花言葉が好きだったから…… 『あなたを忘れない』

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 僕の住む街は古くからの宿場町ということもあり、風情ある建物が軒を連ねている。駅の改札を抜ければそこはまるでタイムスリップでもしたかのような景色が広がっていた。  目の眩むような閃光が走り間髪入れずに耳を劈く大きな音が続く。「きゃッ!」その女性は僕の横を通り過ぎるところで小さな声を漏らし飛び跳ねた。見る見るうちにあたりは黒一色となり闇に包まれていく。と、その瞬間「雨!?」二人は足早に近くの民家の軒下に駆け込んだ。その古びた家の軒下、見ず知らずの君と二人きりで雨宿りをすることになる。一向に雨のやむ気配は感じられなかった。 「以前どこかでお会いしたことあったかしら?」  人懐こい柔らかな口調のそれは、一瞬で君の持つ婉容でかつ不思議な魅力と相まって僕を覆い包んでしまった。 「いえ、人違いだと思います」  いわゆる真面目に『クソ』がつくほどの僕は話を合わせ、あわよくばやましい事でも、などとは到底思いつくはずもなかった。彼女は僕の頭の先から足の先まで舐めるように視線を流し、品定めでもしているかのようだった。そして話を続けた。 「あら、そうかしら? 確かに少し大人になったみたいだけど、あの時と一緒。」  そう言うと彼女は僕に抱きついてきた。彼女の暖かく柔らかいその感触は何処か懐かしい感じがした。一時間でも二時間でもこのままでいたいと思えるほどフワッとした感覚だ。まるでマシュマロの海ににダイブし、溺れるように沈み込み、もがいても、あがいても、二度と地上には這い上がって戻ることができないと思わせる、そんなふうにさえ感じた。 「七年もかかったの。」  彼女は耳元でそう囁くと僕の頬に自分の頬を擦りつけてきた。それは長く追い求めていた物を手に入れ、その感触を確かめ味わい、何かを楽しんでいるようにも受け取れた。 「大変だったのよ、好きな物、好きな時間には生まれ変われないの。」 「なんの事?」  彼女の話には何か意味ありげな言い回しも多く、質問をぶつけるように、ついつい言葉となって僕の口から溢れ出てしまった。 「まだわからないの? あの時もこんな夕立だったじゃない。」  彼女は言葉を止めることはなかった。 「びしょ濡れの私を抱き抱え、あなたは自分の家まで連れていってくれた。温かいお風呂を用意して、ご飯だって……」  ──!? あの時の子猫!! 僕がまだ中学一年生だったあの時、そうだ! あの時も今日と同じようにこの場所で雨宿りをした。その時の事が記憶の奥底から蘇ってきた。  夏休みのあの日、隣町での買い物を終えた帰りだ、駅の改札を抜けた途端の夕立。荷物も多かったから雨の止むのをこの場所で待っていた。それは家路へ向かう途中での偶然の出来事だった。  その時、この雨宿りをしていた家の軒下で、ずぶ濡れで小さく体を丸めながら震える子猫が僕の視界に飛び込んできたんだ。それが君だった。君は僕を見つめ何かを訴えているかのように思えた。なりふり構わず自分のTシャツが汚れる事など気にもとめずに抱きかかえた。その小さく華奢でぬいぐるみの様な物体は冷たく、今にも命の鼓動を打つのをやめ、この世から消滅してしまうとさえ感じた。 「やっと思い出してくれたのね。」  そう言って僕に寄せた体をスッと身軽に(よじ)り、背を向けて彼女は話を続けた。 「人間は私達の事を『化け猫』と呼ぶわ。でもそれは人間が付けた呼び名であって私達の種族に取ってそれは宿命でもあるの。」 「──化け猫!? 化けて出たとでも言うのか……」  その彼女の言葉に少し身構えてしまった。この時代、世界中の人々とリアルタイムで昼夜とわずコミュニケーションがとれる今、さらにはテレビ電話でさへ当たり前のこの世の中で『化け猫』それは驚きよりも信じられないと言う方が正しのかもしれない。 「どういう事なのかな、もう少し分かるように説明して欲しいんだけど?」  理解の出来ないことが多く、現実離れしたその彼女の話を最後まで聞く覚悟ができたとき、それが言葉っとなって彼女に問いかけ、話の続きを説明するように促していた。 「猫の種族の掟では、命を救ってくれた人間、この人と決めた人間とは一生を添い遂げなければならない決まりがあるの。」 「一生!?」 