雨待ちレンズ

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雨待ちレンズ

 夕立を待っているから、放っておいて。  マリーゴールドや日々草(にちにちそう)が夕風にそよぐ屋上庭園の隅で、車椅子に乗った彼女は不機嫌な声でそう言った。  東にそびえる入道雲は不穏な音を響かせ、あたりはもう雨の匂いがたちこめている。それは予感と呼ぶより、確信に近い気配だ。 「そのカメラ、濡れるよ」  と、僕が言うと、 「平気よ、これは防水だから」  と、つんとした表情で、彼女は言った。  重厚なカメラは一眼レフだろう。首のストラップは淵が擦れている。大事に、何度も、人が触った形跡を誇る、愛情を受けたカメラ。時を感じるそれが防水だということは、カメラを知っている僕には嘘だと分かった。  初対面であれば、ここで引き下がったと思う。でも、何度も彼女をここで見かけていた為、引くに引けない。  もう一度、院内へ戻るよう促した僕の声は、雷鳴に邪魔された。  大火事が起きたときのようにけむる薄墨色(うすずみいろ)の雲は、迷うことなく黄昏をばくばくと飲み込んでゆく。 「ほら、もう来るよ。中に入ろう」  返事を聞かず、僕が車椅子のグリップを握ると、彼女は素早い動きでブレーキレバーを持った。無駄のない動きで、ロックをかける。病衣から伸びた細い腕に感心していると、隙をつかれ、胸ぐらを掴まれた。 「な、何?」 「邪魔しないで」  鬼気迫る表情に怯む。両手を上げ、降参と謝罪を込め、小刻みに頷いた。 「もうしない?」 「はい、しません。すみません」 「車椅子のレディーの主導権を奪おうとするなんて、路上でパンツを脱がせるようなものよ」  ……それは犯罪だ。 「そこまで?」 「この例えが分からないのは、まだお子ちゃまね」  どう見ても二十歳の僕と同じか、年下だと思われる容姿の女の子にそう言われ、むっとする。 「僕はただ君のことを心配しただけ。……そこまで言わなくても」 「そのグリップは私の一部よ。女の子の足をいきなり掴むの?」 「……ごめん、そんなつもりは……」  カナリア色のリネンブランケットからすらりと伸びた足。痩せ細ったそれははっとするような白さだ。足首にはビーズのアンクレット。これには見覚えがあった。病院の売店に置いてあるオモチャのアクセサリーだ。こんなダサくてちっぽけなもの、誰が買うのだろう、と僕はそのとき、鼻で笑った。小さい子が身につけるにしてもチープすぎるし、大人は見向きもしないだろう、と。  それを身につけ、違和感のない大人が居るとは、想像もしなかった。車椅子を体の一部と言ってのける女の人がいることも。  浅い考えで納得していたことに、本気で落ち込む。  昨日と同じ、太陽が燃えるように沈んでいく天候であれば、彼女の横顔を遠くからこっそりと見ているだけだった。  夕立が来そうだから、声をかけた。
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