《132》

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 直政は市兵衛の腹から槍を引き抜いた。市兵衛は馬上から動かない。山県昌景と同じく、馬乗のまま死んだ。突如馬が市兵衛を乗せたまま矢のように駆け出し、あっという間に、丘を駆け降りた。市兵衛を乗せた馬、どんどん小さくなる。あの馬は潰れるまで疾駆を続けるだろう。馬が潰れた場所が相木市兵衛の墓になる。長年、赤備えを陰から支えてきた男に相応しい幕の引き方だと直政は思った。  振り返ると、直政の傍に一騎が寄っていた。顔を見るとまだ若い騎兵だ。 「芦田昌高と申します」 若い騎兵が名乗り、頭を下げた。上げた眼が直政を見つめてくる。中々不敵な面構えだった。 「市兵衛殿に直政殿の副将を務めるよう仰せつかっております」  直政は丘の下、市兵衛を乗せた馬の後ろ姿を見た。豆粒のように小さくなっている。市兵衛が完全に見えなくなってから直政は口を開いた。 「赤備えの総勢は今、どれくらいだ、昌高」 「3百。高齢の者も多く居ります。今後、退役する者も想定したら、280、ないし、270というところでしょうか」 「俺は、これまでの赤備えをぶち壊すつもりだ」 半分挑発する心づもりで直政は言った。馬首を回し、昌高に正対した。鼻白むかと思ったが、昌高の表情は変わらなかった。挑みかかってくるような雰囲気も無い。直政の次の言葉をただ待っているという風に見えた。 「槍武者は50だけでいい。250騎は皆、槍を捨させ、鉄砲の訓練をさせる。井伊の赤備えは鉄砲騎馬隊を中心とする」  ずっと考えていた事だった。徳川軍の槍騎馬は本多忠勝の黒疾風で間に合っている。ここに鉄砲が加われば益々徳川軍は精強になるだろうと。  赤備えからは、否も応も、声は上がらなかった。反発しているのか。一度や二度のぶつかりは想定している。むしろ、あった方がよいのだ。反発し合う事を繰り返し、絆が深まっていく。男と男はそういうものだ。
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