《132》

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 直政は脇差しと直虎の顔を交互に見た。そこで、はっとした。直虎の頬の一部、色がおかしい。全体の血色の良さと違い、そこだけが青白いのだ。顔料を厚く塗っているのがすぐにわかった。汗で頬の一部の顔料が剥げ始めている。どこかに去っているわけがない。直虎の病はやはり篤いのだ。それをわからないようにして直虎は今日、ここにやってきてくれた。直政に井伊家の魂を渡す為に。直政の感情が昂ってくる。それを表に出すわけにはいかない。直虎は命を削っている。自分は真っ直ぐ前を向き、直虎が渡すものを受け取らなければ。直政は両手で脇差しを受け取った。ずしりと重い。間違いなく鞘の中には刃以外の何かが納まっていた。 「御館様」 言って直虎が家康に振り返った。 「まだ至らぬところもありますが、必ずや直政殿は大きなものへと成長してまいります。今後も井伊直政、並びに井伊家を御取立て頂けますよう、宜しくお願い致します」 「直政はわしの宝よ」 家康が言った。 「これからも大切に磨き続ける」  直虎が平伏した。直政も横に並び、同じ姿勢になった。横目で直虎を見た。顔料の剥げた部分が拡がっている。相当に辛いのか、直虎のこめかみから汗が流れ落ちて畳に染みができた。  直政は唇を噛み締めた。直虎の体を気遣うような言葉は吐いてはならない。それは、直虎の気持ちを踏みにじる事になってしまう。受け止めるのだ。井伊家当主の魂を。もののふの心意気を。  直虎は最後まで式典に参加した。顔料は全て剥げ、顔色の悪さが露呈しているが、表情の中にある凛としたものは最後まで消えなかった。
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