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かけがえのない時間に
土曜日は、私も竹若くんも休日出勤だった。夕食を一緒に取って、また彼の家に泊まる。
日曜は竹若くんの両親の結婚記念日なので、弟も加えた四人でランチに行く、と聞かされた。そのあと実家に向かい、夕食まで過ごす。竹若くんが一人暮らしを始めてからの恒例行事らしい。
朝食どきに話を聞いて、私は「素敵な家族だね」と微笑ましく感じた。だが、彼は気乗りしない様子だ。
「……行きたくない」
「ご両親も楽しみにしてるんでしょ?」
「大事なことだって分かってるけど」
竹若くんが小さな息をついた。
「例えば、面白い推理小説の佳境に入ったとき、寝る時間だとして。睡眠を削っててでも読み切りたいよね?」
「まぁ、気持ち的には」
「芝辻さんの予定が空いてるのに、自分は用事があるとか」
私が赤面して返事に詰まっていると、彼は苦笑した。
「あまり拘束したら、君のしたいことができなくなるか」
ここ何日か、自宅で過ごす時間がかなり減っている。買い物や掃除など、するべきことがたまってきた。
でも気持ち的には。
「自分の時間が必要なときは、ちゃんと言うから。でも、悩んじゃうね。ご両親のお祝いをする竹若くんでいてほしいし、あなたと過ごしたいし」
すると、竹若くんが嬉しそうな顔をした。
「俺、ひどい風邪を引いたことにするよ」
私は思わず笑った。
「それなら、『最近、調子わるい』っていう伏線を張っておかないと。竹若くん、嘘をつくの下手そう」
「けなされてるんだか、褒められてるんだか」
「仮に実行しても、ご両親に申し訳ないって思うでしょ? ちゃんと親孝行してきて。まぁ、竹若くんは約束を反故にしないね」
「やれやれ、芝辻さんの前では悪いことできないなぁ」
けれど不意に、熱のこもった視線を向ける。
「ただ、出かけるまでに『悪さ』はするかも」
「き、昨日もしたのに……」
竹若くんはにこやかに目を細める。
「『喜んで』って言ってる」
「見ないで!」
「芝辻さんも嘘をつくのは下手だね」
「もう、バカ!」
拗ねてみせたものの、当然ながらまったく効果はなかった。
私たちはひんぱんに逢瀬を重ねる。そして多くの場合、触れ合い、相手を求める。傾倒していくのを止められない。
この関係は、私の『波』が落ち着く期間はどうなるのだろう。
夜を共にする日々は刺激に満ちている。職場では隣同士だから、意識せずにはいられない。数値が高いまま、という可能性もある。
だが鎮まった場合、二人で過ごす口実がなくなる。
強いてカテゴライズするなら、私たちはセフレなのだろうか。ステータスが見えることによる問題を解決するため、性行為という手段を選択した。
後悔はないけれど、奇妙な間柄である。
もし竹若くんにとって不都合が生じ、「関係を解消したい」と言ってきたら、自分はすんなり応じられるだろうか。そんな日が来なければいいのに。
ある週の金曜、課の飲み会が行われた。
私は一次会で帰った。竹若くんは男性陣に引っ張られ、三次会まで付き合わされたらしい。
土曜の朝は二日酔いで、『復活したらまたメッセージ送る』と連絡があった。
昼すぎになって車で訪ねてきたものの、完調ではない様子だ。ソファーに座る彼にスポーツドリンクを出すと、すごく美味しそうに飲む。
私は首を傾げた。
「家で休んでたほうがよかったんじゃない?」
「どうせ寝つぶれるんだったら、こっちにいる。俺は不甲斐ないから、芝辻さんに迷惑かけても仕方ないんだ。かっこ悪いところ見せて、呆れられてもしょうがないんだ」
「なにその開き直り」
普段なら絶対に言わないだろうな、と私はクスッと笑った。
彼が申し訳なさそうにする。
「ごめん、甘えてる。君の都合もお構いなしに」
「竹若くんはちょっとぐらい、わがままになったほうがいいよ」
「実はしてほしいことがあるんだ」
「なに?」
「えぇと、その……できれば膝枕とか……」
たわいもない内容なのにすごく言いづらそうにするので、なんだか彼らしいと思った。
私は応じて、深く座り直す。
竹若くんが遠慮がちに、こちらの膝へ頭を乗せた。そしてホッと息をつく。
「あー、すごい安らぐ」
「やっぱり無理して来たんだ? 眠ってもいいよ」
「やさしい夢を見れそう」
彼はにっこりと笑みを広げた。
しばらく会話をつづけたあと、竹若くんがひと眠りした。
私は動けなくて、テレビのリモコンやスマホを手にすることもできなかったけれど、無防備な寝顔を眺めるだけで、心があったかくなった。
目覚めた竹若くんは、すっかり元気を取り戻した。
同時に冷静になったらしく、自己嫌悪に陥る。
「人の家に押しかけて自堕落に過ごしてしまった……」
「ふふ。頼みごとがあったとき、今日の件をちらつかせて脅迫しようっと」
彼が驚いた顔を向ける。
「脅迫しなくても聞くけど?」
「じゃあ、どういうお願いなら本気で困るか、考えておこうかな」
「む、無理に捻出しなくてもいいよ……?」
私がクスクス笑うと、相手もつられたように破顔した。
夕方には二人で料理を作った。
狭いキッチンなので、作業の分担や移動に気を遣うけれど、それも含めて楽しい。
いつも一人のテーブルに竹若くんがいる。世界が明るくなる。
