1人が本棚に入れています
本棚に追加
下校中に突然降り出した大雨。
慌てて駆け込んだ神社の境内で、
――僕は、彼女と出会った――
◆
高校生になれば、なにかが変わると思っていた。
けれど僕の、平本万人の日常はなんの変哲もなく過ぎ去っていくだけだった。
僕の学校は『不良の巣窟』として有名な高校だ。そんな場所で高校生デビューなどと目立つことをする勇気もなく、不良に絡まれないように粛々とした生活を続けている。休日だって稀にオタク趣味の仲間と集まってワイワイするだけで、中学生の頃となんら変わりない。
気づけば一学期の終業が差し迫っていた。
もうすぐ夏休みだということには心が躍る。とはいえ予定を立てるでもなく、今日もいつものように僕しか所属していない文芸部の部室で本を読んでから帰路についた。
青い春なんてどこにもない。白にも黒にもならない灰色の日々。
もし彼女の一人でもできていたなら、この夏はもっと違った色に見えるのだろうか?
「しまった……」
ふと空を仰いだ僕は、ぽつりと鼻の頭を叩いた水滴にげんなりした。ついさっきまで青く晴れていた空が、どんよりとした灰色に覆われていたんだ。
雨脚が一気に強くなる。遠くでゴロゴロと雷の音が鳴り響く。
夕立だ。
最近は多いから気をつけようと思っていたのに、今日はうっかり傘を部室に置き忘れてしまった。
きっとすぐに止むはず……僕は周囲を見回して雨宿りできそうな場所を探し、住宅街にぽつりと建つ古びた神社を見つけて駆け込んだ。
「あっ……」
そこには先客がいた。
僕とは違う高校の制服を着た女の子だった。確か、市内にある女子校の制服だ。肩にかからない程度に伸ばした髪は雨に打たれて濡れぼそり、制服もびしょびしょで肌に張りついてしまっている。でも彼女はそんなこと気にしていない様子で、神社の縁側に腰かけて文庫本の文字を追いかけていた。
その妙な艶めかしさに僕が呆然と突っ立っていると――
「……入らないの?」
こちらに気づいた彼女が怪訝そうに小首を傾げた。
「そうだ雨宿り!?」
僕はハッとして屋根の下へと飛び込んだ。もはやパンツまでぐしょぐしょで、雨宿りする意味なんてなくなった気もする。それでも打たれ続けるよりはマシだろうと、彼女から二メートルほど離れた位置に腰を下ろした。
「さ、最近雨ばっかりで嫌になるよね。梅雨も明けたはずなのに」
「……そうね」
照れ隠しで世間話を振ってみるが、彼女はそれだけ答えると、僕から興味を失ったように再び文庫本へと視線を落とした。その横顔はまるで二次元の世界からやってきたかのように整っていて、僕はドキリとして思わず顔を逸らしてしまった。
「……」
あれ? なんかチラチラと視線を感じるような……?
振り向くと、彼女は静かに文庫本をページを捲っていた。やっぱり気のせいだったかもしれない。
沈黙が流れる。
ドザー! ドザー! と激しい雨音だけがやかましく鳴り続ける。
「す、すごい雨だね。滝みたいだ」
気まずさに堪え切れなくなった僕はつい話しかけてしまい、すぐに自分がいかに愚かなことをやらかしたのか悟った。
本や動画に集中している時に話しかけられるほど、煩わしいものはない。
気まずければ僕も本を読めばよかったのだ。
「……夕立の語源って知ってる?」
「え?」
パタンと文庫本を閉じた彼女が、じっと僕の方を見詰めてそう言った。夕立の語源? 自慢じゃないけど、そんな質問にパッと答えられる頭があるなら不良校になんて入学していません。
「『夕』も『立』も雨とは無関係な文字なのに、どうして夏の午後に降る雨は『夕立』と呼ぶのか不思議に思わない?」
「あー、言われてみれば」
夕方に降るから『夕』はわかるけど、じゃあ『立』ってなんだろう? 僕は少し考えてから降参するように肩を竦めた。
「主な説は二つある。激しい雷雨のことを『彌降り立つ雨」と言って、この言葉が省略されて『やふたつ』から『ゆふだち』になり、当て字で『夕立』になった説。もう一つは雲の塊が上に積みあがるように成長する積乱雲から来た説。ちなみに前者が有力」
「よ、よく調べてるね。というか、急にどうしたの?」
混乱したまま問うと、彼女は縁側を這って僕との距離を詰め――
「……私、気になったことは徹底的に知りたくなる性質」
好奇心旺盛な猫みたいに瞳を輝かせてそう言った。濡れた制服から青色の可愛らしい下着が透けて見え、僕は思わず「へあっ!?」と光の戦士でも降臨したかのような声を上げた。
「あなたはさっき、そこで雨にずっと打たれたまま立ち尽くしていた。早く屋根の下に入ればよかったのに。どうして?」
