あのとき、雨が止まなければ

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私は今年の春まで高校の教師であったが、その間ほぼ一貫して野球部の顧問を務めていた。 もっとも、大会で輝かしい成績を修めたことなどほとんどない。 県立高校のごく普通の一教員である私が指導するのは、全国出場経験皆無の野球部ばかりだった。 部員たちは皆純粋に部活としての野球を楽しみ、プロを目指そうなどと夢にも思っていない。 なので、私もあまり厳しい指導はしないスタンスでいた。 夏の県大会には出場するものの、1勝できればいい方で、試合に負けた後はその年の夏を終えた部員たちを温かい言葉で労う。 それが4,5年続けば別の高校に転勤になり、また別の弱小校で同じような指導をする、その繰り返しであった。 そんな中、青野優作は、私が出逢った中で間違いなくずば抜けた才能を持つ高校生であった。 青野の名は、高校に入ったときには既に地元ではそこそこ有名であった。なんでも、某有名私立高校から入学の誘いもあったそうである。 そんな彼が私のいる普通の県立高校に入ったのは、やはり他の多くの学生と同じように、「野球はあくまで部活として楽しむ」というつもりでいたからだった。 そうは言っても、いざ彼が入学し、野球部に入ると、部内の雰囲気はがらりと変わった。 バッティングも守備も目を見張るものだったが、何よりも投げる球が凄まじい。 彼の豪速球は、キャッチャーミットに収まった瞬間「バチン!」という音が周囲に響き、受けた捕手が腰を抜かすほどであった。 青野は当然のように1年生にしてエースとなった。 そして、もともと上下関係の緩かったその部は、1年生から3年生まで皆青野に刺激を受け、昨年までとは打って変わって自発的に猛特訓を行う熱い部へと変貌したのである。 1年目は準々決勝で敗北した。 2年目は準決勝で甲子園常連校相手に延長戦まで持ち込み、あと一歩のところで惜敗した。 そして青野が3年生になった頃には、部員たちは本気で甲子園を目指すようになり、地元紙にも「エース青野を擁する注目の○○高校」として紹介されるまでになった。
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