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「これはこれは」と、天海が小さくかぶりを振りながら言う。
「奇っ怪な事を申される。私は若年の頃から僧侶でございます。いくさ場などと。そのような場所には、ずっと無縁で生きてまいりました。ただ、いくさ人と呼ばれるお方たちに憧れていた時期はあります。それで、古今東西の軍学書を読み漁っておりました。諳じれる書物もいくつかございます」
「なぜ、本多正信はおぬしを食客として迎えた。正信とはどこで出会ったのだ」
天海が空を見上げた。そんな所作ひとつにも隙は無かった。忠勝が今、蜻蛉切を繰り出したとしても、天海は飛び退ってかわすだろう。動きの一つ一つが武人なのだ。
「初めて出会ったのは15年前です。正信殿が京におられた頃ですな。4年ほど前に再会し、浜松に来ないかと誘われました」
「本多正信は、おぬしに何をさせようとしている」
「私が軍学や政学に明るい為、徳川家康様の元で顧問をしてほしい、との事でございます。何度もお断りしたのですが、押しきられ、先月、とうとう大坂の寺を他の者に任せ、遠江入り致しました」
忠勝は黒衣の一部分から眼を離せなくなっていた。頭巾の右側、こめかみの辺りだ。常に微かな揺れがある。この揺れがなぜだか忠勝の琴線に触れてくる。どこだ。やはり忠勝は天海にどこかで会っている。天海が頭を改めて下げ、背を向けて歩き始めた。忠勝は天海の掌を見た。指の付け根に、大きな槍だこができている。まごう事なき、いくさ人の掌だ。
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