「い、いや、それはそのなんというか……」
「気になって本の内容も頭に入らない」
「そこまで!?」
実は僕に興味津々だったらしい。恋愛的な意味じゃないのは残念だけれど、こうして女の子と二人きりで喋るなんて初めてだから僕の頭はもう真っ白です。
彼女はみっともなくあたふたする僕の隣に腰かけると、顎に手をやってなにやら熟考し始めた。
「先客がいたから雨宿りするか迷った? 神社の社に無断で入ることに躊躇した? スタンダール・シンドローム?」
「スタ……最後のなに?」
「スタンダール・シンドローム。芸術作品を鑑賞した人が動悸・めまい・失神・錯乱・幻覚などの症状を呈する疾患のこと」
「あー、それに近いかも」
難しい話を聞いたせいか少し落ち着いてきた。彼女は余計にわけがわからないといった様子で眉をハの字にする。
「……この寂れた神社にそこまでの美術的価値はないと思うけれど」
「いや、君に見惚れてただけなんだけど」
「………………………………ふぇ?」
「あっ」
時が止まった。
そう思えてしまうほどの沈黙と硬直を経て、へにゃりと歪んだ彼女の顔が――かぁああああああっ! よく熟れたトマトみたいに真っ赤に染まった。
一メートルほど距離を取られる。うん、わかってる。気持ち悪いことを口走った自覚はあります。ここにタイムマシンがあれば数秒前の僕を殴殺したい。なければ穴を掘って埋まりたい。
「……天宮志絵流」
ぽつり、と彼女が呟いた。
「花之音女学院の一年生。あなたは?」
悔恨の念に頭を掻き毟っていた僕は、ようやく彼女が自己紹介をしたのだと気づいた。
「あ、えっと、平本万人。学校はその……」
「須照御路高校」
僕の制服を見ながら彼女は答えた。それを知っていて会話していることに驚いた僕は目を丸くする。
「怖くないの? 不良校だよ?」
「別に。万人くんは怖い人には見えない」
「な、ならよかった」
そこでまたお互いに沈黙してしまった。なんだかさっきよりも気まずい。雨はまだ止む気配もないし、なにか話題になるものは……縁側に置かれた天宮さんの文庫本が目に入った。
カバーが少しずれていて、美少女の描かれた既視感ある表紙が見える。
「あ、そのラノベ、僕も読んでるやつだ」
「本当?」
バッと弾かれたように天宮さんが僕を見た。
「ほんとほんと。なんなら丁度今日読んでたんだ、ほら」
僕も鞄から同じ本を取り出して見せる。彼女みたいな女の子がライトノベルを呼んでるなんて、もっと高尚な本だと勝手に思っていたから意外だ。
「まさかこんなところで同志と出会えるとは驚いたよ」
「私も。こういうラノベを読んでるの、私の学校には他に誰もいないから」
まあ、男向けの美少女物だし、偏差値がべらぼーに高い花女で読んでる人は少なそうだ。
すすすっと再び天宮さんが僕に寄ってくる。
「万人くんはどうしてその作品を読もうと思ったの? 他にどんな作品読んでるの? 漫画は好き? アニメは? この辺りに住んでいるの?」
「ちょ、ちょ、急に気になること多過ぎない!?」
ぐいぐい顔を近づけていた天宮さんはそこでハッとし、耳まで赤くして俯いた。なにこの可愛いイキモノ。雨で濡れてるのにいい匂いがしました。
「……ごめんなさい。家族以外で同じ趣味の人って初めてだったから」
僕も同じ趣味の女の人って初めてです。
「えーと、僕はこの作者さんのデビュー作から追いかけてて」
「私も」
「同じ賞で受賞した人の作品もけっこう読んでて」
「私も」
「いわゆるオタクだからその、漫画もアニメもゲームも大好きです」
「私も好き」
うっとりとした微笑みに、僕の心臓が今までで一番大きく跳ねた。
「創作物って卑怯。触れてしまうとどんどん続きが気になってしまう。いつの間にか読み切れないくらい作品が増えてて困る」
「あるある! その気持ちよくわかるよ!」
僕も僕の友人たちも一体いつ消化するんだってくらい本やゲームを積んでたりする。もうすぐ夏休みだとしても油断ならない。終わる頃には逆に増えている可能性だってあるのだ。
それから、僕たちは時間を忘れて語り合った。
気づけば夕立はとっくに止んでいて、雲間からオレンジ色の光が差し込んでいる。
「……もう帰らないと」
「そう、だね。早く帰って着替えないと風邪を引いてしまう」
正直、名残惜しい。
後ろ髪を引かれるような思いはあるものの、僕たちは神社の鳥居をくぐって外へ出た。
「じゃあ、またね」
「うん、気をつけて」
――連絡先とか交換しない?
