古き良き友

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古き良き友

 薄くなる。  あいつの黒々と焼けた肌に見えるそれは、実は季節に関係なく黒い。その黒い肌がすっと透けていく。白くなるのではない。黒く薄い影となって細かい粒子に変換、或いは還元なのか。蛍光灯の粉のような乾いた質感の粒になり、やがて肉眼では見えないような微粒子へと還っていく。 「まったく、たいしたうそつきだよ。お前は……」  長針と短針が重なり、今日という日の終わりを告げ、明日という今日を迎える。  あいつの命日が正確にいつなのかはわからない。  8年前、山に行ってくると家を出たきり、あいつの消息はぱったりと途絶えてしまった。  そういうことがそれまでなかったわけではなかったが、15年前に親父さんがなくなった後は、お袋さんに心配はかけられないと、そういうことはなかっただけに、身内の中では心配をする声もあったし、僕自身も嫌な胸騒ぎがあった。 『この年齢での嫌な予感はあたるんだよ』  その言葉は、僕が言い出したのか、あいつが言い出したのだったか。僕が家庭を持ってからは、会う機会もずいぶんと減ってしまったのだが、最後にあったのは10年前、僕の母親の葬儀のときだった。  参列者も多く、葬儀の時にはあまり話す時間はなかった。葬儀が終わって一人、地元のなじみの店にいったとき、あいつは待ちくたびれたと言わんばかりに僕を迎えてくれた。なんの約束も取り交わさずに、こうして会えるあいつは、それでも嘘をつく。 「やっと来たかよ。3日前から待ってたよ」 「嘘つけ、昨日は定休日だろう」 「細かいことは気にするな。まぁ、飲め」 「ああ、待たせたな」 「いや、今来たばかりだよ」 「うそつけ、結構飲んでるだろう?」 「こんなの飲んだうちに入らん」 「そっか」 「そうだよ」  僕の子供のころからの唯一の親友はかくのごとき、うそつきである。  だが、その嘘で誰かを不快にすることはない。嘘を着くことで、照れを隠している。そして8年前、自分がうっかりミスしてしまったことも、どうやらずっと言い出せないようだ。  あいつが我が家に顔を出すようになったのは、5年前。ちょうど今日のように家に僕しかいない夜だった。  僕は驚いて、今までどうしていたんだ、心配をしていたぞと問い詰めても、要領を得ない返事しか返ってこない。妻と子供が居ない分、1人でゆっくり焼酎でも飲もうと買っていた芋焼酎を二人で飲み干し、僕が冷蔵庫にまだ何かあるかと探している間にあいつは忽然と姿を消した。  翌日、あいつのお袋さんから電話が来た。とある山中で身元不明の遺体が見つかり、それが自分の息子であることを昨日確認してきたというのだ。  なんて奴なんだ。  よりによって、僕のところに化けて出るとは笑止千万。幽霊なんか信じないと言っていたくせに。子供のころにさんざん議論したものだ。超能力はあるのか、UFOは実在するのか、心霊写真は本物か。  あいつは幽霊は信じなかったが、実はお化けが怖いだけなのを僕は知っていた。そんなあいつが化けて出るなどと、なんて間の抜けたことをするのだと僕は笑った。  涙が出るほど笑った。  それから毎年今ぐらいの時期、僕が夜中にひとりでいるときにあいつは酒を飲みに来る。姉夫婦には悪いが、僕は何かと理由をつけて、妻と子供たちを送り出し、焼酎を買い込んで奴が来るのを待つ。  ためしに焼酎を二本用意したが、一本空けると奴は消えてしまう。ならば二本同時に空けたらどうかと試そうと焼酎を買い込んだが、なぜだか二本目を開ける気にならなくなる。  不思議なこともあるものだと思いながらも、こればかりはどうにもならないのだと諦めるしかない。それにそうしたことを試そうとしたとき、急に酔いがまわり意識が朦朧として前後不覚となり、気づくとあいつは居ない。  そうしたことを何度か繰り返し、導き出したあいつの迎え方。  部屋に1人でいなければいけない。  先に封を開けて飲み始めなければいけない。  酒は焼酎、日本酒、ウイスキーどれでもいいが五合を超えない。  録音・撮影・筆談など形跡が残るものは厳禁。  来るのは22時から23時の間、滞在は24時を超えない。  他にもある。料理はほとんど手をつけず、乾き物や簡単なものだけ少量つまむだけ。嫌いなシイタケと納豆を出したことはないが、おそらくそれもNGだろう。ワインやカクテルも然り。ちなみにビールは僕が痛風持ちなので対象外。  そして一番やってはいけないこと。言ってはいけないことは――。  あいつの死にまつわる質問である。  まったくもって不可解であり、不条理ではあるが、不愉快ではない。むしろこうしてあいつが来ることを毎回楽しみにしている自分が居る。  この世でもっともついてはいけない嘘。  それは『生きていることを偽ること』なのかもしれない。  でもだからこそ、僕は、あいつの嘘にどこまでも、付き合ってやろうと思うのである。  なぜならあいつは僕の中学からの古き友であり、いまでも友達でい続けてほしいから。  でもいつか嘘はばれる。そんなときあいつは、目を大きく見開きながら舌を出しておどけるのだろう。  あいつは昔からうそつきだ。  そして僕もまた、その片棒を担ぐ、うそつきなのだ。  こんな嘘を信じてくれる人が居るのなら、一緒に飲みたいものである。  僕はあいつと果たせなかった映画を作る夢物語をいつか実現させてやろうと、こうして物語を書いている。虚実交えて、誰かに喜んでもらえる嘘の物語を。  おわり
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