アイスコーヒー

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アイスコーヒー

 その日は朝から雨だった。  平日ではあったけれど休みだったので、昼間からいつものカフェに向かった。  いつもとは時間が違うため顔馴染みも居ないし、混んでいたのでテキパキと注文を終え、いつもの席へと向かった。が、既に埋まっていた。  仕方なくあまり使ったことの無いソファでアイスコーヒーを味わったが、やはり落ち着かないので早々に退散した。  これと言った趣味もなく、コーヒーだけが楽しみな私には平日の休みなど惰眠を貪るか、部屋の片づけをするかの二択である。  生憎、先週末に掃除はしたばかりだし、この所はそこまで疲れも溜まっていない。  ――――さて、何をしようか。  そう考えながら小雨の中、カフェと自宅の間にある駅前をプラプラと歩いていた時だった。 「あら?お兄さん?」  聞き覚えのある声に足を止めた。  驚いたことに彼女だった。  いつもながらの洒落た格好で、目新しい白い傘を差していた。 「お嬢さん…!」  思わず笑みが零れた。  会えるとは思わなかった。 「こんな所で会うなんて。今日はお休みですか?」  彼女も何処か嬉しそうに訊ねた。  抱える手提げには画集が入っていた。 「有休消化で。お嬢さんもお休みですか?」 「私はいつも休みみたいなものです。今日は欲しい画集があって……」  そう言って、彼女は肩を竦める。  カフェの外で見る彼女は不思議とか弱く見えた。 「今日は白い傘なんですね」  ふと、気になっていたことが口を吐いた。  会う度、傘の色が違うことに気付いたのは、つい最近だ。  初めて会った日は水色の花柄、その次が黒のストライプ、またある時はピンクの無地、赤のチェック。今日の白に小花柄は初めて見る。 「日傘兼用です。傘がないと落ち着かなくて…。それに可愛い柄だとお洋服感覚でつい買っちゃうんです」  そんな言葉に、何かが心に閊えた。  思い返してみると梅雨時期も重なって結構な頻度で会っているのに、同じ服を着ているのをあまり見たことが無い。 「前から思っていましたが、お洒落なんですね。お洋服がいつも素敵だ」  ナンパっぽい気もしたが、素直に思っていることなので誉め言葉を掛けた。  しかし、彼女はあまり嬉しくなさそうで――――、寧ろ困った顔をした。 「私、同じ格好ができないんです…」  そういう彼女は表情に暗い影を落とした。  何だか、今日は顔色が冴えない。  カフェで見る時は、大人の雰囲気で余裕たっぷりな顔をしているのに――――、その瞳は何かに怯えているようだった。 「お嬢さん?何処か具合でも?」  体調が悪いのかと思った。  調子が悪いなら、こんな所で立ち話をしている場合ではない。 「あ、いえ。そういう訳では…」  慌てて否定する彼女だったが、その直後、サーッという音が聞こえてきそうなほどに顔が青ざめた。  私の背後を見つめて硬直する姿に、何かと振り返る。  大した雨でもないのに雨具を着込んだ初老の男が、鬼の形相で彼女を睨んでいた。 「やっぱり…!この売女め‼」  実に不愉快な言葉を吐き捨て、男が手にした開いたままの傘を振り上げる。  突然の事に驚いたが、咄嗟に前職の反射が出た。  差していた傘を素早く畳み、殴り掛かる男の傘を弾き飛ばした。  こちらの反撃に男は逆上したが、殴り掛かる体勢は隙だらけで相手にもならなかった。  次の瞬間、男は顔面から地面に捻じ伏せられた。 「私、元警官なんでね。大人しくした方が身の為ですよ」  私の脅しの一言に、男が途端に青ざめた。  いつの間にか雨は上がり、誰が呼んだか遠くからパトカーのサイレンが鳴り響いた。 「ご協力ありがとうございました」  駆け付けた警察に男を引き渡し、ほっと安堵の溜息を零した。  昔取った杵柄ではあるが、身に付いた護身術は今でも健在であった。  ただし、古傷に障ったらしくジワジワと右大腿部に痛みが出て来た。  咄嗟の事だったし、暫く痛まなかったので傷の存在も忘れていた。 「では、失礼します」  そんな声に目をやる。  少し離れたところで警察からの取り調べを終えた彼女は、気が抜けたように近くのベンチに座り込んだ。  尚も怯えた様子だった。 「大丈夫ですか?」  男を乗せて過ぎ去るパトカーを見送りつつ足早に駆け寄り、手に持っていた薄手のジャケットを震える肩に掛けた。  少し湿っているのが申し訳なかったが、無いよりマシかと思った。 「とんだご迷惑をお掛けしました…」  深く頭を下げ、彼女は顔に掛かる乱れた髪を掻き上げた。  鼻先が赤くなり、目には涙を浮かべていた。 「あの男、知り合いで…?」 「……昔、色々あって…」  そう気まずそうに答えつつ、彼女の視線がふと摩っている私の大腿に落ちた。 「もしかしてお怪我を…?」 「あ、いや!ご心配なく。ただの古傷です。実は昔、暴漢とやり合った時に盛大にやられて…。今じゃ警備会社の事務担当です」  頭を掻きつつ気晴らしになればと、冗談めかして自分の身の上を話した。  警官だったのはもう十年も前の話だ。  今日のような雨上がりで、暴漢と揉み合う中で切りつけられ、運悪く筋をやってしまった。  日常生活には問題ないが仕事を続けるには不安が残ったため退職し、当時の先輩の紹介で今の会社に世話になっている次第である。 「そう…だったんですね…。巻き込んでしまって…、本当にごめんなさい…っ…」  震える声で尚も謝る彼女だか、その顔が見る見る青ざめて行く。  あまりの血色の悪さに、不安が過った。 「大丈夫ですかっ?ちょっと、お嬢さん⁉」  よろめいた肩を支えると同時だった。  華奢な体が力無く胸に凭れ掛かり、気付いた時には彼女は意識を失っていた。
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