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レモンケーキ
今日は嫌なことの連続だった。
間の悪いことに部下の連絡ミスとシステムトラブルが重なり、朝から迷惑を掛けた取引先への謝罪に奔走した。
幸い早くに対応が間に合い、先方からも大した𠮟責はなかったが、終始、酷く肝を冷やす羽目になった。
挙句、会社を出た途端の夕立である。
泣きっ面に蜂だった。
「なんか元気ありませんね」
いつものコーヒーを注文していると、レジ打ち担当の顔馴染みからそんな言葉を掛けられた。
仕事のトラブルだと苦笑したが、帰り際にミスを仕出かした新人に土下座張りに頭を下げられたことが頭に浮かんだ。
あまりの落ち込み様に、こちらが申し訳なくなった。
「嫌なことがあった日は甘いものが一番ですよ?」
そう言って、顔馴染みはガラスケースのあんバターサンドを指差した。
何とも商魂逞しい。
この所、連続でそれを注文しているのを憶えていたようだ。
しかし、今日に関しては極度のストレスで、あんバターサンドを食べるほど胃の調子が良くなかった。
「いや…、ちょっと今日は…」
そう言い掛け、ふと隣にあったレモンケーキなる物に目が行った。
正直、歳も自覚しているので、あまりカロリーの高いものは控えなければいけないが、値札の隣に掛かれたカロリー数はあんバターサンドより低かった。
「このレモンケーキって…?」
「お、お目が高い。そちら今年復刻した商品で、コーヒーとの相性も抜群です。レモンの風味が絶妙で僕も大好きです」
「じゃあ、それ貰おうかな」
元気に売り込む顔馴染みに、何となく財布の紐が緩んだ。
皿の上にちょこんと乗った丸いケーキとコーヒーを片手に、いつもの席へ。
「お兄さん、こんばんは。今日はあんバターじゃないんですね」
席に就いてすぐ、窓際の彼女がからかうように声を掛けて来た。
最近気付いたが、彼女は雨の時だけこの席に出没する。
ちょっと理由を知りたくもあるが、初老の域に入っている私である。
どう見ても十個は年の差がありそうな彼女に、あれこれ聞くのは気が引けた。
「ちょっと今日は胃が痛くて…」
「あら、具合が…?」
「唯のストレスです」
「あらあら」
そんな他愛ない会話と共に、初めてのレモンケーキをパクリ。
思ったよりも甘かったが、レモンの風味がさっぱりしていて胃に優しい。
暑さの厳しいこの季節にピッタリだ。
「本当に美味しそうに召し上がりますね…!」
クスクスと笑いながら、彼女は広げていたスケッチブックを閉じる。
いつも何を描いているのか気になるが、何故だか見てはいけない気がした。
「…あ、雨が…」
ふと窓から差し込んだ光に、何故か彼女は怯えるような素振りを見せた。
「ごめんなさい、戻らないと…」
そう言って、彼女は慌ただしく飲み掛けのドリンクや軽食をまた紙袋に押し込む。
洒落た柄の白のスカートを翻す彼女は、何処かシンデレラの様だった。
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