《132》

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 市兵衛の言葉に直政は驚かなかった。どこかで直政自身も考えていた事だ。いつまでも、山県昌景に乗っかったままではいけない。自分の足で立ち、歩み出す時が来たのだ。これからは、直政が赤備えを導いていく。それが山県昌景への最高の報恩になる。  赤備えの一騎が馬を寄せてきて直政に槍を渡した。 「ただでは殺されぬぞ」 市兵衛が槍を構えて、言った。 「一騎打ちだ、直政殿。その果てで直政殿が死ねばそれも天命。赤備えはここで解体しよう」 「承知」と言って直政は槍を受け取り、馬を少しだけ横に動かした。赤備えの輪の中央、市兵衛と対峙する。眼前、すでに老いている騎馬武者が放つその武氣に、直政はたじろぎそうになる。鼻面を振り、棹立ちになりかかる馬を懸命に抑えた。  かわそうなどという想いは微塵もなかった。同時に駆け出し、槍を繰り出す。どちらの槍が先に体に届くか。ただそれだけだ。己との戦いと言えるかもしれない。相木市兵衛を見た。己の宿命と対峙しているのだ。直政は強くそれを意識した。  ふいに、相木市兵衛が山県昌景の姿になった。 「越える」と、直政は声に出した。それが合図であったかのように、相木市兵衛、否、山県昌景が突っ込んできた。直政も馬を前に出した。槍。繰り出しはほとんど同時だった。直政の鼻に触れるか触れないかの位置に槍の穂先があった。 「見事だ」 腹に槍を突き立てた相木市兵衛が呻くように言って血を吐いた。 「今日から、赤備えは、井伊の赤備えだ」 「赤き魂、確かに受け取りましたぞ」 直政は言った。鼻先にあった穂先が下がる。市兵衛が微笑んでから、項垂れた。馬に跨がり、見開いたままの眼から光りが消えている。
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