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【続編】小指にも魔法
どこへ行きやがったと、いかにも悪そうな低い声が聞こえて、俺は身をすくませた。
隣には俺と同じく小さくなって震えている男がいる。二人で建物の間に隠れて、追手をやり過ごそうと息を殺した。
しばらくして辺りが静かになったので、俺は気が抜けて息を吐いた後、地面に崩れ落ちた。
「すいませんすいませんすいません」
「……もう、いいですって」
「涼介さん。本当に…なんと言っていいのか……」
こんな事に巻き込んでと、ただでさえ小さい声は最後の方に蚊の鳴くような声になって消えていった。
俺の隣で体育座りをして顔面蒼白になっている男、福田良男の顔を見ながら俺はため息をついた。
雑居ビルの壁に背中をもたれて、これからどうするかと思いながら、ひどい一日を思い出していた。
婚約者を紹介するからと女友達の結菜に言われて、良男と会ったのがひと月前。
大学を卒業後結婚を控えている二人は、誰が見てもお似合いの幸せそうなオーラを放って……。
そう思い込みながら、待ち合わせのレストランに着いた俺が、初対面の良男に会って初めて持った印象は、幸薄そうな人だった。
歳は25歳だと聞いていた。
社会人として少し落ち着いた頃の雰囲気を想像していたが、高校生と言われても通用しそうな、ひょろっと細くて背も小さい男だった。大人しそうな顔立ちで、目元に影があり青白い顔が特徴的だった。
正直、大輪の花のような明るさと華やかな美貌を持つ結菜とお似合いかと言われたら、言葉に詰まるがそこは二人の世界だ。
結菜が好きになった人なら、優しくていい人なのだろう。俺は全力で応援しようと、初めましてよろしくお願いしますと明るく挨拶をした。
おまけに、熱い握手を交わそうと手まで差し出してみた。
俺をチラリと見た良男は、小さくどうもと声を出してから下を向いてしまい、すぐグラスに入ったオレンジジュースをちゅうちゅうと飲み始めてしまった。
目が点になっている俺に向かって結菜は、ヨッシーはちょっと人見知りなんだと言って困ったように微笑んだ。
俺は伸ばした手をぎこちなく戻した後、頭をかいてごまかすように笑った。
それが良男との初対面だった。
人見知りと言えば聞こえがいい。
良男は人とのコミュニケーションが苦手なタイプで、仕事はSE。四六時中パソコンと向き合って人と話すことはほとんどないと言われた。
話す時も結菜を介して会話が進むという、なんとも重苦しい時間だった。
結菜は大丈夫かと心配しかなかったが、それでも結菜が選んだ相手にケチを付けるわけにいかない。二人で話す時はちゃんと目を見て話しているので、そういうものかと納得するようにした。
会話も少なかったし、きっと向こうは俺のことなんて、記憶にも残っていないくらいどうでもいいだろうと思った。
次に会うのは結婚式かな、なんて思いながらその日はお開きになった。
だから、まさかこんな所で再会するなんて思ってもいなかった。
「次は夏用のメイクのポイントです。最近はナチュラルなものが流行っていますが、夏はせっかく開放的な気分になるのですから、メイクも少し盛り上げていきましょう」
モデルの女の子の目元に、濃い色を載せると会場からは小さく驚きの声が上がった。
ここからが腕の見せ所と、俺は指で伸ばしながら肌に馴染む色を加えて自然な発色を作り上げた。
まるでパレットなしで直接キャンバスに色を塗るみたいな、この緊張する瞬間が好きだ。
あっという間に、夏らしい爽やかな色合いの目元が完成して、会場から拍手が起こった。
これは俺のユーキとしての仕事である、メイク講座のイベントだ。商業施設の会場で行われていて、この様子は生配信されている。
会場での参加者には、俺が開発に携わったメイク道具のサンプルをプレゼントしていて、毎回抽選になるほど好評だ。
趣味であった女装は今や俺のライフワーク、仕事として順調に伸びている。
ユーキとして完全に人前に出ているので、顔も公になっているが、普段の顔と違いすぎるのか大学へ通うのに問題はない。
何となく気づいている人もいるかもしれないが、誰も何も言って来ない。
一応ユーキは性別年齢非公開でやっているが、世間的に男だということは知られている。だからこそ、話題性で人気が出た部分が大きい。
大学はもうすぐ卒業だが、小さいがすでに自分の会社を立ち上げているので、卒業後もこの道を続けようと思っているところだった。
もちろん自分一人の力でここまでは来られなかった。