食器を片付け、飲み物を用意しようとしたとき彼に呼ばれる。ソファーへ取って返すと、相手の膝の上に座らされ、抱擁とキスを受けた。
彼が熱を帯びた口調で尋ねてくる。
「泊まっていい?」
「……嫌」
硬直する相手に、私は疑問を投げた。
「嘘だって分かるんでしょ?」
「それでも、拒絶の言葉はショック」
「ごめんなさい、意地悪を言って。帰らないで」
彼の首に私が腕を回すと、竹若くんはギュッと抱きしめてきた。
「また暴走しそう……」
「うん。竹若くんの『数値』が高くなった」
「ステータスが見えなくても、バレバレだね」
私はしがみついたまま、不安を口にした。
「私の数値はそろそろ落ち着くかな」
「それが……俺を見ると跳ね上がる」
予想できたとはいえ、私は恥ずかしくなる。相手の胸に顔を押しつけた。
「竹若くんのせいだからっ」
「はい。ちゃんと責任を取ります」
彼の手がこちらの頭を撫でた。
お互い、一糸まとわぬ姿になって、竹若くんにまたがる形でひとつになる。それから、膨れ上がる欲望をぶつけ合った。
私に優位な体勢のはずが、やすやすと昇りつめる。
つながったままベッドに寝かされ、彼がこちらの奥まで突き入れてくる。
「待って、ゆっくり……して」
「こんなふうに責められるのも、たまらないみたいだけど?」
「ずるい、全部わかるからって」
竹若くんは動きながら、かすかに笑った。
「今は電気を消しても分かるよ。声と身体の反応で」
激しい羞恥に襲われ、私は顔を両手で覆った。
「私、こんなじゃなかった! 竹若くんがエッチにしたの!」
「また殺し文句を言う」
彼はこちらの腕を左右に押さえつけてキスをした。
「俺、自分のこと穏やかな人間だと思ってたけど、芝辻さんはメチャクチャにしたくなる」
「ああっ、激しいぃ……!」
一気に追いつめられて、意識が四方八方に飛び散った。
しばらくのち、ゆるやかに降りていく感覚がする。つながりを解いても寄り添う。
彼は互いの額をくっつけて、満足そうに囁いた。
「あったかい色、してるよ」
日曜はたっぷり寝坊した。
パンやサラダなどの朝昼ごはんを取り、車でディスカウントショップに赴く。帰宅してから、パソコンでヒューマンドラマの映画を観た。夕食はテイクアウトした総菜をいただく。
食後の紅茶を飲んでいると、竹若くんが名残惜しそうにした。
「週末はあっという間だね」
「ダラダラ過ごしちゃったかな?」
「こういう時間の使い方がいちばん贅沢だと思う」
私はうなずく。彼が大きなため息をついた。
「ああ、帰りたくない。月曜こなくていい」
「意外と子供っぽいこと言うんだね」
「あんまりグチってると、愛想をつかされるな」
「私も、この時間が終わるの嫌だな、って思ってる」
「ほんとに?」
「そこまでは分からないの?」
「まだ一緒にいるからかな。別れたあとに数値が変動するなら、ますます帰りたくない」
長く共に過ごしたぶん、一人は淋しいだろう。
でも。
「あした出勤して、顔を合わせれば回復するよ」
竹若くんは照れたあと、私をしっかり抱きしめた。
車で帰っていく彼を見送り、家に戻ると、部屋が広く感じた。それによって、自分の想いがハッキリする。
ひと月の波長なんて関係なく、そばにいたい。
週末みたいな時間を、これからもずっと。
そう告げたら竹若くんはどんな顔をするだろう。期待と不安がないまぜになる。
でも気持ちを抑えておけない。彼に伝えたい。
月曜、竹若くんの背中に「おはようございます」と声をかける。振り返った相手がやわらかな笑顔で返事した。
些細なことが、とてもくすぐったい。
彼に用事がなければ、今夜の約束をして――。いや、いっそ昼に呼び出そうか。それとも、休憩に入ったらメッセージを送ろうかな。
ぐるぐる迷っていると、課長が姿を現してみんなに声をかけた。
「朝礼をするぞ」
全員が集まったところで、課長は隣に立つ若い男性を紹介した。
「本社から来た片野坂くんだ。二週間、応援に入ってくれる。いい機会だから積極的に情報交換するといい。いろいろ勉強になるだろう」
当人が恐縮の表情になった。
「若輩者ですが、よろしくお願いします。僕で分からないことは上司に問い合わせますので。どうぞ、こちらのやり方をご教授ください」
落ち着いた拍手が起こる。
女性陣の多くはソワソワ落ち着かない様子だ。片野坂くんが、彫りの深いエキゾチックな顔立ちをしているからだろう。身長も高く、均整の取れた体つきでモデルみたいだ。
お近づきになりたい、と狙う女性が出るかもしれない。大変なことにならないといいけど。
傍観者を決め込むつもりの私に、課長が爆弾を落とした。
「それじゃあ芝辻さん、片野坂くんのフォローをしてくれ」
「えっ?」
まさか白羽の矢が立つとは思わず、返事に詰まる。
上司の指示なら従うしかない。
「分かりました」
答えたものの、色めきたった女性陣の無言の圧力が怖い。「私はどなたかに譲っても構いません!」と言えるはずもなく。
こちらを見た片野坂くんが、ニコッと男らしい笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします、芝辻さん」
「こちらこそ」
応じて会釈する。
二週間って長いなぁ……。と、心の中でぼやいた。
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