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酒は嘘を解かす
「なぁ、良い嘘とか悪い嘘とかあると思うか?」
僕は嘘について、別の視点で話を振った。
「カネに色がないように、嘘にも色はないな」
「しかし、『嘘から出た実』というものもある」
「いや、『嘘も方便』というが、方便は方便だ。嘘には変わりはないぞ」
「しかし、確かにあるだろう。ついて良い嘘と悪い嘘というのが」
テンポよく会話が進む。あいつとはいつもこうだ。
「良いか悪いかではなく、喜ばれるか、そうでないか……だな」
僕は考える。思い出す。僕がこれまでついてきた嘘のことを。その様子を見てあいつはここぞとばかりに痛いところを付いてきた。
「なんだ、想い人にでも『うそつき』呼ばわりでもされたか。この女泣かせが」
「そういきなり本題に入るなよ。そこは嘘でも気を使え」
あいつは生き生きとしながら畳み掛けてくる。
「おお、これが世に言う『嘘から出た実』ってやつだな。まさかお前が女を嘘で泣かすなんて、思ってもみなかったわ」
小憎たらしいおどけた態度で悪態一歩手前、言い得て妙、蜂の一刺しである。
「泣かすと思っていたらそんな嘘はつくかよ。いや、嘘じゃない。正直な気持ちを伝えたら、嘘だと言われた。そして泣かれた」
「馬鹿だなぁ。女の涙を信じるとは、嘘のなんたるかを丸でわかっちゃいない」
いよいよ僕は憤慨して言い放つ。
「実際に泣かれてみろ。ぐうの音も出ないぞ」
「パーを出して負けたんだろう。最初にチョキを出す奴は性格が悪いぞ。気をつけろよ」
得意気なあいつの顔を見ていて腹が立ち、僕は思いつきで作り話をもちかけた。
「男子のほとんどはいきなりのじゃんけんで最初にグーを出すそうだ。だからあえて『最初はグー』と掛け声をかけることで、その割合を減らしたそうだ」
「へぇ、それは本当か?」
僕は沈黙した。
「おい、それは嘘なのか。本当なのか。本当だとしたら、確かにそうだな。だいたいグーを出す。女子はパーを出すというのは、やはりそのことを知ってのことだったのか。なるほどありえるかな」
あいつを騙そうとしても簡単には嘘を信じない。しかしあいつが面白いと思ったら、実は嘘だったと言っても、その嘘を信じて疑わない振りをする。天邪鬼と言うべきか、そういう子供っぽいところは大人になっても変わらない。
あいつにやられっぱなしも面白くなかったので、さらに嘘を重ねてみることにした。
「なんかのテレビ番組で幼稚園生を集めていきなりじゃんけんをさせたら、6割強、その傾向があったとか見たことがある」
我ながらよくできた話である。
「ほう、なるほど。子供であれば、データとしては嘘がなさそうだな。俺たち大人は変な知識やジンクスを頼りに素直にパッとできないものなぁ」
「ああ、大人になると素直になれない。だからこうして酒を飲んで、素直さを取り戻すのさ」
僕が差し出したグラスにあいつはうそつきを見る目でグラスを合わせ二度目の乾杯をした。
適当についた嘘の話が、こうして酒を飲みかわすことの正当性にまでたどり着いたところで、いよいよおかしくなって僕は笑い出した。
「酒は嘘を解かす。さぁ、飲もうじゃないか」
「おう、今夜はいくらでも付き合うぞ。また、いつ来られるかわからんからな」
嘘をついたせいか、心なしか酒がまずく感じたが、それはもしかしたら違う理由なのかもしれない。僕はもっとそのことについて話を詰めたかったはずなのに、嘘ではぐらかしてしまった。後悔と言う奴は、いつでも苦く、不味い物だと知った。
するとあいつはそれを知ってか知らずか、ぼそりと自分話をこぼし始めた。
「女の涙は強烈だが一日経てば、けろりとしたものさ。アレと別れたときもそうだったが……」
あいつにはおしかけ女房のような彼女がいた時期がある。それも実家である。僕からすればそれは当然、結婚まで行くものだと思っていたし、別れたと聞いたときには、驚いた以上に、あいつを随分と批難したものだった。
「別れたこと、本当に後悔していないのか。お前」
あいつは沈黙を守りつつ、酒を流し込む。
「何かつまみが食いたいな」
僕は「ふむ」と答え、立ち上がった。
「冷蔵庫に何かあったかな」
台所を物色し、ツナ缶ときゅうりを見つけた。
「ツナサラダならすぐ作れるぞ」
「おう」
きゅうりを斜めに薄く切り、それを千切りにして軽く塩を振って水気を絞る。ボールにあけてツナを入れてマヨネーズで和え、そこにさっとコショウをかけた。
そうえいば、いつだったかあいつが散髪に失敗し、河童のような頭になったことがあった。クラスのみんなは河童だ、河童だと言ってからかったが、あいつの好物がきゅうりであることを知っているのは僕くらいだったかもしれない。
山登りの時、水分補給にはこれが最高だと言って、うまそうに食っているのを何度も見た。
「さすがだな」
「どう致しまして」
先ほどの会話はなかったことにしてもよかったのだが、それも気持ちが悪いので違う角度で切り込むことにした。
「あの子は料理の腕はどうだったんだっけ」
「パスタはうまかったな。あとはなんとかという料理が、まぁまぁ美味かった」
「なんだよ、そのなんとかって」
「横文字のこじゃれた野菜の……なんか美味いソースをつけて食う奴、なんとかパウダー」
「ガーニャカウダーか」
「そうそのガーニャパウダー」
「いや、カウダー」
「うるせえ。カウダーでもパウダーでもどっちでもいいじゃんか」
「洒落ているなぁ」
「ああ、洒落ていて、なんか嫌だった」
「そういうものか」
「ああ、そういうものだ」
それから『いつも』のように昔話に花を咲かせ、いよいよ焼酎が底をきる。
名残惜しくも最後の一杯。時計は長い針と短い針がてっぺんを指そうとしている。
「今日はこれぐらいにしておくか」
あいつはそう言うと、グラスの底に残ったわずかなしずくを大きな口に落とし、やや大げさな動作でテーブルに空のグラスを置く。
「そうか、もういくのか」
「ああ、もういく。いかないといけない」
いつもそうだが、去り際にやつは『さよなら』を言わない。右手を顔の横に上げて大きく手を広げる。その手を振りはしない。ただ上げる。そして大きな目をさらに大きく見開き、小さな哺乳動物のように激しく瞬きをする。
「また来いよ」
「暇なときにな」
「ああ、暇なときに」
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