回想

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旅人は、その端正な顔には似つかわしくない、嘲るような笑みを浮かべる。 何処からとも無く声が響き渡る。 「そこのクサレ外道、そのお粗末な代物で  何をしようって言うんだ?  そんな貧乏臭いもん偉そうに振りかざして  恥ずかしくないのか?  手前の皺首で切れ味でも試してから  粋がってみやがれ、このヘタレ外道!」 俺は反射的に怒鳴り返す。 「ふざけんな、クソ餓鬼!  偉そうな口叩いてんじゃねぇ!  今すぐブッ殺してやるから  そこを動かず待っていやがれ!」 そして、旅人に向けて改めて駆け寄ろうとする。 けれど、幾ら駆け寄ろうとしても、相も変わらずその距離は一向に縮まろうとしない。 旅人の顔に浮かぶ嘲りは、その色を愈々濃くする。 「おぅおぅ、何やってんだ、そこのクサレ外道?  こちとら動かず待ってんだけどな?  早くこっち来てブッ殺してみろよ。  さっきから同じところで足踏みしてばかり  じゃねぇかよ。ビビってんのか?」 嘲りの声が空気を震わす。 俺の心を怖れに似た気持ちがじわじわと侵し始める。 こんなに走っているのに、何故、全く前に進まないんだ? 仄かに形を為し始めた怖れの気持ちを押し殺すかのように俺は叫ぶ。 「クソが!  変な手品を使ってんじゃねぇぞ!  こっち来やがれ!ブッ殺してやる!」 嘲るような旅人のその態度は相変わらずだった。 「はぁ、そっちに来いだぁ?  寝惚けてんのか、このクサレ外道が。」 罵りの声も相変わらずだ。 そして、旅人はニヤリと微笑んだ。 「で、どうするよ、そこのクサレ外道?  多分だけどな、お前、生きていること後悔するぞ。  今のうちに死んじまったほうが、  まだマシだと思うけどな。」 辺りの空気を歪ませるかのような哄笑が響き渡る。 俺の心は次第に恐怖に染まりつつあった。 幾ら旅人に近付こうとしても、その距離は一向に変わらない。 幾ら駆け寄ろうとも、俺の場所は全く変わらない。 そして、身を打ち据えるかのような大音声は、どこからともなく響いてくる。 その声は、まるで天から降り注いでいるかのようにすら思えてしまう。 最早、一種の怪異としか思えない。 片や、憤怒の念もまた急速に膨らみつつあった。 獲物の分際で、訳の分からんことをしやがって! 黙って聞いていれば、好き勝手なことばかり抜かしやがって! 「ふざけんな!死ぬのは貴様だ!」 そう叫んだ俺は、短刀を逆手に構え、そして、旅人に向けて投げ放った。 剣を投げ付けて獲物を仕留めるのは俺の得意な技の一つだ。 俺が幾ら駆けても近付けぬのは、そして、声がどこからともなく響くのは、恐らくは何かの手品の類なのだろう。 随分とまた手の込んだことをするものだ。 しかし、幾ら妖しげな手品を使うにせよ、所詮は子どもだ。 首尾良く胸元にでも命中すれば、あっさりとその身体を貫くだろう。 旅人の口から迸り出るであろう断末魔の声を思い浮かべ、俺は内心にてほくそ笑む。 しかし、旅人の胸元目掛けてまっしぐらに飛んでいくはずの短刀は、気が付けば俺の足下に転がっていた。 俺は慌てて短刀を拾い上げ、再び旅人目掛けて投げ付けようとする。 けれども、力を込めて短刀を投げ付けようとしたその瞬間、腕や肩、そして短刀を握る掌の力が急に抜けてしまい、短刀をポロリと取り落としてしまうのだ。 何度繰り返そうとも、投げ放とうとするその度に腕の力は何故か抜けてしまい、短刀は虚しく俺の足下にて「カラン」という乾いた金属音を響かせるばかりだった。 「どうした、気は済んだか?」 嘲りの声が俺を包み込む。 俺は最早、恐怖しか感じていなかった。 歯の根が細かく震え始めていた。 冷や汗が滴り落ちつつあった。 俺は、何かとんでもないものに出くわしてしまったのではないだろうか。 深々とした恐怖の念に俺の心は染め上げられつつあった。
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