現在・その1

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身一つになった私は、ようやく代官所へと足を踏み入れる。 警衛の兵士は私に恭しくお辞儀をし、代官の部屋へと先導する。 この代官所には、ここ五年ほどの間、毎週のように顔を出してきたものだ。 この警衛の兵士とも、最早、顔なじみの間柄だ。 孤児院を設立するための密かな話し合いのために訪れたことは数知れぬし、周辺の街とを結ぶ街道の治安が悪いため、そのパトロールの実施について仲間の商人たちと一緒に何度も陳情を重ねてきた。 パトロールに関しては、陳情するだけではなく、経済的な支援も惜しまなかった。 兵を雇う資金、その兵に持たせるための武器や防具、そして、砂漠のパトロールに必要となるラクダの手配等々。 私のささやかな支援もあってか、この街周辺の治安は改善して交易も盛んとなり、この街はより一層繁栄しつつあった。 その甲斐あってか、つい先日、代官は国王からお褒めの言葉を賜ったという。 予定通りの私の来訪を知った代官は、相好を崩して私を彼の執務室へと招き入れた。 代官の年齢は四十半ば、私より幾分か若いくらいだ。 やや太り肉の体躯に豊かな頬髭を蓄えている。 代官はにこやかな笑みをその血色の良い顔に浮かべ、給仕に運ばせてきた茶をいそいそと勧めながら私に話し掛ける。 「今日は、どうなさいました?」 一瞬の躊躇の後、私は口を開く。 「お忙しいところお邪魔してしまい  申し訳ありません、代官さま。  実は・・・」 いざ、言葉にしようと思ったら、やはり口籠もってしまうものだ。 この時を二十四年の間、ずっと夢見続けてきたのだが。 訝しげな表情をその顔に浮かべながら、代官は私に尋ねる。 「『実は・・・』って、如何なさいました?  もしお困りのことがありましたら、  何でも仰って下さい。  他ならぬ貴方の為ならば、  何なりと力になりますよ。」 嗚呼、ますます話し辛くなってしまう。 この代官は、二年前にこの街へと赴任してきた。 ともすれば気難しい面のあった前任の代官と比べると、遙かに付き合いやすい人物だ。 態度は公平であり、私腹を肥やそうとする姿勢も無いため、街の商人達からの信頼も大変に篤い。 孤児院への密やかな支援の願いも快く受け入れてくれている。 そんな彼を、これから苦悩に陥れてしまうであろうことは、心苦しくてならない。 しかし、ここは、心を鬼にせねばなるまい。 私のこの二十四年間は、この時の為にあったようなものなのだから。 私は一呼吸置き、そして、一気に話す。 「代官さま、私は。  二十四年前の私は、  この街近くの街道に巣くう盗賊で御座いました。」 代官が息を呑み込むのが分かった。 私は言葉を続ける。 「盗賊だった頃の私は、  この手で多くの罪も無き方々の命を  奪ってしまいました。  私自身の身勝手な欲望のために。」 代官はその目を見開き、そして、呆然としたような表情となる。 私は伏し拝むようにして代官に語り掛ける。 「代官さま、どうか、この私をお捕え下さい。  代官さま、どうか、この私をお裁きください。  そして、罪深きこの私を、  この街の人々の前にて磔に処して下さい。  どうか、どうかお願いします。」 何時の間にか、私の目からは涙が零れ落ちていた。 何時の間にか、私の喉からは嗚咽の声が込み上げつつあった。 私は嗚咽しながら、代官に繰り返し己の罪を打ち明け、そして、裁きを求めた。 代官は黙したまま、そんな私の様を見遣っていた。 彼のその顔からは、表情が消え失せているかのように思えた。 私の言葉が冗談でも何でも無いこと、そして、私の意思が真剣そのものであることを悟ったのだろう。 暫しの沈黙の後、彼は寂しげに頷いた。 彼のその瞳は潤みを帯びているようにも見えた。 細かく震える私の肩を、彼は二、三度柔らかく叩いた。 その後、部下の筆記官を呼んだ。 そして、代官自らによる取り調べが始められた。
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