分岐点

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新しい「家族」に迎え入れられて六年程が経ったある日のこと。 バザールにも店を出している顔見知りの絨毯商から、彼の下で奉公人として働かないかとの誘いを受けた。 露店での俺の働きぶりを目にし、見込みがあると考えたらしい。 ただ、その絨毯商は吝嗇(りんしょく)なことで有名だった。 他の街々にも店を構え、手広く商売を行ってはいるものの、給金の安さと酷い扱いから、奉公人がよく逃げ出してしまうと囁かれていた。 けれど、俺にとってその話は、まさに渡りに船だった。 俺が懸命に工夫を重ね、露店での売り上げを伸ばしたとしても、それは所詮、焼け石の水に過ぎず、「家族」の暮しぶりは然程変わらなかった。 むしろ、俺を抱え込んだことで、家計は苦しくなってしまっているようだった。 父親が営む果実商の商売にしても、将来的には「兄」が継ぐことになっており、また、露店にしても、そのうち「弟」が番をすることになるのだろう。 いずれ、「家族」の中から自分の居場所が失われてしまうことが、俺には分かっていた。 俺は「家族」に、絨毯商の下で働くことを告げた。 「母親」は涙ながらに俺を引き留めようとした。  そんなに急がなくていい。  お前はまだ小さい。  もう少し、この家で  皆を一緒に過ごしてもいいじゃないか、と。 「父親」も俺を引き留めた。  あの絨毯商は評判が良くない。  お前をそんな場所で働かせたくはない、と。 「兄」も、そして「弟」も俺を引き留めようとした。 けれども、俺の決意は変わらなかった。 絨毯商の店へ奉公に出る日の朝、母親は鶏肉と豆のスープを作ってくれた。 家族みんなで食卓を囲み、スープに舌鼓を打った。 つましいながらも皆で囲む食卓、その暖かな賑やかさが、俺の心にとじんわりと染み入っていくような心持ちだった。 「父親」は言った。 お前のことは本当の家族だと思っている。 だから、辛くなったら戻ってきてもいい。 時には家に遊びに来てくれ、そして、元気な顔を見せてくれ、と。 「母親」も、「兄」も、そして「弟」も涙ながらに相槌を打った。 俺は、もう十分だった。 俺は本来、あの日、あのバザールで「兄」から林檎を奪う(はず)だったのだ。 挙句、「兄」を殴り倒し、それが切掛(きっかけ)となって盗賊へと身を落とすところだったのだ。 人の命を奪うことに何の躊躇(ちゅうちょ)も抱かぬ、非道極まりない盗賊に。 そんな俺を、この「家族」は救ってくれた。 そんな生を歩むはずだったこの俺を、「家族」は優しさで包んでくれた。 元々の家族では、いくら望んでも得られなかったものを、この「家族」は与えてくれた。 だから、もう十分だった。 奉公に出た絨毯商の下で、俺は懸命に働いた。 それなりに手広く商売をやっている店だったので、彼の下に使用人は二十人ほどいたが、十二歳の小僧など、まさに使い走りの下っ端だった。 それこそ奴隷のようにこき使われた。 遊びに出る暇など無く、給金も雀の涙程度だった。 けれども、俺は懸命に働いた。 ようやく得られた僅かな給金も、「家族」に仕送りとして送った。
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