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ステータスが丸見えで
その日、私は隣の席の同僚である竹若くんに声をかけられた。
「芝辻さんに頼みがあるんだけど」
まるで『意を決した』という相手の様子に戸惑いつつ、了承する。
廊下を先行する彼についていきながら、どういう内容だろうと首を傾げる。会社の屋上で二人きりになり、「まさか告白?」と考えてから、我ながら自意識過剰な想像だと呆れた。
振り返る竹若くんが、今度は困り果てた表情になる。口を開きかけてはためらう、ということを繰り返す。
やがて、諦めたような息をついて尋ねてきた。
「芝辻さんって彼氏いる?」
「えっ、いないけど……」
この流れは本当に!? と動揺していると、彼は難しい顔をした。
「困ったな」
ん? 困った?
私に彼氏がいないと都合が悪いってこと?
竹若くんは打ちひしがれた様子でひとりごちた。
「やっぱりお願いしないといけないのか……」
「なにを?」
彼は改めて真剣な目を向け、キッパリ告げた。
「家で一人エッチをしてきてほしい!」
「…………はい?」
顔を赤らめる竹若くんを前に、私は完全に思考停止した。
私こと芝辻藍子は、とある会社で働いている。
仕事に就いて四年目の、新人から中堅に差し掛かったところ。未熟な部分はたくさんあるが、なんとかがんばっている。
竹若くんは同期で、ひとつの課に揃って配属された。もちろん、ただの同僚だ。恋人ではなく、元カレでもない。
『爽やか好青年』を絵に描いたような人で、初め、私は気後れした。だが誰にでも分け隔てなく接する彼と、今では普通に会話し、ときどきは雑談も交える。
けれど、突っ込んだプライベートな話なんてしない。
彼に関しては、ひとつだけ気になる点がある。それは私への態度に波があるところだ。
ある日は心配そうに「疲れてるみたいだね。無理しないで」とねぎらってくる。またべつの日は、話しかけると気まずそうに目を逸らされる。
しかし二、三日たてば普通の態度に戻る。
毎日顔を合わせるから、仕事の齟齬が生まれたり、相手が疲れていたりするときもあるだろう。ただ竹若くんは、ほかの人に対しては変わらないのに、私にだけ違いがある気がする。
だからといって険悪になるわけではないし、仕事にもまったく影響はない。なので、深く考えるまいと自分に言い聞かせていた。
それなのに。
「一人エッチをしてきてほしい」
なぜこんな、とんでもない頼みごとをされるのだろう?
竹若くんが申し訳なさそうな顔をする。だが、それぐらいで不適切な発言は帳消しにならない。
彼は好青年という印象を与えておきながら、じつはセクハラする人だったのか? なんとなく裏切られた気分になる。
私はハッキリと軽蔑の目を向けた。
すると相手はあわてた様子で、手を左右に振った。
「あっ、違う、これは俺の性癖を満たすとかじゃなくて! 分かってる、無茶苦茶なお願いだってことは。けど、そうでもしないと……限界なんだ」
唇を噛んだあと、懺悔するように床に視線を落とした。いっぱいいっぱい、という感じで、非常識な内容を口にしている自覚はあるらしい。
私はわずかに冷静になった。
「なにが限界なの?」
聞かなかったことにしたいけれど、どのみち気まずい。もうすこし話をしてみよう。
竹若くんはこちらを見てかぁああっと赤面し、パッと頭を下げた。
「ごめん! 芝辻さんもエロいことするのか、とつい妄想しました! ほんと俺は最低だ……。いっそ殴ってほしい」
そんな告白を受けるとは思わず、私は後ずさりした。
普段から平気で猥談する男性ならともかく、爽やかな彼に言われると落差がひどい。頭の中でうまく処理できなくて、聞き間違えかな、と自分を疑ってしまう。
「つまり、私を見ていやらしいことを考えた? それとも、竹若くんって女性にいつもそんな目を向けるの?」
「いや、芝辻さんだけ! あ、えぇと違くて、そういうときは!」
私がさらに冷ややかな顔をすると、竹若くんは自分がどんどん泥沼にハマっていることに気付いたようだ。
頭に手をやって深々とため息をつく。
「俺、メチャクチャ気持ち悪いやつになってる……」
否定できないので、私は黙っていた。
すると彼は自嘲の笑みを浮かべてから、チラッとこちらの頭上に視線を向け、観念した表情で私を見つめた。
「信じられないだろうけど、俺は分かってしまうんだ。芝辻さんの……その……性欲が高まってることが」
たっぷり間を置いてから、私は一言だけ発した。
「はい?」
竹若くんはまた勢いよく頭を下げた。
「ほんとごめん! どうしてか分からないけど、見えてしまうんだ! 数値が高まるとドキドキして……。一種のセクハラだと思う、すいませんでした!」
とりあえず、彼の言っていることが理解できない。冗談にしたって突拍子がなさすぎる。情報の整理が必要だ。
頭の隅で、逃げたほうがいい、という警告が聞こえたけれど。
「ぜんぜん理解が追いつかない」
竹若くんは頭を上げてこちらの反応を窺う。
「説明するから聞いてくれる?」
内容によるなぁと思いつつ、私はうなずいた。
彼はひとまずホッとして、緊張していた肩をわずかにゆるめた。
「芝辻さんってゲームしたことある?」
これまた予想外の質問だ。
「中高生のころはそれなりに」
「じゃあ、RPGやシミュレーションに出てくる『ステータス』って言って通じる?」
「えぇと、体力とか魔力とか攻撃力とか?」
「そう、数字やバーで表示されるアレ」
なんの関係があるんだろう、と悩んでいると、竹若くんは言いづらそうに口にした。
「芝辻さんのステータスが見えるんだ。なぜか」
「……本当に?」
「頭の上にデータが表示されてる。いくつか項目があって、横にバーが伸びてるから一目で状態が分かる」
彼がこちらの頭上を見たので、私も空を仰いだ。当然、そんなものは見当たらない。
ステータス(らしきもの)を眺めながら竹若くんが指摘した。
「体力は金曜に落ちてたけど、土日ゆっくりしたのかな? 元気になってる。判断力も冴えてる。心は……やっぱり動揺してるか。俺がこんな話をしたせいだね」
土日はちょっと買い物に出かけたぐらいで、掃除や洗濯を済ませたあと、のんびり映画を楽しんだ。家で過ごすことが好きな私にとって、最高の週末である。
けれど、彼にそんな話はしていない。
ただ、これぐらいではステータスが見える証拠にはならない。注意深く相手を観察すれば分かりそうだ。
私が信用しかねる顔を向けると、竹若くんは苦笑した。そして気まずそうに視線を逸らす。
「データの中に、性欲って項目もあって……」
「……分かっちゃうの?」
彼の横顔が小さくうなずいた。
それが本当なら、私の状態は相手に筒抜けだ。体力や判断力はともかく、心や性欲まで!?
「じょ、冗談だよね、手の込んだ。プロファイリングをかじったとか。だったら、ある程度のことは分かってもおかしくは――」
けれど竹若くんはかぶりを振った。
「俺の観察力は普通だよ。隣の席だから、いつもより元気ない、ぐらいなら気付くかもしれない。でも、さすがに性欲の変動は……。あと、あらゆる数値が一気に下がるから、いつ生理が来たのかも。……ごめん」
私はガツンと衝撃を受ける。
異性の同僚に、性欲や生理といった情報がダダ洩れとか、あんまりだ。
「なにそれ……なにそれ。竹若くんにそんなことがバレてるなんて……死ねる!」
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