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⑤
「えっ…、ていうかさ、涼介くん、男の人に言うのも変だけど…美人?可愛すぎない?」
「分かる! 色白だしお肌ぷるぷるだし、涼しげな目元に、薄いけどふっくらした唇とか反則なんだけど」
結菜の女友達がぐいぐいと寄ってきてしまい、顔を解説されるなんて恥ずかしすぎてもっと真っ赤になった。
趣味が女装ですなんて言ったら、この場で着ているものを脱がされてドレスを着せられそうな勢いだ。
「はいはいそこまでー。今日は涼介にも楽しんでもらおうと思って、スーツを用意してあるから」
このまま女子に押し倒されそうな勢いだったが、結菜の助けが入ってホッとした。
結菜が壁に掛かった男物のスーツを指差して、あれだとウィンクしてきた。さすがにここで女装は勘弁して欲しかったので、助かったと安堵しながらスーツに着替えることにした。
「やば……。私ヤバい扉を開けてしまったかも」
「な…なんだよ、俺…そんなにおかしいの?」
スーツに着替えてパーティー会場へ向かうと、結菜がお嬢様らしからぬ大口を開けて、驚いた顔で出迎えてくれた。
よく考えたら、男物のスーツで正装をしたのなんてしたのは初めてだ。
結菜が選んだのはブラックの光沢のあるスーツだが、中のベストに鮮やかな紫色が入っていて、着こなせるか心配になるような艶のあるデザインだった。
さすがにルージュを乗せるわけにもいなかったので、軽く眉だけ整えて、長めの髪は後ろに流しただけだ。
一般人の場違い感が出てしまっているのだろうか。
「いやいやいや…、まずいね。いや、涼介が美人顔なのは知っていたのよ。化粧映えするってそもそも綺麗な顔じゃないと無理だし。女装はもちろん完璧なんだけど……、スーツって……ヤバい……色気ありすぎ」
「いっ……! やめろよ、変なこと言うの」
「ちょっと、今日気をつけてよ。隣の会場、なんかチャラそうな人来てたし、私がずっと付いていられるわけじゃないからさ。マジで涼介の彼氏さんに怒られちゃう」
「は!? かか…彼氏って……」
「あっ、前に二人で歩いているところ見ちゃってさ。後ろ姿だけだけど、めちゃくちゃお似合いだったし、大切そうにされていたじゃん」
色々と誤解や訂正がありすぎてどこから手をつけたらいいのか分からない。
男を恋愛対象にしている話なんて一度もしたことがなかったのに、どういうことなのか頭が追いつかない。
「そういえば、前にお見合いを頼んだ黒崎社長、今日招待されているみたいよ。今忙しいらしいから来られるか分からないみたいだけど、女装じゃないし大丈夫よね」
唖然としたまま言葉が出なくなって固まっていたら、友人に呼ばれた結菜はさっさと行ってしまった。
とにかく冷静になろうと、飲み物コーナーにふらふらと歩き出したのだった。
「はぁ…はぁ……死ぬ……」
洗面所の水で顔を洗って、目眩がしそうな頭を冷やしたが全然落ち着かなかった。
こんな事になるなんて、さっさと帰りたかったが、奏が来るかもと聞いたので少しだけでも会いたかった。
ちょうどいいと思った。
こんなモヤモヤした気持ちを抱えて過ごすなんて辛すぎる。
飽きたと、あの言葉をまた聞かされたとしても、こんな苦しい思いを抱えているよりはマシだ。
だから、来るか分からない奏を待っていたが、こんなことならもう帰った方がいいかもしれない。トイレの個室にこもってため息をついた。
初めは何と言ったかマスコミ関係の男で、モデルに興味はないかと話しかけられた。結構ですと突っぱねたら、その後ろからレストランを経営しているナントカさんが来て、一緒に飲まないかと言ってきた。それも断っていたら、ベンチャー企業やってる社長だかなんかが来て………。
会場を逃げても逃げても追いかけてきて、とにかく次々と男に話しかられて、ついには男同士揉めだしたりして会場が大変なことになってしまった。
まずいと背を低くして走ってトイレに逃げ込んだところだった。
