こんなのキリがなくて

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こんなのキリがなくて

 同日、二人でまた屋上に来た。私は周囲に誰もいないことを確かめてから、相手に尋ねた。 「期間中に二、三回はしないといけないってこと?」  竹若くんが気まずそうに「できれば」とうなずいた。  私はくるっと背を向け、フェンスにすがりついた。 「無理~! 一回でも恥ずかしくて逃げたいのに! これっていつ終わるの?」 「そこまでは……。疲れたときとか、刺激を受けたときとかで変化するし」  私は振り返って、疑問を投げかけた。 「刺激を受けたとき?」 「これは俺の想像だけど、視聴した映画やドラマで濃厚なラブシーンがあった、という場合かな」 「そんなこと分かるの!?」  すると竹若くんは答えにくそうに告げた。 「バイオリズムと関係なく数値が跳ね上がったら、なにかあったのかな、ぐらいは。彼氏はいないって言ってたし、芝辻さんが男性相手に遊び回るとは思えないし」  残念ながら、ここ二年のあいだ私に恋人はいない。  性的に興奮する映像作品を観た覚えはないから、不意に変動したなら、マンガや小説のたぐいだろう。  大人の女性向け作品は、素敵な男性が出てきて、主人公とキスを交わしたりベッドを共にしたりする。読めばドキドキする。  そのまま眠って、翌日、出勤したら……竹若くんには「なにかあった」と分かるのか!  私はふたたびフェンスにすがりついた。 「本当にお見通しなんだ……。竹若くんの、私に関する記憶を消せないかな」  興奮したと知られるなんて、いたたまれない。  だがそれよりショックな事実がある。昨日の一人エッチ以前に、ときどき自分の身体を慰めた。  行為が休日まえなら、気付かれないかもしれない。けれどそうでなかった場合、数値の変動で『なにかあったこと』がバレる。  誰だって、一人エッチをするのはおかしい行為ではない。でも「みんなしている」と、「彼女が昨日した」では雲泥の差だ。泣きたい。  ズシンと落ち込んでいると、竹若くんが気弱な声で言った。 「それができるんなら、いますぐ俺の頭を鈍器で殴ってほしい」  過激な発言に、私はパッとそちらを向いた。 「いや……たぶんすごく痛いよ」  そういう問題ではないが。 「芝辻さんを傷つけてるし。黙っておけば、どっちかが異動になったかもしれない。君に恥ずかしい思いをさせた。やっぱり俺は最低だ……」  自分を責める竹若くんに対して、私はかぶりを振った。 「竹若くんは真摯だよ。だからあなたに嫌悪感はない。それなら、急な数値の上下で、私が軽蔑されてもおかしくないよね」 「まさか。勝手に知ってしまって申し訳ないと思ってる。正直に言えば、興味もあったわけだし。ああ、やっぱり殴ってほしい」  私は苦笑した。 「私の記憶だけ消す方法が見つかったら、殴らせてもらうね」  竹若くんは目を見開いたあと、感謝を含んだ笑みを浮かべた。  とりあえず、ひと月のあいだに起こる波はどうしようもない。  性描写のある作品を読むのはやめて、一人エッチをしない。そうすれば、外的要因による性欲の変動はほぼなくなる。  その欲求は、放っておいても命に係わることはない。  ただし遠ざけるのはともかく、ずっと発散しないでいたら、高い数値を叩き出すのではないだろうか。  こんなもの、なくなってしまえばいいのに。どうせ恋人はいないのだ。竹若くんを動揺させるぐらいなら、ポイッと捨てたい。  そのとき、彼が心配そうな顔をした。 「芝辻さんは悪くないよ」 「……メンタルの数値、落ちてる?」 「いまは君の表情で分かる」  予想外の言葉にドキッとした。  気遣う眼差しがまっすぐ注がれる。私は自分でいっぱいいっぱいなのに、竹若くんは思いやってくれる。  私は気持ちが和らいで、ふふっと笑った。 「数値をコントロールできたらいいのに。恋人がいないから、ストップさせても困らないじゃない? しばらく片付けておけば、竹若くんを困らせなくて済む。