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男は、深い夜の闇に聳える無機質な建物を振り仰いだ。
二十一時。 じぃぃぃん、と、静寂の粒子の擦れ合う音が絶えず鼓膜を震わせている。
──あいつも、俺と別れなければ……。
男の薄い胸の裡に、無念と同情が共存して蟠った。
繁華街から逸れた一円の町。 時刻の如何に関わらず、常に人の絶えたような寂寥。 鼻先を掠める、どこか饐えたような匂い。
元妻の辿った壮絶な末路を脳裏に浮かべながら、男は建物の外階段を上がった。 人目の無さに安堵する反面、孤独の不安と緊張が頭をもたげていた。
──大丈夫。 ただ話し合うだけだ。 うっかり殺してしまうなんてこと、あるはずがない。
着ていたジャケットの内ポケットに沈む重たいそれが、心臓の鼓動で肌と触れ合い硬い質感を醸し出す。
目的の部屋の前で古めかしいインターホンを鳴らすと、ややあってから『はい?』と若い女の怪訝な声がくぐもって聞こえた。
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