スマホの画面を覗いても奏からのメッセージは来ていない。
だんだん腹が立ってきて、俺はついに文字を打った。
どこにいるんだと、シンプルな一文だった。
すると速効で既読になって、いきなり着信の画面になってしまった。
なぜ電話と思いながら、通話のボタンを押した。
「ベストタイミングだ」
「はぁ!?」
「今日本に着いたところだ。帰りのフライトだけで二日もかかったひどい時差ボケだ」
「はい!? なっ…なんだって?」
「悪かったな、しばらく連絡できなくて。社の水道プロジェクトで急に呼び出されて、アフリカのジャングルの奥地にいたんだ。電波は通じないしまいったよ」
「し…仕事……?」
「当たり前だ。観光で行くならせめて電波が入るところだ。それよりどこにいる? 会いたい、お前のことばかり考えていた」
「っっ………!!」
声が聞こえただけでもうダメだった。胸が熱くなって感情が爆発しそうだったのに、そんなことを言うなんて反則だ。
ひどい反則だ。
嬉しくて、嬉しくてたまらない。
俺だって会いたくなる。
いや、会いたくてたまらなかった。
ただ体が、セックスが気に入ったからだと思い込んで自分を防御してきたけれど、気づいてしまった。
マイペースで自分勝手で俺様だけど、甘すぎるくらい優しく俺を包んでくれる男。
押し切られるように溺れさせられたわけじゃない。
どろどろの沼にハマっていた俺を、強引に引っ張り出して抱きしめてくれた。
どこへ連れて行かれるのも嬉しくて楽しかったし、セックスをしてもしなくても幸せを感じてしまった。
こんな気持ち知らなかったし知りたくなかった。
だって俺は手を伸ばしても抱きしめてもらえなくて、偽りの愛に溺れて傷ついて飽きたと言われて捨てられる。
この先もずっと、そういう運命なのだと思ってきた。
ああ。そうだよ。
今俺はこいつなら捨てられてもいいなんて思ってる。
奏が好きだ……奏を好きになってしまった。
「結菜の親父の会社のパーティーに来てる。奏も招待されているって……」
「ああ、あそこのホテルのやつか。そこはなんだ?ずいぶん声がこもっているな」
「トイレから出られないんだよ……。今日はスーツなのに、やけに話しかけられて……」
「ちょっと待て! 涼介、スーツを着ているのか?」
「え? そりゃ、仮装パーティーじゃないんだし、正装だろ」
「………そこから、絶対動くな!」
ブチっといきなり電話が切られてしまった。言われなくても動けないと思いながら、またため息をついた。
奏が来てくれたらそれだけで泣いてしまいそうだ。
バカみたいで単純な自分が心底嫌になった。
ずっとこもっていようとしたが、ドンドンとドアを叩かれて出るしかなかった。
考えてみたら、このホテルのトイレの個室は三つで、二つの会場でパーティーをやっているらしい。
ずっと、開かずの奥の個室についに列が出来てしまい、まだですかと怒鳴られて出るしかなかった。
仕方なく隣の会場の前をうろうろしていた。入り口には出店記念パーティーと書かれていた。でかでかと掲げられていたのは、流行りの美容室の名前だった。
そこで俺は気づいてしまった、その全国展開している美容室は確か……。
「あれ? 涼介…?」
ずっと忘れたことなどなかった。
毎夜毎夜夢に出てきて、俺をいつまでも苦しませてくれた男。
夢の中で何度も殴ろうとして、結局足に縋り付いて泣いた。
俺を捨てないでと。
「久しぶりじゃん…」
その男、圭吾が目の前に立っていた。
あの頃と変わらず、いや、もっとピアスがついて派手になっていた。
圭吾の親は全国展開しているこのパーティーの美容室の経営者だった。
そのうち継ぐつもりだけど、今は適当に遊んでんだなんて言っていたのを思い出した。
「ちょうどいいわ、お前に会いたかったんだよ。ちょっとこっちに来いよ」
「は? なんで……行くかよ」
二年ぶりに会ったくせに、昨日今日別れたばかりのように当たり前に接してきて吐き気がした。