俺を理解して、丸ごと愛してくれる男、恋人の存在が一番大きい。
その恋人の姿が見えない事に、少しだけ寂しく思いながら、俺はモデルの子のメイクを完成させる事に専念した。
今日の俺は赤いワンピースに黒いストレートのロングヘア。
メイクもワンピースの赤に負けないように、目尻に赤いラインを足している。
早速ネット配信の方から、今日のメイクの質問があったので、丁寧に答えていけば、一時間の講座はあっという間だった。
「お疲れ様です。ユーキさん、お客様がいらしているみたいですけど……」
イベントが終わり、会場の片付けをしていたら背中にスタッフの子の声がかかった。
途端に心臓が揺れて、俺の気持ちは一気に急浮上した。
間に合わないと聞いていたが、やはりサプライズが好きな男だと思いながら口元が綻んだ。
同棲中の恋人、黒崎奏は、会社を何社も持っていて忙しい人だが、俺のイベントはいつも欠かさず見に来てくれる。
だが、今回は定期的にあるアフリカのプロジェクトの関係で、電波の通じないジャングルの奥地へ出張中だった。
日本を発って三週間。一週間前に連絡が来た時には、天候が悪くて仕事が進まず、帰りが伸びそうだと聞いていた。
伸びずに済んだのだと嬉しくなりながら、スタッフ用の入り口まで行ってみると、そこに驚きの光景があって、思わず手を挙げたまま固まってしまった。
「えっ………」
前回見た時の青白い顔をもっと青くさせた、良男の姿がそこにあった。
マネキンのように直立不動で立っているので、一瞬幻かと目を擦ったほどだった。
良男は俺と目が合うと深々と一礼してきたので、こちらも慌てて頭を下げた。
「少しだけ、お時間をいただけませんか?」
相変わらず、口が開いているのか開いていないのか分からないくらいの小声で、良男は語りかけてきた。
スタッフが何事かとチラチラ見てくるので、ずっと脱力してはいられない。仕方なく近くのカフェに入る事になった。
「前回は失礼な態度をとって、すみませんでした!!」
席に着いて、コーヒーをちゃんと一口飲んだ後、机の上にスペースを作って、良男は頭を下げてきた。
「や…やめてください。特に気にもしてないですから……」
「いえ! 結菜からいつも話を聞いていて、男だし女装なんて嘘で、絶対結菜に気があるだろうと誤解していました!」
きっとそうだろうなと思っていたが、普段の会話は声が小さいのに、謝る時は逆に大き過ぎて、周りの客からうるさいぞという目で睨まれてしまった。
「あ…あの、分かりましたから…。落ち着いてください。俺の方が年下ですし、そんなに気を使わなくても……」
「そんな事を仰らないでください!! 今日のイベントを拝見して驚きました! 本当に美しくて、とても男だなんて思えなくて感動しました!」
「あ…あー……はははっ……」
真っ青な顔は真っ赤な顔になって、鼻息荒く感動を伝えてくれたのだが、周りの客は耳がダンボになっているし、あれが男かという視線がガンガン送られてきて、泣きたくなった。
「失礼な態度をとったくせに、こんなお願いをすることになって申し訳ございません」
「はあ…。え? お願い…ですか?」
いきなり話が飛んで、お願いと言われたのでポカンとして目を瞬かせた。
ほぼ初対面に近い俺に何をお願いしたいのか、想像もつかなかった。
「実は……私、変な女性に好かれる事が多くて……」
「はぁ!?」
「あっ、結菜は違うんですよ。彼女は私の唯一女神のような存在で…、そうじゃなくて、別の…勝手に相手から好かれる方で……、過去にもメンヘラなストーカーとか、霊媒体質の女の子とか……。何もしていないつもりなんですけど、寄ってくるんです」
男から見ると魅力というのがいまいち分からないのだが、女性にモテるというヤツはいる。良男もそういうタイプだろう。
弱々しく見えるが、逆に言うと庇護欲を誘う、暗そうだがミステリアス、そんな言葉が当てはまりそうだった。
「単刀直入に言います! 涼介さん! 私の婚約者のフリをしてください!」
「ええっ!!」
周囲の客からも同じ驚きの声が上がりそうだったが、いったいどういう事なのか、嫌な予感しかしなくて変な汗が背中にぽたりと流れた。
コーヒーも二杯目に入って、やっと話の流れが見えてきた。
「ええと……それじゃあ、その極道の家のお嬢さんを納得させる事ができればいいですか?」
「はい…そうなんです」
良男はすっかり意気消沈して小さい声で返事をした。
良男の話はこうだった。
良男が仕事帰り横断歩道を歩いていたら、たまたま隣で転んだ女性がいて、手を貸して歩道まで連れて行ってあげた。