背を向けて遠ざかっていく彼女に臆面もなくそう言えたらよかったのだけれど、残念ながら骨なしチキンの僕にそんな勇気を捻り出す力はなかった。
でも、彼女は『またね』と言ってくれた。
この辺りに住んでいるのなら、きっとまたどこかで会えるはずだ。
◆
再会は、思っていたよりずっとずっと早かった。
翌日も激しい夕立に襲われた僕は、今度は傘を忘れていなかったけれど、なんとなくあの神社に足を運んでしまった。
天宮さんは昨日と同じ場所に腰かけて同じように文庫本を読んでいた。
「……傘を持っているのに雨宿りに来たの? どうして?」
「いや、なんというか、天宮さんがいるような気がして」
まさか本当にいるとは思っていなかった。
「ていうか、今日もびしょ濡れだけど大丈夫? 傘持ってないの?」
「ん、大丈夫。傘はその……なぜかよく行方不明になる」
すっと遠い目でそっぽを向く天宮さん。しっかりしているように見えておっちょこちょいなところもあるみたいだ。本に集中しすぎてバスや電車の中に忘れていく姿がありありと浮かんでしまった。
思わずくすりと噴き出す僕に、天宮さんは顔を高速赤面させて振り向く。
「今、笑った?」
「笑ってないんぷふぅ」
「笑ってる。万人くん酷い」
天宮さんはぷっくりと頬を膨らませて僕をポコポコ叩いてくる。痛くないけど痛いフリをする。
「ごめんごめん、お詫びに昨日天宮さんが読みたいって言ってたラノベ持って来たから」
「……許す」
そうして、僕は今日も天宮さんと至福の時間を過ごした。
◆
夕立は連日続いた。
その度に僕があの神社へと駆け込むと、やっぱりずぶ濡れの天宮さんが本を読んでいた。いつしかタオルを用意するようになったよ。
「この神社、縁結びの神様を祀ってるらしい」
「それも気になったから調べたの?」
こくんと頷く天宮さん。もしかすると神様が僕と天宮さんを結びつけてくれたのだろうか? そうだとしたら全力で感謝したい。
次の日も。
「天宮さんって女子校なのに、男の僕と割と普通に話せてるよね」
「弟が三人いるから慣れてる。寧ろ男の人の方が喋りやすい」
「なるほど」
「ラノベとか好きになったのも弟たちの影響」
「グッジョブ、弟さん!」
さらに次の日も。
「夏休みはどうやって過ごすの?」
「……決めてない。友達も少ないし。でも、来月は家族で旅行することになってる」
「旅行かぁ。いいなー」
「万人くんも行く?」
「えっ!?」
「ふふ、うそ」
さらにさらに次の日も。
「あ、今日はジャージに着替えてる!?」
「なんとか持って来れた。ブイ」
「ドヤ顔でピースしてるところ悪いけど、傘を忘れない努力をした方がいいのでは?」
「……善処する」
この時間が、いつまでも続いたらいいのに。
そう願わない日がないくらい、僕は彼女のことが好きになっていた。曇天の空は暗く灰色で憂鬱になるけれど、彼女と過ごす間だけは、僕の心は虹がかったように明るく晴れやかだった。
でも、天候や季節とは遷り行くもの。
あれだけ毎日続いていた夕立は、夏休みの直前にはパタリと降らなくなってしまった。
◆
夕立が降らなくなってから、天宮さんが神社に現れることもなくなった。
学校が夏休みに突入しても僕は変哲皆無な生活のままだ。
空は青く澄み渡っているのに、僕の心は灰色。オタク仲間たちと遊ぶくらいじゃ埋められない穴がぽっかりと開いている。
――天宮さんに会いたい。
たまに夕立が降ったらあの神社に行ってみた。
やっぱり天宮さんはいなかった。学校が休みなのだから仕方ない。こんなことなら勇気を振り絞って連絡先を聞いておくんだった。
時は空虚に流れていく。
過去一番長く感じた夏休みも終わってしまい、二学期が始まった。
結局、僕の恋は夕立のように一瞬だったのかもしれない。
「天宮さん、どうしてるんだろう?」
部室の窓から空を仰ぎながら思わず呟いた。外では不良生徒同士が喧嘩しているのか、ドスの利いた声が轟いている。いつも通り、ほとぼりが冷めるまで部室に退避していた方がよさそうだ。
――もしかして、夏休み中に事故に遭ったとか?