「あれ? そんなことを言っていいの? コレ、業界でも話題になってるユーキってやつの投稿なんだけど……。すぐ分かったよ。俺が教えてやったんだし。コレ、お前だろう」
圭吾はスマホの画面を俺の目の前に掲げた。
相変わらず、悪趣味なヤツだと俺は睨みつけた。
圭吾はあの頃と変わらない、陰気でふざけた目をしてニヤリと笑った。
「まだ女装を続けていたなんてな。お前、嫌がっていたくせに最後は喜んでやってたからな。目覚めちゃったってヤツ?」
会場横の使われていない控え室に圭吾は俺を連れてきた。
こんなヤツに会うなんて最悪だけど、俺はどこかでケジメをつける必要があると考えていた。これはいい機会かもしれないと大人しく従ったのだ。
「なんとでも言えよ。お前と俺はもうなんでもない」
「あれぇ、いつも大人しく尻尾振っていたくせに、ずいぶん生意気になっちゃって…。それに凄い淫乱みたいな顔になったな。今のオトコに仕込まれてんのか?」
「用件を言え、お前となんて同じ空気も吸いたくない」
「へぇ……本当に生意気だ。俺に突っ込まれないとイケなかったくせに」
クソみたいな挑発にのるほどバカじゃない。俺は無言で圭吾を睨みつけた。
「SNSの件は好きにしろ。男が投稿していたってバラしてくれて構わない。話は以上か?だったら俺はもう行かせてもらう」
「ツレないね。俺のこと思い出さなかったの? 俺はたまに思い出したよ。涼介のアソコ結構気に入っていたからさ」
プチンと張っていた糸が切れた。頭に血が上って気が狂いそうだった。
「ああ、思い出したよ。毎晩俺の夢に出てきて俺を苦しめ続けたんだ! 女装をし続けたらまたお前が会いに来てくれるかもしれないなんて思っていた時もある! でも、もう全部消えた! お前への気持ちも何もかも! 女装は俺の生きていくための手段だ! お前には関係ない! 嫌いだ嫌いだ、大嫌いだ! 消えてくれ! もう、解放してくれ!」
言いたいことを全部言ってやった。
何度も夢の中で叫んだ台詞だ。
好きで好きで溺れていたけれど、本当は嫌で嫌でたまらなかった。
自分を押し込めて無理して付き合っていた。
裸で捨てられた時、ショックと虚しい気持ち、それと怒りがあった。
本当は俺が先に言うべきだったんだ。
大嫌い。
あの日言えなかった言葉をやっとぶつけることができた。
「いいねぇ、その目…。お前のそこ好きだったわ。俺にめちゃくちゃ命令されて、分かったって素直に従いながらも、その目だけは俺を蔑んだように睨みつけていた。それを見るたびにさぁ、ゾクゾクしたんだよ。めちゃくちゃにしたいって……」
圭吾はいきなり俺を突き飛ばした。壁にガツンと当たって背中に痛みが走った。反動で歯を食いしばったからか、口の中に血の味が広がった。
「ボコボコにして意識なくしてる間に犯してやろうか? 口の中も後ろの孔も俺のをぶち込んで出しまくってやるよ」
背中に寒気が走った。圭吾は格闘技をやっていて、全国でもそれなりのところまでいった男だ。
まともにやり合って勝てるはずがない。しかも、他人をどうこう思える感覚が欠如していて、今言ったことは容赦なく本気でやるだろう。
逃げるしかない。
俺は素早くドア目掛けて走り出した。
ドアノブに手がかかりすぐに開けることができた。人の多い場所まで逃れれば、そう思った俺の半身が廊下に飛び出したところで、ぐっとそれ以上進まなくなってしまった。
髪を鷲掴みにされて、背中を殴られた。
鈍い音がして、苦痛に声を漏らした。
そのまま引っ張り込まれて、唯一の出口だったドアが虚しく閉まっていくのが見える。
あれが閉まったら終わる。
次に目を開ける時はぼろぼろになっているか、もう目も開けられないか……。
「かな…、奏……奏…!!」
腹に力が入らなくて、ほとんど声が出せなかったけれど、俺はあいつの名前を呼んだ。
最後の希望を込めて、閉まりかけたドアに向かって叫んだ。
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