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「だろ。でもって、川沿いだだっぴろい土地に小屋作って大量に飼育してたそいつは……例の雨の日に避難指示が出て、自分だけ逃げ出した。檻に閉じ込めたままの犬、全部捨てて。どうなったかなんて言うまでもなくわかるだろ。百や二百どころじゃない犬が全部死んだんだ」
しかも悪魔なのはそいつだけじゃなかったらしいんだよ、と彼は苦い顔で言う。
「その半分ヤクザみたいな男が怖くて、村のやつらはみんな犬が虐待されてるのを知って見て見ぬフリしてたんだ。で、このへんがちょっと曖昧なんだけど……そうやって犬が山ほど死んですぐ、神職かなんかの人が来て言ったらしい。この場所には、迷える魂が大量に残ったままになってる。数が多すぎて祓えない……みたいなことを。夏の激しい雨の日になると苦しみを思い出して、とにかく逃げようと、母犬に助けを求めようと村中を逃げまわるんだと。でもってそいつらは……当然人間を恨んでるから、絶対近づいちゃいけないってことも」
何故。彼が“この村を嫌いになるかもしれない”と言ったのか。その理由がわかった気がした。僕はもう一度窓の外を見る。ふらふらと歩く犬達は、時折悲しげに鳴いているようだった。激しい雨音で、その鳴き声のほとんどは掻き消されてしまっていたけれど。
我が家では犬を飼っていないけれど、友達の家では飼っている家も少なくないし、僕も犬が大好きだ。あんな姿など見たくはなかったし、そのように追い詰めた人間がいるというのも信じたくはなかった。――それをちゃんと祓う努力もせず、ただ呪われたくない一心で、夕立の日に家に閉じこもって見て見ぬフリをする大人達も。
しかも母が知らなかったということは恐らく父も知らず、真実は祖父母の代までしか知らされていない可能性が高いということである。自分達の罪を悔やんで、次世代に伝えることもしていないなんてあんまりだ。人間でなければ命を蔑ろにされていいなんて、そんなことはないはずなのに。
「なんとかして、あげられないのかな」
僕はぽつりと呟いた。タツ兄は首を振って、そうしたいけどさ、と言う。
「知ってて知らないフリをしてる奴、多分俺以外にもいるよ。でもみんな、何もできてないんだ。……そういうことだろ、結局」
あの夕立の行進が、今も続いているかどうかはわからない。なんせ僕も上の兄たち同様、高校になると同時に村を出てしまい、以来夕立があるような時期に家に帰っていないからである。
ただ、今でも思い出して胸が痛くなるのだ。僕も結局人のことなど言えない、臆病者の一人ではないかと。
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