精神を鍛える修行でもすればいいのかな」  すると竹若くんは、なだめるようにかぶりを振った。 「明日にでも素敵な相手と出会って、恋に落ちるかもしれない。波をせき止めたらチャンスを逃してしまう。そんなの、もったいないよ」  私は驚いた。  性欲をネガティブに捉えたけれど、それによって大切なものを見つけられるなんて。そんな可能性は考えなかった。  いや、私だって分かっている。必要だからあるんだ。  目に見えなくても、これは私を構成する一部。実際になくなったら、大きな不都合が出るかもしれない。  すぐ全肯定するのは難しいけれど、必死に拒絶してかかることもない。 「思考が極端になってたみたい。いい距離感があるのかもね」 「そのあたりは、女性のほうが上手なんじゃないかな。中高生の男子なんてほんと――」  竹若くんはしまったという表情で口をつぐんだ。  そして居心地悪そうに赤くなる。これまで私のことばかり話題に上っていたから、興味が湧いた。 「中高生の男子なんて、なに?」  相手の顔には「答えたくない」と書いてあったが、諦めて白状した。 「『性欲コントロール、なにそれおいしいの』状態だから……」 「竹若くんも?」 「き、聞かないでほしい……」  そうか、『爽やか好青年』な彼でも、エッチなことにのめり込むんだ。相手がいたのか、一人かまでは分からないけど。  私の事情がバレているのだから、もっと聞いても許されるだろう。でもやめておこう。しょげている彼がかわいそうだ。  竹若くんが窺うようにこちらを見た。 「……引いた?」 「ううん。これがもし、女子をとっかえひっかえ部屋に連れ込んだ、って言われたら軽蔑するけど」 「そんなことはしてない! ほんとに!!」  ムキになって否定する彼に、私は笑ってしまった。 「大丈夫だよ。竹若くんがそんな真似をするなんて思わないから」 「よかった……。こんな誤解されたら立ち直れない」 「そういう噂が立っても、誰も信じないよ?」 「芝辻さんも?」 「ぜんぜん想像つかないし」  彼がホッとする。  私はすこしからかう口調で言った。 「竹若くんのステータスが見えたら、さっき、ものすごく落ちたね」 「それならお互いさまなのに」 「残念ながら見えないなぁ。じゃあ、自己申告でどうぞ」  竹若くんはグッと返事に詰まり、参った顔をした。 「世の中には知らないほうが幸せなこともあると思う……」 「なにそれ怖い」  言いつつ笑うと、彼も困ったように微笑した。  和やかな空気になってよかった。  ただ、また一人エッチをしないといけないことを思い出して、気が滅入る。それから不意に、重大な点に思い至った。  私が絶句していると、竹若くんが気遣いの声をかけた。 「どうかした?」 「気付きたくないことに気付いちゃったんだけど」 「え、大変な事態?」  私はコクッとうなずいて、相手に恨めしい目を向けた。 「『もう一回する』ことばっかり考えてたけど、これ、毎月なんだよね? その時期が来るたび、数値を抑えるために……」  どうやら竹若くんは分かっていたらしく、驚いた様子は見せなかった。そのことにもショックを受ける。  私は思わず叫んだ。 「つまり、五年くらい異動がなかったら、かける十二月で六十!? そのたびに三回するとしたら……ああっ、頭が計算を拒否する!!」  取り乱した私に彼もあわてた。 「そのうち見えなくなるかもしれないよ!」 「いつ!? 明日、明後日?」  完全に八つ当たりだ。だが嘆かずにはいられない。  みたび相手に背を向け、フェンスをつかんで訴える。 「そんなの死ねる! もう会社を辞める~~~!!」 「し、芝辻さん、落ち着いて」 「無理! 私のキャパ超えた!!」 「ごもっとも!」  私は心の中で号泣した。  やっぱり竹若くんを鈍器で殴るしかない。
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