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繰り返しに陥って
翌日、出勤して竹若くんに挨拶をすると、彼はホッとしたあと頬を染めた。いっそ話題にするほうが気が楽だな、と私は尋ねた。
「数値、落ち着いた?」
「あ、うん、大丈夫……」
ハッキリしない返事だったので、私はいぶかしむ。
「イマイチ効果が出てない?」
「そんなことはないよ。ないけど……ああ~、ごめん!」
急に頭を抱える竹若くんに、私はビックリした。
「どうしたの?」
「自制しなきゃって思ったのに、一瞬だけ想像してしまった! やっぱりダメだ。芝辻さんに平手打ちされたほうがいい」
「そんな。やっぱり考えちゃうでしょ。怒らないから大丈夫だよ」
すると改めてこちらを見た彼が、表情を和らげた。
「君の優しさが身に沁みる……」
「竹若くんが言ってくれたじゃない。『してる』のは自分も同じだって。それを聞いたら、私も想像しちゃうわけだから」
フォローするつもりで、恥ずかしい告白をした気がする。
だが仕方ない。目撃こそしていないものの、ドアひとつ隔てた場所で彼が臨むのを聞いた。思い出すとドキドキする。
ああ、いけない。せっかく落ち着いた数値が乱れてしまう。
相手の様子を見るかぎり、目立った変化はなかったらしい。彼はこちらの言葉に照れた表情を浮かべた。
「俺のなんて、芝辻さんの気持ちが楽になるなら、どんどん踏み台にしてくれれば」
その表現に私は笑った。
「うん。遠慮なく犠牲になってもらう」
この日は和やかな空気だった。
だが翌朝、竹若くんがひどく気まずそうな顔をした。懸命に取り繕おうとするけれど、哀しいかな、彼は嘘がつけない人だ。
『ステータスが見える』という事実を知る前なら、気付かなかったかもしれない。今は相手を注意深く窺うから、おかしいと分かった。
ストレートに尋ねる。
「なにか変なら言って。私は見えないから、教えもらわないとどうしようもないの」
「問題があるのは芝辻さんじゃなくて――」
彼は周囲に目を配ってから、「ここじゃちょっと」と言葉を濁した。
昼に二人で屋上へ出る。
突然、竹若くんがこちらに頭を下げた。
「ごめんなさい! 昨夜、してしまいました!」
いきなりの告白に戸惑ったけれど、これまでの経緯を思えば、『なにをした』かは目星がつく。
「えぇと、その……一人エッチ?」
「……うん。いけないことだと分かってたのに、我慢できなくて」
「べつに、我慢する必要も謝る必要もなくない? 一昨日は私がしたんだし」
「行為自体はおかしくない、と思う。ただ昨夜の俺は――」
彼はチラッとこちらを見て、自責の表情になった。
「一昨日どんなふうにしたんだろう、って考えたら収まりがつかなくなって……」
「え? つまり、私の一人エッチを想像して興奮しちゃった?」
竹若くんが、いたたまれない顔で小さくうなずいた。
私はとっさに言葉が出ない。
相手を軽蔑するより、よく私でお役に立てたなぁ、と驚いた。だって色っぽくないし、庇護欲を掻きたてるかわいらしさもない。
だから、当人から申告されても現実感がなかった。
「竹若くんって、なんでもいける口なんだ」
「どういう意味?」
「私なんて、オカ……えぇと、『そういうときの燃料』としては火の付きが悪そうだなぁって」
回りくどい言い方をしたせいか、竹若くんは考え込む面持ちをしてから、また不意に赤くなった。
「一応、言っておくと、常日頃から芝辻さんを性的な目で見てるわけじゃないんだ」
「そりゃそうでしょ」
即答すると、彼が拍子抜けの様子になった。
次いで、困り顔に変わる。
「でもこういう状況だと、女性として意識するときもあって。数値が一晩で落ち着いたのを見ると、つい想像してしまうんだ! 俺が頼んで『してもらってる』のに、興奮するなんて、本末転倒っていうか、いよいよ変態の道を歩み始めたっていうか!」
「お、落ち着いて、竹若くん」
「終わってる。鈍器で殴って、いっそ亡き者にしてほしい……」
「ごめん。こんな恥ずかしい理由で犯罪者になりたくない」
「まったくもって正論だね」
落ち込みまくる相手を前に、私はさげすむ気持ちにならなかった。
「竹若くんがトイレで『した』でしょ? あのあと数値が上がったじゃない? 私も、エッチな空気になって平然としていられるほど、大人にはなれない。興奮するほうが自然だと思う」
竹若くんが驚いた目をこちらに向ける。
ステータスで、本心だと伝わるのがありがたい。こういうとき、言葉でいくら慰めても、なかなか素直に受け取ってもらえないだろう。
「こんな状況でヤケにならずにいられるのは、あなたが私を否定しないから。竹若くんも思いつめないでほしい。っていうか、気兼ねせずに発散して。忍耐を強いる関係にしかなれないなら、会社を辞めたくなっちゃう」
彼がおそるおそる尋ねた。
「俺に嫌気がさしてない?」
私は「分かってるくせに」と、にっこり笑った。
すると竹若くんが安堵のため息をついた。
「はぁあ~、よかった。芝辻さんマジ神さま」
「なにそれ」
「『我、汝の罪を赦す』って言ってもらえた感じ」
「大げさだなぁ」
彼はかすかな笑みを浮かべたあと、付け加えた。
「あ、でもひとつ申し訳ない」
「え?」
「グレーゾーンに戻ってる」
「……嘘っ!」
「俺がよけいな話をしたからか。そうなる可能性まで考えが及ばなかった」
認めたくはないが、竹若くんが私の一人エッチを想像して自分で慰めた、という話は、十二分に刺激的だったらしい。
たしかにドキドキした。分かりやすく数値に反映する自分が恨めしい。
ガックリきていると、彼も悩む。
「これ、ループにハマってるな。日替わりになる」
そうか。私が今夜、一人エッチをしたら、明日それを知った竹若くんは刺激を受ける。交互に続いていく。
そのうち、私の『波』が落ち着く時期が来るとはいえ。
というか、今回の期間がいやに長い。体調その他にもよるだろうが、おもな原因はこんな会話をしているからだと思う。
対策を立てるつもりが、逆効果。私は途方に暮れる。
「物理的な距離をとるしかないのかな……」
最終手段だが、ほかの道が思いつかない。
竹若くんは難しい表情だったが、励ます口調で言った。
「手がないか考えるよ。すこし時間をくれないかな」
「……うん」
私は平気な顔をしようとしたが、彼には通用しないと気付く。
これから先が見えない。けれど、不安を汲み取ってもらえたことで心がすこし慰められた。
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