その女性からお礼がしたいと言われて、断りきれずに連絡先を教えたのが始まり。
ただのお礼だけではなく、熱烈なアプローチを受けるようになり、会社まで来て待ち伏せまでされるようになってしまった。
最初の段階で婚約者がいるからと言ってあったが、構わずアプローチしてくるので、再度婚約者の話をして諦めてくれるように説得しようとした。
するとそこで、彼女が実は極道の組長の娘であったことが発覚した。そしてお嬢の気持ちを弄んだと組長がお怒りで、しかも婚約者を連れてきて納得できるように説明しろと迫られているらしい。
当然そんな危険なところへ結菜を連れて行けるはずもなく、良男は困り果てていた。
「で、俺なら男だし、何かあっても大丈夫そうだなと依頼したというわけですか?」
「そ…そうですが、涼介さんの圧倒的な美しさにこれならきっと向こうもビックリして、納得してくれるかなと思ったのです!」
「……………」
とてもいい思いつきには思えなかった。その場しのぎで、後から別の人と交際していることが発覚したらどうなるかと思ったが、それならそれでいいらしい。
「その辺りはどうとでもなるじゃないですか。運命の人に出会ったとか言って」
俺が懸念を示し出すと、良男は急に饒舌になって調子を取り戻してきた。
「結菜には説明するんですか?」
「終わってから話します。今作品制作でアトリエにこもっていて…邪魔したくないんですよ」
「ああ、二地展ですか……」
結菜は趣味で始めた油絵の才能が開花して、すでに何度か展覧会で賞を取っている。
今は近々開催される展覧会に向けて、作品作りに集中していた。
「お願いです! 私が話をするので、横にいていただけるだけでいいですから!」
正直誰もがその手の方々と関わりたくないだろう。一度関わったら困る事になるのではないかと断りたい気持ちしかない。
しかし、この男は良くしてくれている結菜のパートナー、机の上で組まれた手がぶるぶると震えるところを見てしまったら、俺の気持ちはぐらぐらと揺れてしまった。
「はあ………。一度だけ、横に付いているだけで、何もしませんよ」
「涼介さん!! なんて…良い方なんだ! 神様! 仏様!」
泣き出した良男に神仏を拝むみたいに手を合わせられて、気まずい気持ちで苦笑いしか出来なかった。
良男が変な女性に好かれやすいなら、元カレ含め俺は変な男に絡まれやすいのかもしれない。
嫌なことはさっさと終わらせようと、翌日、俺は完全武装をして、良男と並んで黒塗りのベンツが並ぶいかにもな日本家屋の前に立った。
「今日行くことは伝えてあるんですよね」
「だ…大丈夫です。連絡しました。待っていると言われています」
すでに挙動不審になっている良男が俺のことを見上げてきた。
ヒールを履いている俺の方が良男より背が高いからだ。
「涼介さん、お人形さんみたいです。きっと大丈夫だと思います」
着物でも着てやろうかと思ったが、何かあって動けないと困るので洋装にした。
清楚をテーマに、白い小花柄のワンピース、白いレースのタイツに白のパンプス。髪の毛は黒のミディアムボブ、前髪の厚いウィッグを装着した。
メイクはナチュラルかつエレガントに、目元だけ雰囲気に負けないように強調した。
ガラガラと音を立てて戸が開いて、スキンヘッドで黒いグラサンにブラックスーツのこれまたいかにもな男が出てきた。
ごくっと喉を鳴らす音が聞こえて、良男がすでに飲まれているのを横で感じた。
入れと顎で促されて、二人して一気に緊張の面持ちになってガチガチになって男の後に続いた。
何十畳か分からないくらい広い、畳敷きの立派な日本家屋に、本格的な日本庭園、さらさらと水が流れる音に続いて、カンっと弾けるようなししおどしの音が響き渡った。
そんな場違いな環境に、小さくなった男が二人身を寄せ合って正座していた。
こんなに怯えているのにはワケがある。目の前には閻魔大王みたいなでかい男が胡座を組んで座っているのだ。
極太眉に三白眼、色黒でパンチパーマで、年は重ねているようだが、ムキムキでかなりデカい男だった。
眉間に入った雷のような傷が、某魔法使いのようだが、可愛さは全くない。
彼が、良男に一目惚れした桜子お嬢様のパパ。山嵐組、組長の斬十郎氏だ。
「それで、貴方が福田の婚約者なのか?」
ギロリと効果音でもなりそうなくらい強い目線が俺に注がれて、ビクッと肩を揺らしながら、そうですと答えた。
「婚約者とはどこで知り合ったんだ?」
続いた質問に良男はなかなか答えない。
