利き耳

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 束の間、外に出ることをためらった僕の目を不意に引いたのは、二重扉の間のスペースに貼り出された何枚かのチラシだった。  就職のためのスキルアップを目指す講座の案内のようだ。  ワードにエクセル、図面の引き方に財務管理――種々のコースが目白押しだ。確かに、働くうえでこういう技術があるに越したことはないのだろうけど……。  僕の脳裏に、半年前まで五年ほど勤めた会社の風景が浮かんできた。  上司に恵まれず、同僚ともすれ違いの日々。業務に身も心も砕いてきたのに、正当に評価してくれない会社。  人間関係に疲弊するばかりで、多忙な割に見返りの薄い人生に嫌気が差した。僕はこんな場所で終わる人間じゃない、そう考えたらもう耐えられなかった。  拘束時間の長い仕事をしながら転職活動をするのは難しいだろうし、先に退職してから落ち着いて職探しをしたい、というのは建前だった。  正直に言えば、ただ休みが欲しかった。体を休めるというのはもちろんだが、自分の人生について立ち止まって考える時間が必要だと思った。  もっともその結果、こうして休みが満了しようとしているのに、次がなにも決まっていないという危機に(ひん)しているわけだけれど。  最初のうちはよかったが、長く休んでいるうちに社会から切り離されているような焦りが生まれた。同時に、社会復帰できるだろうかと不安に(さいな)まれた。  ――今の僕に必要なのは、ここに並ぶスキルのどれでもないんだよな……。  人間関係をそつなくこなす能力と活力、もっと言えば働くことに対する熱意、そんなところだろうか。  そのような僕の心を見透かしたように、背後から打ち上がった声が降ってきた。 「()き耳、習いませんか?」  そばに他人がいると思っていなかった僕は、驚いて振り返った。  見ると、ふくよかな恵比須顔の中年男が立っていた。目尻に皺がきゅっと寄っていて、(せわ)しない現代社会に似つかわしくない愛嬌のある顔つきだ。  ここの職員ではなさそうだが、かといって、僕を含めハローワークに出入りしている求職者特有の、休みに甘んじているが故の切羽詰まった感じや、幸薄そうな印象は感じられない。
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