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身も心も傾いていくから
それ以降、朝に顔を合わせるとき、竹若くんの様子は落ち着いたものになった。どうやら、数値がほどよい範囲内で収まっているようだ。
こうなる日を心待ちにしていた。なのに、いざ来ると物足りなく感じて、自分に困惑する。最近のあれこれが刺激的すぎたのかもしれない。
いずれ、また波がやってくる。このあいだみたいに、同時に一人エッチを行うのだろうか? 思わず想像してドキドキする。
ああ、ダメだ。平常心、平常心。
よからぬ妄想をすると数値が変動してしまう。彼が怪訝に思うだろう。
目の前のパソコンに集中する。よけいなことを考えるのは、せめて隣に座っているとき以外に。
私は資料をめくって業務ソフトと向き合った。
仕事のあと、大学のころの女友だち四人で飲み会をした。
みんな独身だけれど、じきに結婚する子がいて、準備の大変さを知る。恋人がいるべつの子は、「最近マンネリ」と愚痴をこぼした。
そういう方面で私は話すことがない。なので、ありがちな仕事のトラブルで場をごまかした。
竹若くんとの関係を口にするわけにはいかない。というか、ステータス云々なんて信じてもらえないだろう。
帰宅して、上着だけ脱いでベッドに倒れ込む。
シャワーを浴びなきゃ。化粧を落とさなきゃ。友人とのお喋りが楽しかったのと、ほどほどの酔いで、動きたくない。
会話中に尋ねられたことを思い出す。
「芝辻ちゃんは気になる人とかいないの?」
「うーん、いまのところは」
そう答えたものの、本当は竹若くんが頭に浮かんだ。
たしかに、ほかの仕事仲間とは一線を画す関係である。でも、ただの同僚。
だから、これは吊り橋効果だ。スリリングな状況によるドキドキを、そばにいる人への恋愛感情と勘違いしてしまうもの。
私はたくさんドキドキした。壁一枚へだてての一人エッチなんて、思い出してもクラクラする。
意識せずにいられるわけがない。
しかも彼は誠実で、いつも思いやってくれる。そんなの嬉しいに決まっている。この相手が竹若くんでなかったら、と思うとゾッとする。
依存してはダメ。
けれど、ずいぶん甘えている。楽なほうに流される。いつか罰が当たるだろうか?
「竹若くん……」
つぶやいて目を閉じ、姿を思い浮かべる。こちらの心をあたたかくさせる、包容力のある笑顔。
そんな彼を、私は焦らせたり心配させたり。
「ごめんね……」
ちょっと泣きたい。嫌われたくないなぁ。
すると、想像の相手が優しい言葉をかけてくれる。
『嫌いにならないよ。大丈夫』
ホッとする。本当にそんなふうに言ってくれそうだ。
彼は、手を伸ばせば届く距離にいる。もちろん『物理的に』の話だけれど。
ほかの男性と隣になってもなんとも思わないのに、竹若くんのときだけ世界が色づく。
『ただの同僚』
そう自分に言い聞かせるとき、胸がチクリと痛む。
分かっている。気持ちがその範疇から外れつつあるからだ。
私が気になる人は、竹若くん。吊り橋効果だとしても、相手の存在は心の深い場所まで下りてきた。
不意に思い出す。
トイレの個室から聞こえてきた、乱れた息遣い、熱くかすかな喘ぎ。脳裏に描くだけで、たちまち身体が痺れる。
性愛描写のあるマンガや小説を読んだときみたいに。いや、それよりはるかに。
未だ残る酔いが後押しする。我慢できなくなり、ショーツとストッキングを下ろして秘部に触れた。
「んんっ」
予想どおり、しっかり濡れている。
うつ伏せ状態だから、竹若くんの広い背中に寄り添う想像をする。きっとあったかい。
あなたを想像して慰めた、とバレたら、引かれるだろうか。
彼は私で妄想すると言ったけれど、こんな関係になればおかしくない。特別な感情なんてなくても。
だが、私のこれはそうじゃない。
後ろめたくなればなるほど、歯止めが利かない。敏感な箇所をいじる。ビクビクッと身体が跳ねる。
「や、ダメ……なのに」
空いている手で、シーツをギュッと握りしめる。
高まっていきながら、声に出さずにはいられなかった。
「竹若くん、竹若くん……」
頭の中がグチャグチャで、堕ちていくことしか考えられない。下腹部から送られる心地よい波紋が、私をダメにしていく。
「やぁあっ、いっちゃう……!」
昇りつめて真っ白になる。わずかな罪悪感を覚えつつも、幸せな気持ちに浸った。
まるで彼の手で、頭を撫でられたみたいに。
翌日、竹若くんと顔を合わせたとき、私はさすがに硬直した。
彼が不思議そうな表情を浮かべる。
「なにかあった?」
ありましたとも! でも絶対に言えない!!
数値の狂いを予想していたので、私は言い訳を告げる。
「昨日の女子会で、ちょっと赤裸々な話もあったの。彼氏のいる子が、夜のこととか。やっぱり竹若くんには分かるんだ」
「プライベートを詮索するつもりはないから」
「うん。あのね、たとえば体温を測って初めて、体調不良だと気付くときがあるでしょ? だから異変を見つけたら教えてほしい」
すると竹若くんがホッとした。
私は小声で尋ねる。
「数値、上がってる?」
「いや、かなり下がってる。なんでだろう」
「ええっと……あれかも。私、知ってる人の想像すると、自己嫌悪に陥って気分が悪くなっちゃうから」
「えっ、無理して仕事に来た?」
「そこまで調子おかしくないよ。大丈夫」
私はにっこり笑ってみせた。
始業時間が来たので、お互い作業に取り組む。
いまの理由でごまかせたかな、と不安だったけれど、竹若くんの様子に変化はない。それを信じるしかなかった。
内心で深々とため息をつく。
隣の人を思い浮かべながら一人エッチをしただなんて、身の置き所がないこと、この上ない。
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