横目に見ると、お得意の顔面蒼白に、目はどこかへ行っていて口は半開きになって魂が抜けていた。
「同じ職場の先輩後輩で、私の指導係として知り合いました」
この野郎と思いながら、渋々俺が答える事になった。
「桜子によく聞いたが、弄んだと言うのは大袈裟だと分かった。それでも桜子の気持ちを考えたら、父親としてお願いしないといけない。無理を承知だが、この女性と別れて桜子と付き合ってくれないか?」
とてもお願いとは思えない強めのテンションで、斬十郎氏は斬り込んできた。
魂が抜けている良男だが、ここはハッキリしないといけない。
膝でガンガンついてやったら、やっと正気に戻った。
「むむむ…無理です」
良男が消え入りそうな小さな声で答えると、ああ? と強い返しが飛んできて、良男が若干ボリュームを上げて、無理ですと繰り返した。
「あああ…やっぱり……。あんなお綺麗な婚約者様を連れていた瞬間に分かりました。桜子の想いは叶わないのですね」
斬十郎パパの横に座っていて、今までずっと黙っていたパパ似の三白眼が麗しい桜子お嬢様が、顔に手を当てて泣き出した。
桜子お嬢様は、ちょっと強そうではあるが美人だと言える。ただメイクがどうしたのかと思うほど濃いので迫力がありすぎるのだ。
こんな対面でなければ、ぜひメイクさせて欲しい人材だった。
俺が商売欲を出している中、斬十郎パパは泣き出した桜子の背中を撫でて、可哀想にと大きな声を出した。
「大切に育てたうちの桜子を傷つけるなんて! ろくに話もしないし態度も悪すぎる! なんて男なんだ! 許さん!」
ちょっと考え方が強引すぎるだろうと驚いたが、元から常識が通用する連中ではない。しかし、良男の態度もたしかに煮え切らず、ハッキリしないので、それが桜子を勘違いさせたというのは想像ができた。
「いいえ…、私が悪いのです。こんな顔だから…、みんなから嫌われて……、こんな顔だから……この先も誰も私のことなんて……」
桜子の言葉を聞いて俺の胸に火が灯った。
ダメだと止める気持ちがなぎ倒されていき、気がついた時には立ち上がって前に歩き出していた。
「桜子さん。その台詞、二度と言えないように、私が貴方を変えてあげます」
俺はすっかり忘れていた。
俺自身が火がついたらやっかいな男だという事を。
視界の端で良男が目を見開いて、口をパクパクと魚のように開けているのが見えた。
「どうですか?」
「す…すごい! まるで魔法よ…。何がどうなったの? これが…本当に私…?」
鏡の前で目を大きく開いた桜子は、ベタベタとまるでピエロのようなメイクから、流行をおさえたナチュラルでかつ柔らかい印象のメイクに変わった。
父親譲りの極太眉を自然に変えた段階でもうこれは間違いないと確信していた。
斬十郎パパは目を潤ませているし、舎弟達も感嘆のため息を漏らしていた。
「ええ、これは魔法です。でも魔法使いじゃなくて誰でもできる魔法なんですよ。素顔であってもメイクをしてもそれは桜子さん、貴方で変わりないのです。だったら自信を持てる方がいいじゃないですか」
俺はメイク魂に火が付いて、桜子を鏡の前に座らせて化粧を落とし、一からやり直して見せた。
聞けば男所帯の中でこういったことは誰も知らず、独学でやっていたそうだ。
ザッと教えただけだが、桜子は涙を流して喜んでくれた。
「こんな顔、なんて言わないください。誰に何を言われても、自分を一番知っているのは自分、無理矢理自信を持つ必要はないですけど、好きになってください。他の誰よりも」
「そういうのって…ナルシストとかって言うんじゃないですか?」
「ナルシストの何が悪いんですか? 自分の顔が嫌いって言うより、好きって言う方が人生楽しいですよ。いいんですよ自分基準で」
ポカンとした顔が生まれたての雛のように見える。純粋な反応がまるで自分の妹のように思えて、つい桜子の髪を撫でてあげた。
良男の様子が気になってチラリと見ると、舎弟の間に埋もれながら正座をして固まっていた。
桜子も失恋を糧に、次の恋愛に繋げてほしいと思っていたら、頭を撫でていた手をガッと掴まれた。
「涼子、お姉さま……」
「え!?」
頭を撫でられて気分を害したのかと焦ったが、桜子はぐいぐい体を近づけてきた。
「私…、間違っていました。あんな粗チンくさい野郎のことをなぜ好きだったのか、完全に目が覚めましたわ…。真実の愛を見つけたからです」
「え…ま…まさか……」
「私に必要だったのは、人生を変えてくれるようなお方。性別なんて関係ありません! 涼子お姉様! 貴方です!」
