分岐点

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そうして絨毯商の下で十五年程働き続けた時のこと。 一代で財を築いたその絨毯商は不慮の事故にて急逝し、その一人息子が後を継ぐこととなった。 その一人息子は、父親ほど商売の才覚も無く、また、父親ほど商売への意欲も持ち合わせてはいなかった。 けれども、自分の身の程を弁えており、無理に背伸びをすることは無い人物でもあった。 そのため、自身の力量で営むことの出来る本拠の店だけを残し、他の街の支店については、古参の使用人達に経営を一任することとしたのだった。 それは、実質的には店を譲り渡したようなものだった。 そして、奉公人の入れ替わりが激しいその店にて古参の部類に入っていた私は、私の街の支店を任されることとなったのだ。 その支店は然程大きなものでは無かった。 けれども、私は奇遇にも一国一城の主となることが出来たのだ。 事実上の独立を果たした私は、「家族」と、何の気兼ねもなく関わることが出来るようになった。 三十歳を前にして妻を娶ることも出来た。 然程美人ではなかったが、気立てが良く、そしてしっかり者の妻だった。 妻が店の経理を一手に引き受けてくれたため、私は接客や外回りに専念できるようになり、店の経営、そして暮しぶりをより安定させることが出来た。 二人の子宝にも恵まれた。 近隣の街に商売の用で出掛けた時には土産を買い求め、妻や子ども、そして「家族」へと配りもした。 皆の喜ぶ様を目にすることは例えようも無く嬉しかった。 「兄」にも、そして「弟」にもそれぞれの家族が出来、皆と関わっていくことは幸せだった。 「父親」と「母親」が次第に年老い、体が衰え行く様を目にすることは何とも切なかった。 私も次第に歳を重ね、そして、何時しか老いていった。 店を跡継ぎの長男に譲り渡し隠居してから程無くして、私は病に倒れた。 ずっと働き詰めだったためか、働くことを止めたことで急に老け込んでしまった、そのような感じだった。 若い頃の無理の代償からか、一度病み付いて寝込んでからは、体が衰え行くのはあっという間のことだった。 短い闘病生活の果てに、私は息を引き取った。 「兄」や「弟」、妻や息子たちに囲まれながら。 皆の励ましと涙とに心を暖められながら。
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