夏模様

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夏模様

「…あ?雨?」  顔に当たる雨の感触。  見上げると空が急に曇り、空から落ちた雨が地面を濡らしていく。  傘は無いし、雨足はどんどん強くなってくる。  ひとまず目についたカフェに入ろうとドアノブを手を掛けると、自分以外の手が上に重なった。  すらりとした綺麗な指だった。 「あっ、ごめん!」 「こちらこそすみません」  咄嗟に敬語になってしまったのは、相手がスーツを着ていたから。  雨粒に濡れた髪の毛や頬がやたらと格好良く見える。  手首に巻いた腕時計が様になっていて、大人の余裕を感じさせた。  自分より少し背が高い男性だが、綺麗という言葉が似合う人だった。  睫毛が長くて、吸い込まれそうな瞳をしている。  黒目が綺麗で黒曜石みたいだ。 「君も雨宿り?」 「はい。お先にどうぞ」 「そう?ありがとう」  ドアが開けられ、サラリーマンが先に店内に入る。  客は急な雨に降られて外に出られなくなり、皆不安げに外を見ていた。  最近の雨は急変するから無理も無い。  テーブルはどこも埋まっているし、カウンター席は無かった。どうしようか迷っていたら、先程のサラリーマンが手招きをしてくれた。  知らない人と相席だけど、こういう日があっても良い。  肩にかけたリュックを降ろして椅子に座る。 「すみません、ありがとうございます」 「こちらこそ、さっきはありがとう」 「いえ、とんでも無いです」  ポケットからハンカチを取り出したリーマンに、リュックの中からタオルを取り出して渡した。 「これ洗いたてで使って無いので、良かったらどうぞ」 「でも、君も濡れてるよ?」 「大丈夫です。もう一枚ありますから」 「凄いな。用意が良いね。ならここの会計は俺が持つから、何でも頼んで」 「そんな、悪いです」 「良いの良いの」  美形リーマンは微笑むと、耳に掛かる髪を掻き上げタオルで拭いた。いちいち仕草が様になっている。  どんな仕事をしていればこんな風になれるのか。 「お仕事中ですか?」 「うん。もう帰るだけだから、びしょ濡れでも良いんだけどね」 「直帰ってやつですか?」 「そうそう、寒い時に着るやつね」 「それはチョッキ!」 「あー、銃で撃たれたら必須だよね」 「誰が防弾チョッキの話しをしてんね!」 「ぷっ!あははっ!チョッキなんて言葉よく知ってるな?よし、一緒に吉本に願書出しに行こ」 「アホ言いなや〜あはは!」  名前も知らない人と喋って笑っているのに、それが不思議と心地良く感じる。  落ち着いた声が良いし、初対面なのに真っ直ぐ目を見て話すから旧知の中のように打ち解けてしまう不思議な魅力がある。  それに綺麗な男前が、くだらないギャグを言うとは思わなかった。  笑いが収まった頃、男は上着を脱ぐとポケットから名刺を取り出した。 「えー、ワタクシ、こういう者です」 「頂戴いたします」  恭しく両手で受け取る。  名刺に目をやると、自分でも知っている大手企業の営業職だった。 「天澤天音(あまさわあまね)さん」 「冗談みたいな名前だと思ったね?」  可愛らしい名前に反して、天澤のツッコミは容赦が無い。 「そんな事無いです。綺麗なお名前ですね。俺は、和泉竜生(いずみりゅうせい)です」 「それ本名?格好良過ぎて羨ましいな。どんな漢字書くの?」 「本名です。竜が生まれるで竜生ですね。和泉は令和の和に泉です。まだ専門学校に通ってる身ですけど」 「へぇ。何の専門学校?」 「調理師と、栄養士の資格を取りたくて」 「凄いな〜俺、自炊苦手だから尊敬するよ。っとゴメンな。和泉君、何頼む?」  メニューを開きながら天澤はにっこり笑った。  それを見たら、胸が高鳴るのを感じた。  映画でも小説でも繰り返し使われてきたチープな表現。  そんな心情が自分にもぴたりと嵌る事があるなんて思ってもみなかった。  自分はゲイでは無いが、天澤は魅力的な人だ。  メニュー表を渡され、和泉はアイスコーヒーをお願いすると天澤は首を振った。 「ナポリタン好き?