頬を染めて完全に恋する乙女モードの目で顔を近づけられて、必死で止めているが、桜子は女とは思えない怪力で俺を押し倒して来た。
「ちょ…ちょっと! 困ります! 私…相手がいますから! あ…あの、組長さん、娘さんが…強引に…たった助けて……」
横でボケっと座っている斬十郎パパに娘のご乱行を止めてもらうように助けを求めたが、斬十郎パパはなぜか頬を染めて口元を緩ませていた。
「い……いい……」
娘と女装男の攻防が刺さったらしく、喜びだしたので唖然としてしまった。
「いい…、じゃねー! 止めろーー!!」
なんでこんな事になってしまったのか、もう少しで唇を奪われそうになってバタついていると、ずっと魂が抜けていた良男がスクっと立って息を大きく吸い込んだ。
「だああああああーーーーー! やーめーろーーーーー!!!!」
あの小声が標準装備の男のどこにそんな力があったのかと言うくらい、どデカイ声で良男が叫んだので、みんな驚いて呆気に取られて一瞬固まってしまった。
「今だ!!」
チャンスだと動いたのは良男だった。
桜子の下から俺を上手く取り出して、腕を掴んで全速力で走りだした。
「涼介さん、これはもう逃げるしかないです! とにかくどこかへ隠れましょう!」
後ろの方で、やっと気が付いたのか、追うのよと叫ぶ桜子の声が聞こえて俺は震え上がった。
さすがあの組長の子だ。間違いなくヤバすぎると、良男と一緒に顔面蒼白になりながら、屋敷を出て町を走り抜けた。
人混みに紛れて、隠れるのにちょうど良さそうな雑居ビルの間に身を潜めて、やっといったん落ち着いたところだった。
「本当にすみません、涼介さん」
「謝るのはいいから、逃げ出す方法を考えよう」
座り込んだら疲労が押し寄せて来て、このまま倒れそうだった。
散々な事態だが、自分も熱くなって暴走してしまったので、良男を責める事はできない。
「実は涼介さんが桜子さんのメイク中に、結菜に事情を話して助けを求めていたので、もうすぐ迎えが来ると思います。あんなに話が通じないとは思わなくて……」
そう言われて急いで自分のスマホを見たら、バッテリー切れで電源が落ちていた。
そういえば昨夜緊張で充電を忘れていたことを思い出した。きっと俺の方にも連絡が来ていたのだろう。結菜に申し訳なくなった。
「はあ…、何やってんだろう。結菜を巻き込みたくなくて、自分で解決しようとしたのに…結局頼る事になるなんて……情けない」
「…………」
良男は涙声になって頭を抱えた。彼なりにどうにか対処しようとしたのだと思うと、メソメソと泣く姿を放っておけなくなってしまった。
「ああーーもう! 情けなくてもいいじゃないか。カッコつけんなよ! 結菜はそういうお前も含めて好きなんだろう。もっと自信持ってよ。問題ばかりじゃ困るけど、好きなヤツに頼られるのはさ、悪くない……嬉しいもんだ」
結菜から良男はバカ真面目で、一人で抱え込むことがあると聞かされていた。
そういうところも好きだけど、もっと色々話して欲しいと…。
そのことを思い出して、余計かと思ったが敬語も忘れてつい口を挟んでしまった。
「あ…ありがとうございます」
良男は顔を上げてこちらを見てきた。涙と鼻水でひどい顔だった。
「……涼子さま」
「お前……殴られたいのか…」
調子に乗り出した良男の頭をゴツンとこづいたら、緊張が解けたのかおかしくなって二人で笑い出した。
狭いビルの間で男二人で何をやっているのか、久々に腹を抱えて笑ってしまった。
「あっ…メッセージ来ました! 大通りに車を停めているみたいです。行きましょう!」
変に和んでしまったところで、結菜から連絡が入ったので、気を引き締めた。
とにかく車まで逃げ切れれば、向こうもさすがに諦めてくれるだろう。
周りを確認しながらそっと動いて、俺と良男は人通りの多い大通りまで出る事に成功した。
結菜が車から出て手を振っているところを確認して、後もう少しでそこに到着するというところで、俺の腕が横からガッと強い力で掴まれた。
二の腕に食い込むような握力には覚えがある。つい先ほど俺を押し倒した怪力しか思い浮かばなかった。
「涼子おねーさまーー! どこへ行かれるのですか! 付き合っていただけるまで逃しませんーー!」
「あぁ…やっぱり……」
すでに到着した良男がこちらを振り返って、絶望の顔をしているのが見えた。
桜子に捕まってしまい、このまま屋敷まで連れて行かれて、あんなことやこんなことをされる想像で気が遠くなった。そんな時、視界にデカい人影が飛び込んできた。
俺と桜子の間に割り込んできて、俺を引き寄せた後、強引に唇を奪ってきた。
「んんっっ!!」
