《133》

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 天竜川の川筋がまた変わっている。以前より、駿河側に川幅が太くなっているのだ。忠勝が記憶する限り、この川が同じ姿のまま流れていた事は10日とない。暴れ川は戦国乱世に似ている。日々、世は変化する。昨日の敵が友となり、友が敵となる。  信長の死後、相模の北条氏直が徳川織田に敵対を宣言し、甲斐、信濃の旧武田領を切り取る動きに出たのだ。上野(コウズケノ)国に駐屯していた織田家重臣滝川一益はこれに対応したが、神流川で北条軍に打ち破られた。ふた月前の話である。  忠勝の足下、蒲公英の綿帽子が中空に舞い上がった。 「軽いな」と、忠勝は漏らす。乱世の盟約など、この綿帽子と同じくらいに軽い。 家康は織田家に許しを貰い、甲斐、信濃の領有に乗り出した。忠勝は随行を志願したが、康政らと共に留守居を命じられた。北条との本格的なぶつかり合いはまだ先という事だ。その時までお前は温存だと家康に言われ、忠勝はしぶしぶ納得した。  それでも直政などは旧武田家臣たちへ福徳の朱印状を届ける役目を仰せつかっている。領土から生活まで、旧武田家臣の面倒を徳川が見ていくという朱印状だ。それで、靡く者は多くいた。甲斐、信濃の平定にはできるだけ多くの旧武田家臣を取り込む必要があるのだ。  真夏の熱風に混じり、ふいに、何かが身を打ってきた。忠勝の肌に粟が立つ。忠勝は蜻蛉切を腰の高さに上げた。尋常ではなく強烈な武氣が傍にある。どこだ。忠勝はゆっくりと左右を見た。  左斜め後方に林がある。忠勝は樹間を凝視した。黒い影が草の上に伸びた。忠勝は振り返った。林の中から、陽炎に揺れながら、身を黒衣に包んだ男が歩み出てきた。咄嗟に男と感じたが、実際はわからない。黒い頭巾で顔を覆っているのだ。忠勝は体つきで男と想像しただけだ。
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