幼き日の回想

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ふと気が付くと、夜が明けつつあった。 俺はいつの何か眠り込んでしまったようだった。 陽が昇り、そしてバザールの中が光で満たされ行くのに従って、周囲の喧噪(けんそう)も徐々に高まりつつあった。 そう、昨日の昼間のように。 陽は更に高く昇り、バザールの中は熱気と喧噪(けんそう)、そして様々な色彩で満たされつつあった。 けれども、それらは昨日のように、俺の心を浮き立たせることは無かった。 むしろ、昨日に感じた幸せを思い出させられることによって、俺が置かれている今の状況の惨めさを、より一層際立たせるものでしかなかった。 そして、俺は飢えと渇きとに苛まれつつあった。 昨日の昼に林檎を買い与えられて以来、俺は何も口にしていなかったのだ。 俺が座り込んでいる場所の近くにも露店が並び始めた。 どうやら、昨日と同じ店であるらしい。 露店の主達は、俺に好奇と哀れみの混じった目線を投げ掛けながら、何やらヒソヒソと話をしているようだった。 疲れ果て、飢えと渇きに苛まれつつあった俺には、そのヒソヒソ話に耳を傾ける余裕など有る訳もなかった。 けれども、遠慮も無い彼らの会話は、熱気を孕んだ微風に載せられるかのようにして、俺の耳へと忍び入ってきた。 「ほら、あの子って、  昨日からずっとこの場所に居るよ。」 「一晩中、この場所にいたのかね?」 「昨日の昼間は、たしか親と一緒だったはず。」 「あの子、  きっとこのバザールに()てられたんだよ。」 「そうかい、可哀想にねぇ。」 「時々見掛けるけどねぇ。  食い詰めた親が、  子どもをバザールに置き去りにするって。」 一瞬、何のことだか分からなかった。 自分のことが話題になっている、それを受け入れることが出来なかった。 俺の頭は、その話の内容を理解することを(かたく)なに拒んでいた。 けれども、その話が意味するところは、俺の心にジワジワと染みてくるような思いだった。 「()てられた」 その言葉は、俺が(うっす)らと抱いていた、そして無意識のうちに(つの)らせつつあった疑念に形を与えるものだったのだ。 目を逸らそうとし続けていた救いのない現実を、俺に突きつけるものだった。 残酷に、そして容赦も無く。 俺はフラリと立ち上がった。 そして、行く当てもなく歩き始めた。 「()てられた」 俺は、その言葉を、もう耳にしたくなかった。 あの場所に座り込んだままだと、その言葉がいつまでも頭の中をグルグルと巡りそうだった。 露店の人々から注がれる、慎みのない好奇の視線、無責任な哀れみの眼差しを浴び続けることに耐えらそうにもなかった。
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