第3話: 虹色に輝くシセルダカラ

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第3話: 虹色に輝くシセルダカラ

 夕立は長くは続かない。しかし、短時間のうちに天からもたらされる雨量は、この地を数分で水没させてしまうほど猛烈なものだ。 「あの二人、川沿いにいただろう。あの時に無理にでも連れて帰れば良かった。とにかく大人たちが探しに行くって、教会に掛け合っているけど、こんな時間だし、あの牧師はきっと首を縦に振らない」 「そんな……」  結局、ファベーラの大人たちは何もできなかった。水没した平地から水が引くまでには一晩かかる。夜の間はファベーラから出ていけないという戒律は絶対だったし、明朝まで待つより他ないという判断で、大人たちは合意した。そして明朝、水が引いた後の北水門近くで、双子の兄妹は発見された。兄のミトは幸いにも一命をとりとめたが、妹のミウは助からなかった。 「なぜこの街に住み続けなければいけないの?」  ライアン牧師による祈りの歌が終わると、静寂を破るようにハグミが声をあげる。 「ハグミ、よせ」  彼女の隣に立つネイサは、横目でハグミをにらみつけたが、牧師は何事もなかったかのように、棺の中で眠るミウの額にそっと手を当て、「安らかに」とつぶやいて聖書を閉じた。開け放たれた教会の入り口から、湿った空気が吹きこみ、ハグミの前髪を揺らした。 「ハグミよ、辛いのは分かる。だれだって辛いさ。私とて同じ想いだよ。だがしかし、この街から出ることは許されない。私たちは神の子なのだから」  ライアン牧師はそういうと、ハグミの前に歩みを進めた。コツン、コツンと木製の床に彼の靴音が鳴り響く。 「なぜ、神はなんの罪もない子供を殺してしまったの?」 「それを運命と呼ぶんだ。運命には誰も逆らないのさ」  ハグミは両手のこぶしを握り締めると、ぎゅっと目を閉じながら、頬を伝う涙を振り払うようにして首を振り、見開いた大きな瞳で牧師をにらんだ。 「運命は受け入れるものじゃない、自分で切り開くものだ」  牧師の頬を透明な涙が伝っていく。やがて彼はハグミから視線をそらし、小さくうなずきながら棺を外に出すよう目くばせした。幾人かの下級生たちは、それを合図にミウの眠る棺を担ぎ、教会の出口に向かっていく。  牧師の涙を見てハグミはもう泣かないと決めた。涙は決して綺麗なものとは限らない。ネイサだって、そう思っているに違いない。二人の感情はどこまでも共鳴しあっている。残酷な現象に涙を流す人のうちに、生々しいほど、高みから見下ろす傾向が潜んでいることを、ハグミもネイサも分かっているのだ。  ミトの体調はその日の夕方にも回復し、教会の医務室からファベーラに戻ることになった。病み上がりのミトを連れて、ハグミとネイサはファベーラへと続くあぜ道を登っていく。 「なあ、学校へ行かないか? あそこにはまだ、ミウがいるような気がしてさ」  重たい空気を少しでも変えようと思ったのだろう。ネイサはそう言うと、小学校へと続く細い道に歩みを変えた。    学校は夏季の長い休みの最中だった。むろん、校舎には誰もいないだろう。ましてや夕刻が迫る時間だ。忍び込むタイミングとしては好機だった。  正門をくぐった三人は、薄暗い学校の廊下を窓から差し込む淡い西陽だけを頼りに進んでいく。壁際には歴代校長の肖像画が飾られ、掲示板には夏休み中の課題などを知らせた数枚のプリントが無造作に画鋲で張り付けられていた。  今日は夕立の気配もない。あれは不定期にやってくるけれども、二日と続かない。そんな安心感もあって、三人の足取りはやや軽くなる。教室の扉を開けると、ほんの少しだけ降り積もった埃が、床の上を転がっていった。    ミウの机は教室の一番前だ。ミトはズボンのポケットから虹色に輝くシセルダカラの貝殻を置くと、ほほを伝う涙を両手でぬぐった。 「夏休みが始まる前、ここでミウとカエルとミツバチの話をしていたんだ。カエルは眠そうな目をしているねって。貝殻探しなんてやめて、早く帰っていればこんなことに……」  ネイサはうつむくミトの背を、そっとさすっていた。 「カエルとミツバチの話……。ねぇ、ミト。今そう言った?」 「図書室にそんな絵本があってさ」 「その本、まだあるかしら」 「きっとあると思う。表紙はボロボロだから、借りていく人なんていないさ」  陽は地平線すれすれまで落ちていたけれども、三人は図書室に向かうことにした。夏休みが始まって、ほんの少しの時間しかたっていないというのに、もう何年も使われていない建物のように、床には埃が降り積もっている。  ハグミは昼休みにミトと図書室で本を読んでいた時のことを思い出していた。春が始まって間もない頃のことだ。読書に夢中になってしまって、昼休みがいつの間にか終わっていることも気づかなかった。図書館で読みきれない本に囲まれていると、不思議な希望に包まれて、心が少し暖かくなる。 「確かここに……。あれ、ないや。おかしいな。あんな本、だれが借りるんだろう」 「これなんだろう……」  本棚を探すミトの横で、ネイサが図書室の入り口に置かれた大きな段ボール箱を指さした。封もされておらず無造作に床に置かれている。ゆっくりと中を開けてみると、積み重ねられた数冊の本が見えた。 「アンソニー先生、夏休みの間に本を入れ替えるのかな。もしかしたらこの中にある?」  薄暗い図書室の中で段ボール箱の中を探すとその本はすぐに見つかった。眠そうなカエルとミツバチが描かれている表紙には、「てんきのもよう」と書かれている。懐かしさに胸が熱くなるハグミはゆっくりとページをめくった。 『眠そうな目をしたカエルは青空を見上げながら言いました』 ――「晴れ模様だね」
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