ここはナポリタンがめっちゃ美味いんだよ」 「そうなんですか?でも、悪いです」 「歳取ると、若者を見ると奢りたくなるんだよ。お兄さんの言う事を聞いてナポリタンにしなさい」 「じゃあ、お言葉に甘えてそうします」  満足そうに笑う天澤に、この笑顔がもっと見たいと思った。  サラリーマンと学生だ。  きっともう会う事なんて早々無いだろう。  この店に来れば会えるかもしれないが。  そう考えたら、この時間がひどく貴重で尊いものに感じられた。 「和泉君は関西出身?」 「いえ、祖父母がそちらなんです。夏休みとか遊びに行くと従兄弟も容赦ないから、自然に鍛えられました」 「ハハ、そうなんだ」  先にアイスコーヒーが運ばれて来た。  天澤の形の良い唇がアイスコーヒーのストローを咥える。  何でもない仕草なのに、やたらに色っぽく見えるのはどういう訳だ。  自分より年上の男性なのに。 「ん?えっち。何見てんの?」  揶揄うように笑われ、動揺した。  早く言え。  お笑い芸人の突っ込み担当みたいに。  焦れば焦るほど上手い返しが出てこない。 「…天澤さんが、綺麗で見惚れました」  なんてこった。  馬鹿正直に答えてしまった。 「すすすみませんっ、でも本当です」  呆気に取られた様子の天澤に、馬鹿な自分を呪いたくなる。  恐る恐る天澤を見ると、言われ慣れているのか全くもって普通だ。 「ありがとう。綺麗なんて久しぶりに聞いたな」 「やっぱモテましたよね」 「んーまぁまぁね」  まぁまぁの訳がない。  この顔でこの性格だ。モテにモテたに違い無い。 「天澤さんは今、何歳ですか?」 「27だよ。和泉君は?」 「二十歳です」 「二十歳!良い響きだな」  それから運ばれて来たナポリタンは本当に美味しかった。  懐かしいのに美味い。  これまで食べたどの店のナポリタンより美味かった。 「ハムにソーセージにピーマンにマッシュルームと海老。あと玉葱か。具材はオーソドックスなのに、ここのナポリタンは最高ですね」 「だろ?お兄さんに感謝してくれて良いよ。実はね、このお店、今週末で閉店なんだ」 「えっ⁉︎そうなんですか?」 「そう。マスターが隠居するんだってさ。最後に和泉君に食べてもらえて良かったよ」  最後に。なんて寂しい響きだろう。  ここに来れば天澤に会えるかもしれないという願いは脆くも崩れ去った。  泣きそうな気持ちを堪えて食べ終わる。 「雨も止んだようだね」 「え?ほんとだ」  外を見ると、雲の合間から青空が見えていた。  キラキラとした夏の日差しが夕方のアスファルトを照らしている。 「さて、出ようか?」  天澤は伝票を持ち、上着を腕に掛けた。  この人をまだ見ていたい。  また会いたい。  そう思ったら、自然と口から出る言葉は決まっていた。 「俺が、このナポリタンを作ります。そっくりに再現して見せます。だから、友達からでも良いので付き合って下さい」 「え?」 「ダメ、ですか?」  これだけ綺麗で、いかにも出来る男だ。  恋人がいたっておかしくは無い。  天澤は面白そうに笑うと、頬に手をついた。 「それって、ゆくゆくは彼氏って事?」 「そう、ですね。あの、誰にでもこんな事を言ってるわけじゃないんです」  呆気に取られた様子を見て、ひとまず安心する。  良かった。 「恋人はいらっしゃいますか?」 「いないけど。うーん、ぶっちゃけ和泉君、若いしモテるよね?何もアラサーの男の俺を選ぶ必要無くない?」 「天澤さんが、良いんです」  天澤は年上で有名企業の営業マンで、自分にはまだ何も無い。  だけど、このままお別れするのは嫌だった。 「まずは、胃袋から捕まえさせて頂きます」  テーブルに頭がくっつきそうなくらい、頭を下げた。  自分でも馬鹿な事を言うと思うが、ここで頑張らなければもう会えない人だ。  顔を上げると、天澤は変わらず美しい顔でにっこり笑った。 「ん。楽しみにしてる」 「はい!」  この人に会えて良かった。  夏の夕立は最高だ。
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