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数値を把握されるより
私が遠い目をすると、竹若くんが焦った様子で続けた。
「で、できるだけ見ないようにしてるんだけど、仕事のやり取りをしないわけにはいかないし。そうしたら目に入って……解決策も思い浮かばなくて」
彼はこちらの頭上に視線をやり、ショックを受けたらしく、頭を抱えた。
「俺が間違ってた。傷つけるぐらいなら、黙っておくべきだった。お願いだから……泣かないで」
私は予想外のことを言われてビックリする。
さすがに泣いてはいない。でも私がどれほどダメージを受けたか、竹若くんには分かるのだ。もしかしたら、本人よりも明確に。
彼のほうがよっぽど泣きそうだ。
ステータスを見られる私だって、あんまりな状況だが、相対すれば目に入る彼も被害者と言える。どうしても、こちらのバイオリズムが分かってしまう。
ふと気付いた。
彼がかけてくれた「疲れてるみたいだね。無理しないで」の言葉。気遣ってもらえて嬉しかった。そして、さりげなく仕事のフォローをしてくれた。
竹若くんは、私の知られたくないことが分かると同時に、強がりも見抜くのだ。
彼はステータス情報を悪用したことはない。……と思う。
いつから見えたのか不明だけれど、どうやら昨日今日ではなさそうだ。ずっと悩んでいたのかもしれない。
ここまでのやり取りで、何度も謝られた。さらに今、私が泣くのではと危惧している。
正直なところ、彼の不思議な力はなくなってほしい。ただ、状況としては痛み分けだ。竹若くんに対する嫌悪感は湧かなかった。
私はハッキリ告げた。
「ありがとう、心配してくれて。っていうか、こっちのセクハラだよね。強制的に個人情報を送り付けてるみたいなものだし。ごめんね」
すると彼はパッと顔を上げ、首を左右に振った。
「芝辻さんが謝ることないよ。でもよかった。完全に嫌われると思った……」
竹若くんが真摯な表情で見ている。
あることに気付いて、私はつい笑った。
「もし『大嫌い』って言っても、嘘だってバレちゃうんだ」
「まぁ、怒った色じゃないから」
「たとえば上司へのおべっかが心にもないってこと、見え見えなんだね」
彼もつられたようにクスッと笑った。
「おべっかなんて、いつ言ったっけ?」
「竹若くんがいないときにしよう」
私は相手に質問した。
「ステータスが表示されるのは私だけ? こういうの初めて?」
「うん。だから最初は意味が分からなくて、幻でも見てるのかと」
「いつから?」
「うーん、一年半ぐらいかなぁ」
「そんなに!?」
竹若くんが申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん、ずっと黙ってて」
「これって、周り全員に見えてる、とかじゃないよね……?」
すると彼は大丈夫、とうなずいた。
「その可能性を考えて、『上司の不機嫌指数とか分かればいいのに』とかいろいろ振ったんだけど、みんな冗談として受け流したよ。芝辻さんの数値に合わせて、なんらかの行動する人もいないし」
とりあえず私はひと安心した。
その人が見て見ないフリをしていたら、気付きようがないけれど。竹若くんだけ、と信じるしかない。
考えてみれば、ステータスが分かるなら、「このタイミングで仕事を振る!?」や、「体調が悪いのに、どうでもいい話しないで」という事態は起こらないはずだ。
『周囲とかみ合わない状況』は、ある程度の保証になる。
誰か一人に見えてしまうのなら、神さまは無難な人選をしてくれたと言える。竹若くんは印象どおり好青年だ。
そんな相手だからこそ、いたたまれないけれど。
私はつとめて楽観的なことを口にした。
「そのうち見えなくなるかもね」
彼が即座に答えなかったのは、一年半もこの状態だからだろう。けれど、気を取り直してうなずく。
「そのときはすぐ教えるよ」
「うん、お願い」
和やかな空気になり、微笑み合う。
そのあと、竹若くんが恥ずかしそうな表情で促した。
「それじゃ、今日は家に帰ったら一人エッチしてくれる?」
「…………無理っ!!」
彼は私の頭上に目をやって青ざめた。
ステータスが見えなくても自分で分かる。『怒り』の状態だ。
「どうしてそうなるの!?」
「対処しないと、俺も仕事が手につかないし!」
「意味わかんない!」
「ここで芝辻さんに、『適当な男を引っかけてラブホに行って』なんて頼めるわけないだろ!? だから自分で解消してもらうしかない」
「解消って――」
相手に告げられたことを、はたと思い出す。竹若くんは性欲の数値を目にしている。
今度は私が青ざめた。
聞きたくない、聞きたくないが――。
「わ、私の性欲ってそんなに大変なことに……?」
しばらく彼氏がいなかったから、ヤバイ数値を叩き出しているとか?
さしあたり、目の前の相手を動揺させている。だとしたら、気持ち悪いのは自分のほうでは……。
私がズシンと落ちたので、彼はあわてて慰めた。
「普通だよ! ほら、女性って28日サイクルで体調が変化するよね? その一環!」
「……どういうこと?」
彼は口ごもったが、答えなければ場が収まらないと悟ったようだ。
「ごめん、ハッキリ言う。芝辻さんのバイオリズムから推測するに、今は排卵期だ。それで性欲が高まっているんだと思う。そのステータスが見える影響で、俺はうろたえてしまう」
「竹若くんでもうろたえるの?」
「そりゃ、知ってしまったら……。けど、悪さは一切たくらんでないから! ただ、やっぱり意識する。芝辻さんでもエッチな気分になるんだな、とか」
「私でも、って?」
竹若くんは、悪戯を見つかった子供みたいに、しょげた顔になる。
「えぇと、女性しかいない場でも、猥談になったらスッと下がりそう」
「ふぅん?」
「だから俺、勝手にギャップ萌えしてるんだと思う。しょうもないやつでごめん。いっそセクハラで訴えてほしい!」
「いや、そこまでは……」
だいたい、「彼は私のステータスを見て、性欲まで把握してます!」と主張したところで、みんな一様に、かわいそうな目を向けてくるに違いない。
「竹若くんも普通の男子だったんだね」
「え、普通? その範疇で収まるかなぁ」
「性欲が見えれば誰でも気になるよ。逆だったら、私だって竹若くんの数値に興味津々だと思う。なんだか振り回しちゃって、ごめんね」
相手が心配の表情になった。
「ああ、落ち込まないで。これが部長ぐらい大人なら動じないんだろうけど、俺はついドキドキしちゃって……」
恥ずかしい状況だが、じつのところ、くすぐったい気持ちもある。
竹若くんが意識する相手なんて、色気あふれた大人の女性か、かわいい恋人ぐらいだろうと。彼に女性として見られるのは悪い気はしない。
そう思ったのが伝わったらしく、竹若くんは安心した顔になる。気持ちが筒抜けなのは、ちょっとだけ便利だ。
だが、このまま「ハイ解散」とはいかないだろうな、と私は観念した。
「で、排卵期の性欲の上昇が気になるから、解消してほしいってこと?」
「うん……できれば」
彼がこわごわ窺う視線を向ける。
私は即座に答えた。
「お願いされて一人エッチするとか無理! ステータスがダダ洩れなことより、死ねる!!」
静寂とゆるやかな風が通り過ぎていった。
竹若くんは苦笑する。
「だよね」
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