陽炎の弟子/序幕

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陽炎の弟子/序幕

   襟詰め軍衣を着て、軍帽を被り、雑嚢(ざつのう)を肩から下げ、風呂敷と柳織(やなぎおり)(かばん)を持った若者たちが各々の決意を秘め、門をくぐっていく。  彼らの瞳は、期待に満ちた光で輝いていた。  だが、そんな彼らとは対照的に門の前で立ち尽くす少女がいた。 「……とうとう、この日が来てしまった」  その独り言は、さながら『人生、最悪の日!』と訴えんばかりだ。  少女の名は日暮(ひぐらし) (そら)。夕焼けのような髪と栗色の大きな瞳を持った十七歳(数え年表記。現在、満十五歳)。  今日、彼女も周囲にいる若者たちと同様、新たな第一歩を歩み始める一人だ。  しかし、日暮がこの日を喜べないのには理由がある。  原因は、手にしている封筒。中には、入隊書が入っている。  だがそれは、ただの入隊書ではない。  指名配属を意味する入隊書――通称『赤紙』である。  指名配属とは、隊長もしくは副隊長指名による強制配属を意味する。それを手にすることは、軍人として名誉あることなのだ。  日暮が所属する衛生部は入学から六年後の二次修了、入学から九年後の最終修了で配属されることが多い兵科だ(ただし、満年齢二十歳を超える年齢になる場合は三年後、六年後であっても最終修了という形となる)。  そのため、衛生部では士官候補生を一次修了(入学から三年後)するということは、指名配属を約束されたのも同然なのだ。  当初、受け取った日暮も大喜びした。  憧れの陸番隊(ろくばんたい)白薬(びゃくやく)〟で、夢への第一歩を踏み出せる! と思っていたからだ。  そして、いざ! と蓋を開けてみると……これが大外れ。 『衛生部士官候補生・日暮 空殿(どの)  貴殿ヲ隊長・副隊長指名ニヨリ、八色(はちしき)蟲隊(ちゅうたい)肆番隊(よんばんたい)黒剣(こくけん)″ニ配属トス』  それは、最前線を担う八色蟲隊の『絶対なる(ほこ)』――『八色蟲隊の棺桶(かんおけ)』。大きな戦いがない今は、左遷(させん)先にも等しい隊からのご指名だった。  当然、納得できなかった。  日暮はすぐさま士官学校長のもとへと向かった。  校長室に着くなり、ノックもせず、扉を勢いよく開ける。 「な、なんだね! きみ!」 「どういうことですか!?」  机に両手を叩きつけ、ふくよかな顔に似合わない立派なカイゼル(ひげ)の学校長に詰め寄る。 「最前線を任される肆番隊の隊長と副隊長からの指名配属なんて、おかしいです! 取り下げてください!」  訴える日暮。対し、学校長はこの不躾な来訪者に驚きつつ、用件を尋ねた。 「な、なにが不満なのかね?」 「自分は衛生兵です! 本来、陸番隊(ろくばんたい)に配属されるのが筋ではないのですか!?」 「しかし、隊長と副隊長――両名からの指名配属など、初めてなのだぞ!」  学校長の言うとおり、これは士官学校始まって以来の〝偉業〟とも言うべきことなのである。  だが残念なことに、それを成し遂げた本人には、自覚および興味がなかった。  彼女が言いたいことは、ただひとつ。 「配属先が陸番隊でなければ、そんな名誉など、当然です!」  学校長は激昂した。 「ふざけるな! 歴史上初の偉業を『ごみくず当然』とは何事だ!」  日暮は思わず、たじろいだ。  学校長の顔は怒りで真っ赤に染まり、青筋も立っている。 「そもそも、突然やってきて! なんだね、その物言いは!? 無礼にもほどがある!」 「も、申し訳ありません……」  あまりの剣幕に、日暮はとっさに謝罪するが、時すでに遅し。 「出て行け!」  と追い出されてしまった。  当然ながら、指名配属が取り消されることはなく、一次修了は確定である。  かくして、『隊長・副隊長両名からの指名配属された女士官候補生』、『学校長を憤慨させた女士官候補生』という噂は衛生部のみならず、各兵科に瞬く間に広がり、日暮は士官学校で有名人となってしまったのだ。  羨望、嫉妬の眼差しも当然ながら、軍の前線を担う歩兵科(ほへいか)砲兵科(ほうへいか)騎兵科(きへいか)の男たちから「お前は隊長と副隊長の女なのかよ」と暴言を吐かれる始末。  選良(エリート)意識の高い憲兵科(けんぺいか)に至っては、日暮を見かけるたび、「汚らわしい!」と言わんばかりに顔をしかめるのである。  地獄のような日々が過ぎていき、修了式――入隊式を迎えることに怯えていた日暮に、ある知らせが舞い込んだ。同期であり、親友である磯崎(いそざき)千鶴子(ちづこ)肆番隊(よんばんたい)に指名配属されることを、本人の口から聞かされたのである。  青天の霹靂だった。  なぜなら、彼女は衛生部の主席であり、 「上羽(あげは)の弟子になること間違いなしだな!」  教官も太鼓判を押すほどの才女だからだ。日暮のみならず、同期生たちも磯崎は陸番隊の指名配属で一次修了するだろう、と思っていた。  だが、この知らせは衝撃を与えただけではない。 (とりあえず、がんばってみよう。ちぃちゃんと一緒なら……だいじょうぶ)  日暮にわずかな光明を見出させ、奮い立たせたのであった。 (……いろいろ、あったなぁ) 「ひぐらしちゃん」  感慨にふける日暮を親友――磯崎が呼ぶ。  肩口で真っ直ぐ切り揃えられた黒髪と優しさに満ちた瞳を持つ彼女の表情は、不安と期待がないまぜになっている。だが、その目に今は、揺るぎない強さを持っている。 「行こう」 「うん! ちぃちゃん」  日暮は自然と笑みを浮かべた。  四都(しと)(れき)一九四一年、四月。  二人の少女は、八色蟲隊の入隊式に臨むのであった。
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