「そう、私より早く先立たれるのなら猫のままでもいい、けど、貴方はそうではなかったから……」  彼女は少し寂しげに切れ長の目に涙を浮かべながらこれまでの事を僕に話してくれた。 その目は僕の知る中学一年生の時に見たあの時の夕立の日、初めて逢った時の子猫の目、それと同じものだった。 「犬に生まれ変わった時は飼い主様に対して申し訳ない気持ちで一杯だったわ。愛情を沢山もらっていたにも関わらず、自ら姿を消し命を絶った。蝉は良かったわ、地上に出れば死を待てば良いだけだもの…… それが掟…… 決まりなのよ。」  彼女はそうやって色々な生き物に生まれ変わることを七年も続けてきたと言う。そしてやっと人間の女性になり、しかも、僕とさほど年齢差のない姿を手に入れてた事を頬に涙を伝え丸顔を歪めながら教えてくれた。  あの頃のことが鮮明に蘇ってきた。一緒にお風呂に入った。寝る時も一緒だった。期末試験の時は勉強の邪魔をされて本気で怒ったこともあった。でも遊んで欲しかったんだもんね。そして君がいなくなって僕は本気で泣いた。あれから随分と長く心にポッカリと穴の空いた状態が続いたんだ、抜け殻だったんだよ。普通でいられるようになったのだって、ごくごく最近の事なんだ。  一人っ子の僕が唯一心を開き、妹のように可愛がった君が大切だった。二度と会えないと思っていた。そして君がいなくなった理由(わけ)を知った今、懐かしい思いよりも何よりも、帰ってきてくれて嬉しい、愛おしいという感情を抑えることができないでいる。 「どうかされました? 涙?」  止められないよ、泣くなって言う方が無理な話だろ…… 精一杯のやせ我慢からこんな言葉を君に向けて放っていた。 「泣くわけないだろ! 雨の間違いさ で、僕にどうして欲しいんだよ!?」 「私と一生を共にして下さい。あなたと添い遂げたいの、無理かしら?」 「無理って言ったらどうするんだよ、掟なんか知るかよ!」  強がりでしかなった。喜んで! と言えたらどれだけ良かったのか、今さらながら格好悪い自分に少しばかり恥ずかしい思いが寄せる。 「無理なら私はここで死ぬだけです、生きる意味がありませんので……」  君は口元をキュッと真一文字にすると、さっきまでの悲しみにくれる表情とは売って変わり、力強い口調でそう言い放った。 「──死ぬって!?」   君の言葉に驚くが早いか僕の口から言葉が飛び出した。 「おいおい待てって、だったらの話だよ」  この場で死なれても困ります。ましてやこんなに可愛い女性から告白されて嫌ですなんて言うはずもない。 「それは生涯を共にしてくださると言うことで良いのかしら、ご主人様。」 「うん、いや、まぁ…… ていうかご主人様はないだろ」 「では何て呼んだら良いのかしら?」  そうだよなぁ君は僕の名前を知らなければ呼んだ事もないのだから。少し混乱する頭の中を整理し、冷静を取り戻すよう自分の能ミソに語りかける自分がいる。 「下の名前でいいや、ヤマトって呼んでくれれば」 「ヤマトさま?」 「まって、まって、一生を添い遂げる相手に『ヤマトさま』はおかしいでしょ、呼び捨てでいいよ」 「ヤマト。」  うん、それそれ。友達や両親、さんざん呼び捨てされてきたけど、こんなに心地良い穏やかな気持ちになれた瞬間はなかった。 「僕は君をなんて呼んだらいいかな、さすがに『ミーちゃん』はないよな、名前は?」 「紫苑(シオン)です。」 「紫苑?」 「花言葉が好きだったから…… それで生まれ変わったら名前を紫苑にしようと思っていたの。」 「花言葉?」 「はい、『あなたを忘れない』それが紫苑の花言葉です。」  どのくらいの時間が過ぎたのだろか、あたりは雲の隙間から薄日が差し込み雨はすっかり上がっていた。  紫苑を家に連れて帰るのはいけど親にはなんて説明しよう。「この子、前に家にいた子猫だよ……」そんな話し、誰が信じるものか。もぅこの際だから「紫苑と結婚します」みたいな感じで紹介しちゃうか! まぁ何とかなるだろ。そんな事より、今は紫苑と一緒に居れる時間を大切にしたい、その思いで一杯だよ。 「じゃぁ家に帰ろうか紫苑」  そう言って僕は君の手をギュッと握り家路への一歩、彼女との再出発の一歩を踏み出した。紫苑の手、なんて柔らかいんだろ、それはまるで猫の肉球のように丸みのある心地のよい感触、フニフニだった。 おわり
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