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おやすみ、僕の愛しい君
「僕の愛しい君」
そう耳元で囁くと、彼は少し乱れた私の髪を丁寧に整えた。
「すぐに戻るよ。待っていてね。そしたら、今日一日の話をしよう。僕と君が離れていた時間の話を。それに、君にプレゼントがあるんだ。ほら、明日は僕たちにとって特別な日だろ?ん?忘れちゃったの?明日は僕と君が、僕たちになった記念日じゃないか。やだなぁ。君がそれを忘れちゃうなんて。はぁ。いつも僕ばかり君を大好きで、なんか、ちょっと……寂しいよ」
彼が私の手を取りながら「寂しいよ」ともう一度、小さくつぶやく。ぎゅっと彼の手に力が入った。その放った力が私の手の存在を教える。彼が私の手の甲をそっと撫でた。
「ここは、なんだか少し寒いね」
彼の唇が手の甲に軽く押しあてられた。しばらくの沈黙の後、不自然なくらいぱっと表情を明るくさせた。
「あっ!?それとも僕をからかって、反応を見て楽しんでる?ああ、そうなんでしょ?もうぉ。ふふふ。いいよ。それで。君はそのままで。僕のそばにいてくれるだけでいいんだ。うん、本当だよ。だって、僕は君が大好きなんだもん。ねっ。ふふっ。じゃあ、待ってて」
彼は静かに立ち上がって部屋を出て行った。
「ごめん。すぐに戻るって言ったのに。支度に時間がかかっちゃって。ごめんて。怒んないでよ。ほら。せっかく君にプレゼントを持ってきたんだから。ねっ、機嫌直して。はいっ。じゃあ、これ。僕からの僕たち記念日のプレゼント。君からのはいいよ。もう、君がいてくれることが僕にとってはプレゼントだから。なぁにぃ。笑わないでよ。僕はそれくらい君が好きなんだって。ほらっ、開けてみて」
彼からのプレゼントは真っ白なドレスだった。豪華なレースの純白のドレス。
「ねぇ、着てみてよ。絶対君に似合うと思うんだ」
彼がドレスを私の身体にあてた。
「うん。絶対似合うよ」
数分後、私の身体は豪華なレースの純白のドレスに包まれた。
「わぁ!うんっ!やっぱり、すごく似合ってるよ。綺麗。君の雪のような肌をドレスがもっと綺麗にみせているよ。うん。本当に綺麗だ。みんなにも見せてあげようよ」
彼は立ち上がって白いジャケットを羽織った。
「実は僕もドレスに合わせて用意したんだ?どう?似合う?ふふふっ、ありがとう」
彼が私の隣にぴったりくっついた。
「こうして並ぶと、なんか結婚式みたいだね。いつかさっ、こうやって並んでみんなに宣言しようよ。僕たちは愛しあっていますぅ!ってさ。ねっ。今日はとりあえず、写真だけね。あっ!でも、やっぱり誰にも見せないなんてもったいないからSNSに載せて、みんなに自慢しちゃおうよ。明日は僕たち記念日ですって。ねっ」
彼は嬉しそうに二人の“結婚式ごっこ”の写真を何枚も撮った。
「僕、これ待ち受けにするよ。そしたら、みんなにさり気なく自慢できるし離れている間も君がそばにいてくれているみたいで、幸せになれるから」
彼は楽しそうにたった今撮った写真を待ち受け画面に設定した。
「ああ、本当に綺麗だ」
四本の指の甲で頬を撫で、大きな掌で包んだ。潤んだ瞳は「愛しくて堪らない」と言っている。
「明日は、そのドレスを着て、お祝いをしよう。ケーキも買ってこよう。実はもう予約してあるんだ。君の好きな苺がたくさんのってるやつ。一緒に食べよう。今日はもう、疲れちゃったね。それじゃあ、また、明日」
彼は潤んだ瞳をもう一度私に向け口づけた。
「おやすみ、僕の愛しい君」
彼は少しの間、私を見つめながら髪を撫でていた。ふと悲しそうな表情を浮かべるともう一度「おやすみ」と言って部屋を出て行った。
ばたんと静かに閉まったドアの向こうへ、廊下を歩く音が遠ざかる。
私の瞳から一筋の涙が耳に向かって流れ落ちた。私は純白のドレスを着てベッドに寝かされている。私は彼を知らない。どこの誰かも、ここが何処かも。今日が何月何日なのかすら、わからなくなってしまった。そして、生きているのかさえ、もうわからない。
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