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ー その男の名は ー
けふも旅のどこやらで虫がなく
夕立が過ぎた遠い夏雲の空を見つめ
私はあの人を探し流浪する
時は江戸末期。
ある会津藩の脱藩浪士が人を探しに流浪の旅をしていた。旅の途中、時次郎は急な夕立を避けるように走り、誰もいない神社の境内で雨宿りをした。そして雨に濡れた着物を手で払い、懐から出した手ぬぐいで顔を拭いた。
ふと何処からか野良犬がやって来て、時次郎の隣に小さく座る。その汚れた野良犬は左前足が無く、体中に無数の傷がついていた。
「なんだ、お前もか」
時次郎は境内の屋根に叩きつける雨音を聞きながら、あの時のことを思い出していた。
ーーーーー
江戸末期の会津藩は幕府から京都守護職という役職を命じられていた。京都守護職とは、幕府が京都市中の治安維持や御所の警備などを担う役割として設置されたものだった。
当時の京都では尊王攘夷を掲げる過激な武士や浪士たちが集まり、治安の悪化が懸念されていた。その過激派による天誅や押し込みなどの騒乱が横行し、所司代・奉行所のみではそれを防ぎきれなかった。
その為に時次郎は京都守護職となった会津藩の命を受け、藩士の1人として京都へ移住していた。そして京都守護職の配下にある京都見廻組の組員となった。
ある夜。
時次郎は5人の見廻組の組員と一緒に京都の街を警護をしていた。その時、向こうから何やら重々しい身なりをした5人組が歩いて来た。
派手な着物を羽織る武装集団、あの新撰組である。
「おぉ、見廻組の方々か」
「これはこれは新撰組の方々。 ここは見廻組が警護しますので、安心して他の場所を廻って下さい」
「いや、京の街は会津の方よりも我ら新撰組の方が詳しい。 ここは新撰組に任せて屋敷でゆっくりお休み下さい」
お互いそんなやり取りを交わしながら、張り詰めた空気の中で見廻組と新撰組が睨み合っていた。それを見ていた京都の人々も、恐る恐るそこを避けて歩いていた。すると、新撰組の1人が馬鹿にするかのように笑った。
「はっはっは。 じゃあここは見廻組にお任せして、我ら新撰組はこの辺の店で酒でも呑むとしよう。 見廻組様が必死で走るところを眺めながらな」
そう言いうと新撰組の5人は全員笑った。馬鹿にされて我慢できない見廻組の組員が前へ出ようとしたその時、時次郎がそれを止めた。
「そうですねぇ、ここは見廻組がしっかり警護しますので新撰組の方々はゆっくり呑んで下さいよ。 あの過激派の連中と・・・」
時次郎のその一言でまた空気が張り詰め、新撰組の笑い声が一瞬で消える。
「ちっ、行くぞ!」
新撰組はかなり不満そうに夜の街へと歩いて行った。
すると1人の組員が振り向いて、
「お前の名は?」
「俺は時次郎。 お前は?」
新撰組の組員はフッと笑いながら、
「俺は斎藤一。 時次郎、またどこかで会おう」
斎藤はそう言い放ち、懐に手を入れながら夜の街へと歩いて行った。
「あいつが斎藤一か・・・」
「時次郎、あいつは誰だ?」
「あいつは新撰組三番隊組長の斎藤だ」
夜の街を悠然と歩く斎藤の後ろ姿を、時次郎はジッと見つめていた。
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