目にも止まらぬ速さだったので、気がついてから、抵抗しようと体に力を入れたところで、慣れた匂いを鼻で感じて一気に力が抜けてしまった。
お気に入りの香水、わずかに残った香りに汗が混じって、俺の最高に好きな香りだ。塞がれた唇に感じる熱さも忘れるはずがない。
肌にチクチクする髭の感触はあまり馴染みがないが、強引に入ってきた舌はいつもの動きで俺を誘ってくる。
「ぁ………ぁ……ん……ふっ……んん……」
俺の口内に舌を這わして、まるで全身舐め回されているかのかと錯覚するように、巧みに責め立てられたら、足に力が入らなくなる。
いつの間にか、桜子に掴まれていた腕は外れて、俺は割り込んできた男の胸にしっかりと捕らわれたまま、深いキスを受けて意識ごとトロンと溶けてしまった。
「悪いがお嬢さん、これは俺の大切な人だから、誰にも渡せない。それに、涼子なんて名前じゃない。涼太という名前で見た目は女だが、ちゃんと立派なモノが付いてる」
突然現れた男と俺がいきなり目の前で濃厚なキスをしたものだから、桜子は真っ赤になって口を開けたまま固まっていた。
俺を抱きしめているのは、三週間ぶりに会う恋人の奏だった。
「か…奏……、んっあっっ…」
奏は挑発するように俺の耳をベロリと舐めて、股間を撫でてきた。
すでに熱を持ち始めた下半身が甘い刺激で反応してしまい、俺はビクッと腰を揺らした。
「ちょっとそこー! 見てるだけで妊娠しそうなんだけど! 往来でやめてくださーい」
熱を持った頭の端で結菜の声が聞こえてきて、俺はやっと我に返った。
「涼介! 大丈夫!? 変なことに巻き込んでゴメンね。ヨッシーから連絡が入ってすぐ、慌ててるところに、黒崎さんからも涼介と取れないって電話が来たよ。それで合流して待っていたの」
「涼介、また充電を忘れたんだろう。まったく、俺がいないといつもこれだから……」
まだ何がどうなったのか、いまいち理解できていない俺はそのままにして、結菜と奏は桜子の前に立った。
「と言うわけで、桜子さん。うちの良男に関しては私が本物の婚約者でして、別れるつもりは全くないので諦めてください。まあ、なんか、良男はもう眼中になさそうですけど……」
「あ…あの、貴方が本当に涼子…涼介さんの恋人ですか? 二人は本当に付き合っていると…?」
結菜の言葉通り、桜子は結菜の方は全く見ずに興味もないという態度だった。代わりに奏と俺を交互に見て、頬を真っ赤なリンゴのように染めた。
「そうだ」
衝撃を受けたのか桜子は後ろに倒れて、飛んできた舎弟達が束になって受け止めた。
おじょーおじょーと放心状態の桜子を揺らしていた。
「い……いい……」
桜子が斬十郎パパと同じ反応をするので、俺は地面にツッコんで倒れそうになった。
「わ…わたくし……新しい世界に目覚めました……、涼介さん、ありがとうございます。私! 自分の心に従ってこの道を進んでいきますわ!」
よく分からないがお礼を言われた。桜子の瞳はギラギラと燃え出して、舎弟達に運ばれながら手を振って去って行った。
まるで嵐のようなお嬢様に完全に振り回された一日がやっと終わろうとしていた。
「はっ…ふっ……んんっ……ま…待って」
「だめだ、待てない……」
俺はエレベーターの中で、吐息さえも奪っていく激しい口付けを受けていた。
眼鏡は邪魔だとばかりに、奏はすでに自分で外してポケットにねじ込んでしまった。
まだ話したいことあるのに、奏は我慢できないと言って全然待ってくれない。
奏と初めて会った時も、こんな風に女装をしてエレベーターの中で夢中でキスをしたことを思い出した。
良男の偽婚約者の件は、お嬢の退場という事で、呆気なく終わりを告げた。
良男は結菜から散々説教されて、もっと頼ってくれと言って仲直りしていた。
奏は俺を巻き込んだと良男を歩道橋から吊るす勢いだったが、俺と結菜でなんとかなだめて、次はないぞと釘を刺して終わった。
良男は斬十郎と対面した時のように魂が抜けていたので、思わず笑ってしまった。
二人と別れて、さて帰ろうという事になったが、三週間ぶりに会えた奏と俺の熱が冷めるわけでもなく、車の中で始まってしまい、奏は近くのホテルに行くように指示を出した。
家まで待てないのは俺も一緒だったが、その前に色々と確認したいことがあってなんとか踏ん張っているのだ。
キスから逃れて、話をしようとする俺に、やっと奏が折れてくれた。
「……なんだ? 三十秒だ」
「だって……その格好……」
指摘せずにはいられなかった。
