贖罪

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支店を構えてから五年の月日が過ぎた。 ある程度の蓄財が出来たところで私は独立し、自分の店を持つこととした。 勝手知ったる街での勝手知ったる商売。 それが上手く行かない筈は無かった。 いつしか私はその街でも指折りの有力な商人となっていた。 有力な商人となってからも、私の暮しぶりは以前と何ら変わらなかった。 食事は奉公人達と変わらぬ質素なもので済ませた。 服装も体面を損なわぬ程度の華美でないものだった。 酒を嗜むことも無かった。 賭け事やらの遊びにも手を出さなかった。 また、妻も娶らなかった。 勿論、女遊びなどに縁も無かった。 普通なら、私程度の商人ならば妾の二、三人は抱えているものなのだろう。 けれども、私は一切、そのようなものには手を出さなかった。 そんな私の暮しぶりを、私の店にて最も古くから働いてくれていた番頭は、まるで修行僧のようだと時折からかってきたものだった。 また、主人である私の暮しぶりがつましいものだと、店で仕える者達も贅沢などする気にもなれず、お陰で蓄財が捗りますと、苦情とも感謝ともつかぬ言葉を彼から時折聞かされたものだった。 私は十分に満たされていた。 砂漠の中にて、空のように蒼い瞳をしたあの旅人が見せてくれた夢。 その中で味わった幸福な人生。 「家族」を得、その繋がりの中で心を暖め合った生。 それが私を支えてくれていた。 例え、それが一瞬の夢の中の出来事であったとしても、その思い出は、私にとって身に余る程の幸せをもたらしてくれていた。 それが幻であったとしても、一度満ち足りた生を送った私にとって、現実の生の意味は他の所に在ったのだ。 そして、無情にも罪無き方々の命を奪ったこの身に、贅沢など許される訳も無かったのだ。 富を蓄えた私は、ようやく私の本願に取り掛かることが出来た。 私は密かに代官所へと相談に赴いた。 資金は私が出すから孤児院を設立してもらえないか、と代官に頼み込んだ。 私が資金を出したことは内密にし、代官所が撫民(ぶみん)のために行ったことにしてくれ、とも申し述べた。 代官は私の申し出を快諾した。 街の治安を預かる代官としては、親から棄てられた子ども達が街中の至る所にたむろし、そして万引きなどを繰り返すことに常々頭を痛めていたのだ。 そんな棄てられた子ども達を収容するための施設を代官所の経費を費やすことなく設けられることは、まさに渡りに舟であったのだ。 そうして、街中にたむろする行き場のない子ども達は、日々の食事、そして安心して過ごすことができる場所を得ることが出来た。 また、商人達が交易のために行き交う街道の安全の確保についても尽力した。 街道に跳梁(ちょうりょう)する盗賊の存在、それは街々を行き来する商人たちにとって大きな悩みの種となり続けていたのだ。 荷物を奪われることはしばしばであったし、命を落とす者も少なくなかったのだ。 そのため、仲間の商人たちと共に代官所へと陳情を行い、警備の兵を増やして街道をパトロールしてもらうよう頼み込んだ。 頼み込むだけでなく、経済的な支援も惜しまなかった。 兵を雇う資金を負担もしたし、その兵に持たせるための武器や防具についても寄贈した。 パトロールに必要となるラクダも手配した。 このようにして、街の安全、そして街道の治安は次第に向上していった。 私があの砂漠にて、『光の剣』を受けてから、いつの間にか二十四年の歳月が過ぎ去っていた。 私は心に決めていた。 あの『光の剣』を受けた時、私は二十四歳だった。 それと同じだけの期間、私は生きようと決めていたのだ。 私の犯した罪を見据えながら二十四年の間、生きようと決めていた。 そして、財を蓄えて贖罪に充てよう、とも決めていた。 二十四年の間、私は夜毎にあの短剣を取り出しては、あの日のことを思い返していた。 あの日、『光の剣』を受けた後、私は死ぬことが出来なかった。 この短剣で自らの喉を刺し貫き、この穢れた命を絶つことが出来なかった。 それは、己が犯した罪に向かい合い、そして、自分なりのやり方で贖わねばならぬと思ったから。 そして、二十四年が経ったその日には、私は代官所に自首して己の罪を告白し、然るべき刑に処されようと決めていた。 人を殺めた罪人に課せられる磔刑(たっけい)に。
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