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茜色に染まった雨がパラパラと注ぎ始め、その勢いは次第に強くなった。屋上のアスファルトは色を濃くし、彼女は興奮した顔で、両手で車椅子を漕ぎ、フェンス近くまで寄った。
急いで持ってきた傘を開き、彼女の頭上に差し出す。
「だから、濡れるよ。そのカメラは防水じゃない」
ううん、とか、そう、とか曖昧な返事をして、彼女は僕が教えたようにカメラを構えた。夕立の波からはぐれた雫が頭上の傘をリズミカルに叩く。サンセットを含んだ雨は僕らの街を一度に濡らしてゆく。幻想的な風景に彼女はシャッターを押さず、ただカメラを構えているのみ。
「夕立を撮るんじゃなかったの?」
僕が聞くと、違うわ、と真剣な声で返事。傘を持ったままなるべく彼女が濡れないように、と気づけば僕の左肩は冷たくなっていた。
些細なことだと、そのまま雨に打たれていると、
「私は夕立が去るのを待ってるの」
と、楽しそうに言った。
「雨が去ると街が雫で彩られるでしょ。七色の光と……、あ、虹っ!」
彼女はシャッターを強く押す。
カシャ、カシャ、カシャ、と小気味よい音を繰り返し、一瞬が永遠に閉じ込められる。
「目に見えるものだけが、全てじゃない。見えなくなっても、私はこの気持ちを憶えているから」
この虹の風景に似た景色を僕も見たことがある。それは遠い昔の記憶だ。カメラを教えると言った父が見せてくれた写真。彼の自慢だったアルバムの最初のページには虹と雨が彩った街。柔らかい色合いで、誇らしげにトップを飾っていたものだ。
「おじさんはこの風景が一番見たいって言ってたの。人生で最大の宝物だ……って」
続きは母から聞いた話か、父から聞いた話か、誰から聞いたのか憶えていなかったけれど、先の話は知っていた。
「息子の名前の由来になった風景。……虹輝って良い名前ね」
夕立が去った街は、世界が変わってしまったかのようにきらりと夕景色を彩る。その色を跨ぐようにすうっと伸びた虹。僕の顔ではなく空か、といかにも記憶の中にいた父らしい発言に、ぽたりと一粒、目から滴が落ちた。それは夕立の跡に紛れ、水と一緒に見えないどこかへ流れていった。
ーENDー
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