うそつきの来訪

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うそつきの来訪

 今宵もまた、あの大うそつきがやって来た。  妻も子供たちも今日は出かけて帰ってこない。  時計は夜の10時をだいぶ回った頃だった。  かって知ったる他人の家。  奴はずうずうしくもいきなり部屋に上がりこみ、酒を飲むぞと座り込む。 「奇遇だな。ちょうど今、焼酎を開けたところだ」  封を開けたばかりの安い焼酎。それをお湯割で飲むのがあいつの流儀だ。季節が冬だろうと夏だろうと関係ない。  僕は少し前に沸かしたお湯をポットに移し入れ、ヨンロクで酒を作る。お湯が先に6、焼酎4を後から注ぐのがあいつの好みだ。 「ちょうど一年ぶりかな。もう40年の付き合いさ」  僕は旧友が前回いつ来たのかを、きちんと覚えていた。  あいつとの付き合いは中学1年からだ。クラスは違ったが、公立中学にしては珍しく登山部というのがあって、そこで意気投合した。高校は別々だったが、オーディオ、アニメ、漫画、麻雀、当時マイコンと呼ばれていたパーソナルコンピュータ。面白そうなものはなんでも手を出していつか映画を二人で作ろうなどと夢のような話をしていたが、結局酒の席の話でしかなかった。  もちろんずっと連絡を取り合っていたわけではないし、まったく音信不通の時期もあった。  世に言う腐れ縁という間柄だ。 「嘘付けぇ。そんなに経つかぁ」 「ああ、そんなもんだ。それにうそつきにうそつき呼ばわりされるのは、甚だ心外というものだ」   あいつは大きな目をより大きくして僕に抗議する。どんなに髭を生やしてもその目は中学の時と変わらない。 「何を言っていやがる。嘘のひとつもつけないような奴を、逆に俺は信用できないね」  乾杯もせずに湯気の立つ芋焼酎をあおりながら、あいつはそう嘯いてみせた。このうそつきに『今日こそはぎゃふんと言わせてやる』と、前回果たせなかった心残りを果たすべく、僕は反論する。 「しかしうそつきは泥棒の始まりって言うじゃないか」  僕も焼酎の水割りを勢いよくのどに流し込む。 「泥棒をこんな夜中に招きいれる奴が悪い」  あいつは他人事のように言ってのける。呆れ顔の僕を見てあいつは満足そうな表情を浮かべながら続ける。 「そんな顔をするな。お前、人の社会はやるかやられるか、食うか食われるかだ。盗まれるほうが悪いに決まっている」  むちゃくちゃな言い分だが、思い当たることがないわけでもない。  どんなきれいごとを言っても、或いはどんなにスマートな生き方をしようとも、人類社会は何かの犠牲の上に成り立っているのだということは、ニュースや新聞、ネットの記事を見れば知ることとなる。  それを意識するのか、見て見ぬ振りをするのか、或いはそうしたことにまるで気づかないでいるか、目と耳を塞ぎ思考を停止させ、ひたすらに日々の暮らしに没頭するのか、方法はさまざまだが多かれ少なかれ、社会システムというのは強者が弱者から搾取する構造をしているのは歴史的に見て明らかだ。  でもだからこそ、僕は正論を盾にして、矛先をあいつに向けた。 「そんなことだから、いつまでたっても人は争いをやめられないんじゃないのかな。不正を正し、嘘で固められたあんなことやこんなことを止めなけりゃ、いずれ人類は滅んでしまうんじゃないか。ならば、一人一人ができるだけ正直に生きること。そうでなければ社会は変えらない。世の中すさむだけだよ」  自分でも偉そうなことを言っているなと思いながらも、あいつとのやりとりは常に対立軸で展開し、酒が進むのである。その遊びを止める気にはなれなかった。 「いやいや、それこそみんな正直に生きてみろ。何が起きるか想像できるだろう?」  あいつは大きな目をさらに大きく見開いて挑発的な態度を取る。 「たとえばだ。合コンをしたとしよう。きれいな姉ちゃんには『お姉さん、おきれいですね』と正直に言うのはいい。しかし『オッパイ小さいけど』という本当のことは言わないだろう。それに女子が三人いたとして、そこには優劣があって、それを『あなたが一番、君は二番、そちらの御嬢さんは圏外ですね』とか言えるかぁ。普通。『みなさん、おきれいですね』とかなんとか言っちゃって、その場を楽しくやり過ごせない奴とは、俺は合コンにはいかないぞ」  それは笑えない事実であり、僕自身があいつに合コンの極意とは、一番きれいじゃない女子の機嫌を損なわない事こそ肝要だと説いたことがある。  それはそれで若気の至り、今ならそんな恥ずかしいことは言えない。  だからこそ反論しないわけにはいかない。 「ああ、確かにそんなことを言った覚えはあるぞ。だがなぁ。そこでご機嫌をとった挙句、お目当ての女子をみすみす他の男に取られるぐらいなら、正直に、まっすぐに一番お気に入りの女子にアタックしたほうがよかったと今は後悔している。やはり嘘は損だ」 「損して得取れと言うぞ」 「ああ、損な役割をしてきたからこそ、それこそ嘘だと俺はお前に言いたい」  あいつは一瞬動きを止め、大きな目を何度も瞬きしておどけて見せる。 「まぁ、飲めや。今夜は飲むぞ」 「ああ、人の社会はともかく、俺たちは飲むか、飲ませるかだな」  二人は飲みかけの酒を一気に流し込んで、それぞれの方法で自分の酒を作り、やっと乾杯をした。
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