0人が本棚に入れています
本棚に追加
俺はバイトが終わってすぐに、あのお地蔵様の所へと走った。
「さっきの子、有名になりたかったのは、二年前に別居したお父さんに戻ってきてほしいからだそうですよ」
バイトの女の子からの話を頭の中で想起する。
「お母さんが病気で亡くなって。だから、せめて一度は帰ってきてほしいって」
胸が熱くなっている。
「たまたま見た番組で、『この番組をもしパパが見てたら、家に帰ってきてほしい』というようなことを言ってたんです。連絡手段も分からないなりの、精一杯の行動だったんですね」
聞いたときは雷が落ちた気分だった。
なんてことだ。あの少年は欲張りなんてとんでも無かった。
あの少年は、本来いるべき父親を求めて、自分で行動したのだ。
そんな子に欲張りだなんて。
謝りたかった。
団地までの坂道を駆け上がり、あのお地蔵様のところに行くと、少年が先程買った傘にマジックで色を塗っていた。
少し離れたところで、女子大生が遠巻きに少年の写真を撮っていた。SNSにでも挙げるのだろうか。
「あ、おにいちゃん……ずぶぬれだよ?」
今はもう雨は止んでいたが、コンビニを出たときから傘も差さずに走ってきてしまったので全身が濡れていた。
少年は、今しがた塗りを終えた傘を近くの枝に結び、お地蔵様の頭上にまた一つ傘が増えた。ニ体のお地蔵様の周りには合計で十本以上の虹色の傘が置かれ、お地蔵様の前も後ろも隠れるほどである。
「これ全部、お前がやったのか?」
少年は首を横に振る。
「ぼくがやったのはいまのとあわせてさんぼんだけ。うち、そんなにおかねないし。いつのまにかふえてた」
模倣した輩もいたということか。芸術性に便乗したのかもしれないが、おかげで話題となるきっかけになったのだから感謝しよう。
「ごめんな……」
「? 」
俺の謝罪をよくわかっていないようだ。
「父親に戻ってきてほしいから、やってるんだろ?」
「うん。パパはおかねがなくなってでていったって、ママがいってた。りすだかとらだとかいってたっけ」
俺は察した。仕事を辞めさせられて、いたたまれなくなって出ていったのだろう。
「だから、ゆうめいじんになっておかねもちになったらパパもかえってくるかもしれないとおもったんだ。」
なんて健気なのだろう。父親を求める前に、その先まで見据えていたのか。
「その傘にも願いをかけたのか?」
少年は頷いた。
「あめはやんだけど。パパとずっといっしょにいられるようにね」
少年は微笑みながら、俺の後方を指差す。ハッと振り返ると、道路を挟んで反対のバス停のベンチにスーツ姿の男性が一人腰掛けていた。所在無さげにしているように見える。
そうか、そうなのか……
少年は立ち尽くす俺の足元まで来て、俺を見上げた。
「おにいちゃんはおじいさんとちがって、かさがうれてよかったね。おにいちゃんのおかげで、ぼくもおじぞうさんにふたつもねがいをかなえてもらえたよ。」
それは違う、お前が頑張ったからだ。
お前が自分で行動を起こしたからだ。
俺は少年を抱きしめたかった。
だが、その衝動を静かに抑えていった。
今、この子に必要なのは俺じゃない。
「じゃあね、おにいちゃん!」
少年は、バス停にいた男の元へと走っていき、手を繋いで歩き出した。
彼らの頭上には、このたくさんの傘にも負けない鮮やかな虹が弧を描いていた。
最初のコメントを投稿しよう!