ふと、そんな考えが脳裏を過ってしまう。夏休みに旅行をするとも言っていた。旅行先にトラブルに遭ったとか、重い病気を患ってしまったとか、悪い考えばかりが浮かんでは積乱雲のように積み上がっていく。
外はまだ騒がしかったが、僕はじっとしていられず部室を飛び出した。
◆
幸い不良に絡まれることなく神社へと辿り着いた。流石に女子校へ突撃するわけにもいかない以上、ここへ来るしかなかったんだ。
夕立は降っていない。それは清々しいくらいに晴れ渡っている。
天宮さんが神社の縁側に腰かけて文庫本を読んで――なんてことはなかった。寂れた境内に佇む人間は僕だけだ。
――この神社、縁結びの神様を祀ってるらしい。
天宮さんが語っていた蘊蓄を思い出す。縁結びの神様なら、もう一度僕と天宮さんを引き合わせてくれるかもしれない。
僕は財布の中身を全部賽銭箱へ投入する。神社って何回拍手するんだっけ? スマホで調べると『二礼二拍手一礼』って書いてあったからその通りにやってみる。
「神様お願いします! もう一度、一度だけでいいので、天宮さんに会わせてください! どうかお願いします!」
力強く目を閉じて精一杯祈った。
神頼みでもなんでもいい。とにかく僕は天宮さんに会いたいんだ!
「万人……くん……?」
掠れるような囁き声が、背後から聞こえた。
「天宮さん!?」
奇跡は、起こった。振り向くと、そこには間違いなく天宮さんが立っていたんだ。
でも――
「待って、天宮さん。なんで、全身びしょ濡れなの?」
再会を喜ぶ僕だったけれど、天宮さんの異常な姿を見て驚愕する。
すると――
「あーまーみーやーさーん!」
僕でも天宮さんでもない声が神社の境内に響き渡った。
ビクゥ! と天宮さんの肩が跳ねる。彼女は自分自身を抱き締めるようにしてガクガクと震え始めた。
「いつもいつも水ぶっかけた後どこに逃げているのかと思いましたら、こんな小汚い神社だったのですわね」
花乃音女学院の生徒が数人、ずかずかと神社に足を踏み入れてきた。
怯えて震える天宮さんに、彼女を追いかけて来たらしい女子生徒たち。この状況を見れば鈍感な僕だって嫌でも気づく。
――傘はその……なぜかよく行方不明になる。
――寧ろ男の人の方が喋りやすい。
――決めてない。友達も少ないし。
――なんとか持って来れた。ブイ。
天宮さんは、女子校でイジメられていたんだ。
どうして? オタク趣味だから? それとも彼女の性格的に余計なことを訊いちゃったから?
イジメの理由なんて考えても無駄だ。いくらでもでっち上げられる。
「あら? どなたですの、その殿方は?」
女子グループのリーダーっぽい縦ロールの少女が僕に気づいて天宮さんに問いかけた。けれど天宮さんは黙ったまま俯いているだけ。
僕が、僕がなんとかしないと!