いつも完璧にスーツを着こなしている洗練された男が、サファリジャケットにハーフパンツ、顔には無精髭、おでこには変な丸い点が描かれているのだ。
「俺はジャングルの奥地に行ってそのまま飛行機に飛び乗って来たんだ。身綺麗にする暇なんてなかった。おでこの点は族長に英雄の印だと言われて付けられたんだ。ガイドの話だとひと月は取れないらしい」
耐えきれなくなって、ププっと噴き出してしまった。
急いで帰ってきてくれたのも嬉しいが、ワイルドな奏の姿を見られるなんて貴重かもしれない。
「あー可愛いな。俺の恋人はなんて可愛いんだろう。この点が似合うなんて、奏くらいだよ」
「……うるさい、そっくりそのままお返ししてやる。なんだ、その清純お嬢様スタイルは! 可愛すぎるじゃないか! これをあんな男のために……」
「へへっ…、まあ、確かにあれだけど、悪いやつじゃないよ」
「ヤツのことはどうでもいい。それより、あれを言ってくれないのか……?」
大きい体で捨てられた子犬みたいな目で見てくる奏が愛おしくてしょうがない。
俺はクスリと笑って、大型犬か狼を思わせる、立派なたてがみのような髪の毛を撫でてやった。
「おかえり、奏」
「ただいま、涼介」
そこでエレベーターが到着してドアが開いたが、すぐに降りることはできなかった。
また始まってしまったキスに、エレベーターのドアがいい加減にしろという音を立ててカシャンと閉まった。
上下を往復して、やっと部屋に着いたら、まずはお風呂だと奏は俺を持ち上げたままシャワーの下に放り込んだ。
「あーー! ウィッグにワンピース! お気に入りなのに!」
また買うからと俺の抗議を弾き飛ばして、奏は本当にワンピースのボタンも弾き飛ばして前を全開にしてきた。
詰め物を入れていたブラの前ホックを軽々と外して、俺のぺたんこの胸が露わになった。それを見て、ギラギラと興奮したような目になった奏が、胸の頂にかぶりついてきた。
「ああっ…! も…う……!」
本当はお気に入りのワンピースがぼろぼろになっても構わない。
久々の奏が与えてくれる快感に早く酔いしれたい。
風呂の壁に押し付けられて、乳首を舐めてはかじられた。いやいや言いながら、奏の頭を押し付けて俺は快感に喘いだ。
すぐに全裸になった奏は、そり立ったモノを俺の濡れてぺったりしたスカート中に入れてきた。
レースのタイツは引き千切られて、あの部分だけ露出している状態だ。
奏はすでに硬くなった俺のモノと一緒に擦り始めた。
「は……清純なワンピースの下に、こんな卑猥なモノを隠して…とんだ淫乱お嬢様だ」
「あ……あ……そ…そんなこと言って……、俺より興奮してギンギンじゃないか……」
「ああ…そうだ。もう興奮しておかしいくらいだ。会えない間、涼介の最新版のメイク講座の動画で抜いた。俺は変態だな」
「はっ…う……うそ……」
一番最近アップしたのは、プロデュースした化粧品の紹介動画で、俺の声と手元だけ映っているものだ。あれのどこにヌキポイントがあるのかよく分からない。あれでイケるのは奏だけだろう。
早く繋がりたいのか、用意してあったローションを俺の尻にドバドバとかけて、奏は後ろに指を入れて広げ始めた。
「キツいな…。俺は涼介の少し緩いくらいの後ろが好きなんだ。早くここにぶち込んでぐちゃぐちゃにしたい」
「あ……指いい…けど、奏……俺も……早く欲しい」
奏が後ろをほぐす間、ペニスを擦りあって、奏の唇に吸い付いた。
我慢できないのはお互い様。
余すところなく、全部繋がっていたかった。
そろそろいいかという声が聞こえたら、すでに体が疼いてたまらなかった俺は、自分から壁に手をついて尻を突き出した。
「奏…はやく……はや……来て」
「涼介……!」
獣のように身震いして、奏は十分にほぐれたそこに、突き入れるようにして、一気に貫いてきた。
「ああああああ!! いっ…っっ!!」
待ちに待った灼熱の塊を受けて、俺は押し出されるように発射してしまった。
壁に飛び散った白濁がシャワーにあたって、ぼたぽたと床に流れていった。
「挿れると同時にイクなんて、ずいぶん俺好みの体になったな」
「…ん…ぁぁ…かなで……欲し…」
「ああ、何度でもイかせてやる」
ローションの滑りを利用して、奏はゆっくりと抜き挿しを始めた。
最初はじりじりと煽るように腰を進めて、だんだん激しいピストンになって、俺は壁に頭を押し付けてブンブンと振りながら、喘ぐ声が止まらなかった。
「ぁあっ…、お…奥突いてぇ…奏の大きいのでトントンして…んっっ…ああ…そこ…そこいいっっ!!」
「ああ…俺…も、いい…涼介……そんなに…締めるな…」
