」 「完全にマクドナルドじゃん」  正志の言葉を無視して、茂道はカセットテープをもう一度再生した。 『───で、おやすみ。って言って、それで… 』───ガチャリ。 「これ結局何なんですかね」 「なんかのラジオを録音しようとしたけど、止めたとかじゃない?」 「・・・はぁーあ、やっぱりすき家食べたい」 「わーかったよ! わかった! すき家おごってやるよ!」  やけくそに立ち上がると、正志は玄関に向かった。  小さくガッツポーズをして茂道が後を追うと、靴を履いた状態で正志がぼーっと立っている。顔を覗き込むと、眉根をよせて難しい顔をしていた。 「あ、本当に厳しいならまた今度でいいすけど」 「いや、そうじゃなくて。俺んちってこんなに広かったっけ?」 「へ?」 「いや…。よし! すき家行こうぜ」  ガチャッとアパートのドアを開けて、外に出る。階段まで向かう途中、やはり難しい顔をしている正志が気になった。階段を降りながらも頭を何度かかしげている。車に乗り込み走り出すと、さらに顔が険しくなった。 「あれ、この車こんなに広かったですか?」 いつもならふたり乗るだけでぎゅうぎゅうになっていた軽自動車だが、正志と茂道の間にもう一人座れるくらいのスペースがあった。 「ああ、昨日ちょっと片付けたからかなぁ…」  そう言った正志の顔は青ざめている。 「いや、片付けてこんなに広くなりま…」  言いかけて後ろを振り向いた茂道が奇声を上げた。助手席から後部座席までの間に三メートルほどのスペースがあった。 「なんかおかしい! この車おかしいっすよ!」 「おかしくない! 絶対におかしくない!」 「いや、おかしいって!」 「全然いつも通り! あー快適だ、おれの車広くて快適だなー」 「一回降りましょう!」 「すき家行くぞー!」  しばらく押し問答をしていると、そこでまた気付いた。車で五分も走れば着くはずのすき家に、いつまでたっても到着しない。ふと外を見ると、狭い路地を走っていたはずが、いったい何車線あるのかわからないくらいの広い道路を走っていた。はるか向こうに電柱や民家が見える。 「ちょっと外、外見てください!」 「なに?」 「外ですよ、外!」 「ちょっと聞こえない、なに?」 「だから外を…」  茂道は正志の方に振り返って、また奇声を上げた。  助手席と運転席の間が、十メートルほどに広がっていた。 「おーい」 「おーい」  どんどん離れていく距離に心細くなり、もはや会話ではなく生存確認の声かけだけになっていた。  ※  ※  ※  アパートから五分で着くはずのすき家に着いたのは、出発してから二時間後のことだった。いや、おそらく二時間と言ったほうがいいのかもしれない。時間の間隔も伸びているのだろう、秒針が一秒進むのに何十分とかかっている。正志と茂道はお互いの姿はとうに見えず、車の中で孤立するという異常な状態だった。正志はいったいどこをどう通ってきたのか、自分でもわからなかった。それでもすき家の駐車場らしき場所に着いたと分かったのは、いつも車を停めているスペースに潰れた軍手が落ちていたからだ。  茂道は勝手に進む車の助手席に座ったまま二時間、まんじりともせず固まっていた。後ろを見ても真っ暗で何も見えず、窓の外を見ても道路の上にいるということ以外は全て地平線の向こうになってしまっていた。  突然、車が停まったと思ったら、ドアが開いた。びっくりして見ると、そこには正志がいた。 「どうやら着いたらしい」 「ここがすき家ですか」  車を降りる。辺りには何も見えない。ぐるっと地平線に囲まれて、はるか向こうの方まで駐車場が永遠と続いていた。  不思議なもので、あれほど広くなったはずの車は外から見ると元の軽自動車だった。しかし、窓から中を覗くと運転席は地平線の向こうだった。  もしかすると、地球の外から見ればここも普通なのかもしれない。  今、目の前は地平線しかないが、本当は目の前にすき家があるのだろう。  そう考えることにして、ふたりは歩き出そうとした。  ふと、正志が立ち止まる。 「おれ、ちょっと寝るわ」  アスファルトで横になった正志を見て、茂道は言った。 『───おやすみ』
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