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傘と未来と君の愛
これは、私がある小学校のクラス担任を受け持った時のことだ。
当時新米教師だった私は、教師という仕事の量に毎日てんてこまいの状況だった。先輩教師たちには怖い人が多く(というか、彼等彼女らも人手不足でピリピリしていたというのが大きいだろう)あまり相談できるような空気でもない。基本的には自分の分の仕事は自分でこなすのが当たり前だった。――臨時採用ではなく、正規の採用として此処に来られただけ、私はきっとマシな方だったのだろうけれど。
とにかく緊張しやすくパニックになりやすい豆腐メンタルの私は、毎日他の教師たちよりも早く学校に来ることを日課としていた。職員室に入る前に、一度自分のクラスの教室に行き、体操と深呼吸をするということをしていたのである。他の教師さえほとんど来ていない時間帯なら、生徒が教室に入ってくるはずもない。誰もいない、がらんとした場所に一人。今日の授業のイメージトレーニングをしつつ、独特な匂いのする教室の空気をいっぱいに嗅いで切り替える。――今思うと結構謎な習慣だったが、当時の私はこのローテーションを毎日こなすことでどうにか緊張をほぐし、今日も一日頑張るぞ!というモチベーションを保っていたのだった。
しかし、ある時を境に、少々この毎朝の習慣を見直す必要に迫られることになるのである。
なんと、私が教室に来て早々、通学してくる生徒が現れたのだ。朝の七時。他の子供達は、下手をすればまだお布団から起きたばかりかもしれないような時間帯だ。彼の名前は、樋口昴流。クラスでも小柄で、比較的大人しく目立たない生徒だった。
「先生、おはよう」
「ひ、樋口君!?は、早いのね」
「うん」
彼は驚く私をよそに、黙ってランドセルをロッカーにしまうと、ロッカーの上に置かれたプラスチック製の飼育ケースをじーっと見つめるのである。緑色の蓋のケースの中には、土と数枚の葉っぱが入っている。中で飼育されているのは、モンシロチョウだった。といっても、まだ黄色い卵がぷつぷつとキャベツにくっついているのみ。どうやら昴流少年は、その小さな卵が孵化するのを、今か今かと待っているということらしかった。
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