奥を突かれる度に、気持ち良すぎてぎゅうぎゅう締め付けてしまう。俺はよだれを垂らしながら、搾り取るようにして中に熱が放たれるのを待った。
「奏…すき……奏の…欲しい…いっぱい、俺の中に…出して…熱いの…いっぱい…ほし…」
「あーもう、涼介エロ過ぎて耐えれない。くっっ…出すぞ…」
ガンガンと体が持ち上がるくらい後ろから打ち付けていた奏が、詰めた声を出して俺の中に放った。
ドクドクと揺れながら長く続く射精を震えながら受け止めた。気がつけば浴室の壁に擦られて、俺もまた達していた。
「涼介…好きだ……愛してる」
「んっ……奏……俺も」
ぬるいシャワーを浴びながら、冷めることのない熱が二人を包んでいた。
「わぁぁ! すごい良い眺め! これ堪能しないのもったいないよ」
ホテルの部屋には夜景の見えるジャグジールームが付いていて、俺はハシャギながら空っぽの浴槽に飛び込んで、窓に顔を貼り付けた。
すでにシャワールームで綺麗になったので、メイクも全部落ちてバスローブでのリラックススタイルになっている。
あのワンピースはもう着て帰れないので、代わりのものを電話で頼んだところだった。
「うわぁ…あそこの屋上って遊園地みたいになってる! 奏、見ろよー」
「夜景なんて家からでも見えるだろう」
俺の横からずいっと顔を出した奏は、髭も剃って、ワイルドからすっかり涼しげなイケメンに戻ったが、無感動だったので俺はムッとした顔になった。
「これだから雲の上で暮らしてきたヤツは困るよなぁ。この最高の眺めをつまらなく思えるなんて」
「俺はこっちの眺めの方が好きだ」
何かと思ったら俺のバスローブの前をぐいっと開いてニヤリと笑ったので、俺は真っ赤になってやめろよと言った。
奏はこういう不意打ちみたいな攻撃をしてくる。しかもそれが絵になってしまうので、腹立たしくも嬉しくなってしまう自分が恥ずかしい。
「涼介、手を出してくれ」
同じくバスローブ姿の奏はどこからか取り出した小さい箱を俺の手の上にコロンと載せた。
「えっ……」
「卒業記念にと思って用意したが、今日空港帰りに取りに行ったら、渡したくて我慢できなくなってしまった。早く涼介が付けているところが見たい」
まさかと思いながら包みを開けると、小さなケースが現れた。映画やドラマでこんなシーンを見たことがある。これをパカっと開けると中からは………。
「リングって……これ……」
「ゴホッ…ン、まあ、あれだ…。俺達は法律上は結婚できないが…、涼介、俺とこの先の人生を共に生きて欲しい。その誓いの証だ」
一応ペアなんだと照れた顔で奏が自分の左手の薬指を見せてきた。そこにはいつの間に付けたのか、俺の手の中にあるものと同じ、シンプルなシルバーのリングがはまっていた。
手に取って見ると、リングは誇らしげにキラリと光って、二人のイニシャルが彫られているのが見えた。
「う…うぅぅ……」
こんなの
聞いてない。
なんて最高の不意打ち。
「返事は…?」
込み上げてきた熱いもので、涙と鼻水まで出てきてしまい上手く言葉が出てこなかった。
何とか分かった、という音のようなものを口から出して、ぶんぶんと首を動かして頷いた。
「涼介…愛してる」
ぐしゃぐしゃの顔になった俺に、奏は軽く口付けてから指輪を手に取って、俺の左手の薬指に……。
指輪が……
小さすぎて入らなかった。
「なっ…!! どどういう事だ!? 入らないぞ!!」
「………奏さ、俺のサイズいつ測ったの?」
「そ…それは……サプライズだから、寝ている時に……、涼介は手を隠すから…なんとか起こさないようにして……あーーーー!!」
どうやらサイズを測るのを失敗したらしい奏は頭を抱えて床に崩れ落ちた。
奏は仕事も私生活もいつも完璧なくせに、俺のことになるとなぜか抜けてしまうらしい。
「ま、作り直せばいいじゃん」
「いやいやいや…なんて事だ…! こんな…こんな大事なことを俺は…最悪だ。格好悪すぎる…なんて失敗を……」
頭を壁に打ちつけそうな勢いで後悔している奏を見て、俺はクスリと笑ってしまった。
「奏、見てコレ、小指にぴったり」
「涼介……」
「大丈夫、俺、奏のそういうところも、大好きだから」
乱れた髪で気が抜けてしまった奏の顔が可愛くて、愛おしくてたまらない。
「ほら、いつもみたいに魔法をかけて。今日はここに…」
そう言って俺は、奏の前に手を差し出した。
目元を潤ませながら笑った奏は、リングがはまった小指にキスをした。
□おわり□
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