おやすみテレフォン

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娘は大学進学で家を出たきり、一度も帰ってこない。お盆も、お正月も。 いなくなって初めて気づいたのだ、と彼は語る。 「僕は娘に父親らしいことなど一つもしてこなかった」 娘にとって帰ってきたくなるような家ではなかったんでしょうね、と悲しげに笑う。 「僕も妻も僕の父親…娘にとっての祖父に言いなりでね…。僕の父は確かに偉い人だったんです。会社を立ち上げ、一代で富を築き、家も建てた。でも歳を取ってもそのままだったんです。いつまで経っても自分が一番偉いと思っている」 言葉の端に怒りが滲む。父が祖父をそんな風に思っているだなんて、私は知らなかった。 少なくとも私の見てきた父は、祖父の言うことに否定もせず、ただ従っていた人間だった。 「昔は僕も反発したんです。でもあの人は…力でねじ伏せてくる」 ごくり、と私は唾を飲み込んだ。そうだ、私はそれが嫌で飛び出したのだ。 「父は自分に従わない者は暴力や罵声で従えていた。昔から…でも僕がある程度の年齢になると力では勝てなくなってくるでしょう。そうすると…僕の周りの弱い人間を攻撃するんです」 矛先は彼の母へと向かう。 「そうするともう従うしかなくなるんです」 「逃げる事は考えなかったんですか?」 疑問に思って問うと、静かに首を振る気配がする。 「逃げました。僕も娘と同じように、大学に進学する時に。もう二度とこんな家には帰らないと、思っていました」 でも、と彼は口をつぐむ。私は黙って続きを促した。 「母が倒れたんです。矛先が母しかいなくなったから」 あとで母に聞いたところ、息子が出て行ったのはお前のせいだとか会社を継ぐ者がいないだとか、毎日のように責め立てられていたと言う。 「クソみたいな親父でしょう。本当に…」 ははっと乾いた声で笑う。そうですね、と言うこともできず、私は黙っていた。 「僕は大学を卒業してから勤めていた会社を辞めて、父の会社を継ぎました。その時にはもう娘も息子もいて…妻にも迷惑をかけたと思います」 その頃のことは私もぼんやりと覚えている。おそらく6歳頃だったと思う。 通っていた幼稚園を辞めさせられ、仲の良かった友達とも離れ、急に見知らぬ田舎に連れてこられた私は毎日泣き叫んでいたような気がする。 それで毎回祖父に「うるさい!」と怒鳴られていた。母は妹の出産間近で私のケアをする余裕もなく、父はただ何もせず黙っていた。 「黙って従うしかなかった。そうしないと妻や子供たちに…あぁ、僕にはさっき言った娘の他に息子ともう1人娘がいるんですけどね。その子たちに危害が及ぶと思った」 でも間違いでした。 道端の小石を蹴るように彼は言う。 「娘が出て行ってようやく気付きました。…いや、気づいていたけれど…見て見ぬ振りをしていただけだった。僕が勝手に、あの子たちにも祖父に従えと強いていたことに」 思わず拳を握りしめた。私がどれだけあの家で我慢してきたと思ってるんだ。
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