骨なしチキンだろうと知るか、ここで勇気を出せずにどこで出すんだ!
「あ、あんたら、彼女に一体なにをしたんだ!?」
「そんなに睨まないでくださいまし。これだから殿方は。わたくしたちと天宮さんはお友達ですの。まだまだ暑い日が続きますから、水をかけてじゃれていただけですわ」
縦ロール女はいけしゃあしゃあとほざいた。念のため天宮さんを見ると、控え目に首を横に振っている。
パサリ、と縦ロール女がなにかを地面に放り捨てた。
「天宮さんってばいつも一人でこんな低俗な本を読んでいるんですもの。だからわたくしたちが仲間に入れてあげているのですわ」
それはズタボロに切り裂かれたライトノベルだった。彼女と始めて会った時に楽しく語り合ったあのラノベだ。
プツン、と。
僕の中でなにかが切れた音がした。
「というか、関係ない人は消えてもらえませんこと?」
「関係ないわけないだろ!?」
「やーですわ、そのように怒鳴って。あなたの辞書には『品性』という言葉は載っていませんの?」
縦ロール女は鬱陶しそうにしっしっと手を払う。すると、彼女の取り巻きの一人が僕をまじまじと見て――顔面を蒼白させた。
「お、お姉さま! その人の制服、須照御路高校の生徒ですわ!」
「え!? あの野蛮人が通っている学校ですの!?」
あからさまに縦ロール女たちの態度が変わった。
天宮さんも知っていたように、須照御路の悪評はお嬢様学校にも知れ渡っているらしい。
だったら、その威を借りるまで!
「てめぇら! 俺の女をイジメてただで済むと思うなよ!」
「ひっ!?」
できるだけドスの利いた低い声を張り上げると、縦ロール女はくしゃりと綺麗な顔を歪めて後ずさった。
「え、あの、天宮さん、須照御路高校の殿方とお知り合いだったんですの……?」
天宮さんを指差す縦ロール女の手はぷるっぷると震えていた。
「俺は須照御路の番長ともマブダチなんだぜ! ヒャハハッ、花女のお嬢様がいるって教えてやりゃあ喜んで仲間連れてくるだろうなぁ!」
「野蛮校の、番長……?」
スマホを取り出してどこかに連絡するフリをする僕に、縦ロール女はさーっと青褪め、そして――
「い、いやぁああああああ犯されますわぁあああああああああッ!?」
踵を返して一目散に逃げ出した。取り巻きたちも悲鳴を上げて彼女の後を追いかけて行ったよ。
「……ふぅううううう、よかった。逃げてくれたぁ」
緊張の糸が切れて思いっ切り息を吐き出す僕。と、いきなり背中に柔らかいものが突撃してきた。
「あ、天宮さん!?」
僕の背中に顔を埋めるようにして抱きついた彼女は、涙で声を上ずらせながら言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい、万人くん。巻き込んじゃって……」
「き、気にしなくていいよ。ていうか、僕の方こそごめん。気づいてあげられなくて」
「そんなことない。私、あの人たちに毎日毎日水をかけられて、傘も着替えも捨てられて、他にもいっぱい酷いことされて、万人くんに迷惑かけたくなくて雨の日しかここに来ないようにしてたけど、もう限界で……そうしたら万人くんがいて、助けてくれて、嬉しかった」
泣きじゃくりながら訥々と心の内を吐露する天宮さん。僕も、彼女を助けられてよかった。
「あの様子なら、たぶんもう天宮さんにちょっかい出してくることはないと思うよ」
「万人くん、迫真の演技だった」
「不良なら毎日のように見てるからね。うわ、なんか急に恥かしくなってきた」
勢いに任せて『俺の女』とか言ってしまった気がする。掘り返すと死にたくなるので黙ってようそうしよう。
「そ、そうだ。天宮さん、一つお願いがあるんだけど」
僕は誤魔化すように彼女に振り返ると、絞り出した勇気が消えてしまわない内に伝えることにした。
「連絡先、交換しない?」
スマホを差し出して告げると、天宮さんはふんわりと微笑みを浮かべた。
「私も、実はすごく気になってた」
これからは夕立が続いた一時期みたいに変化のある毎日を送れそうだ。
そう思うと、世界が鮮やかに彩られたように見えた。
最初のコメントを投稿しよう!