第4話:見上げた夜空に舞う淡い青十字

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第4話:見上げた夜空に舞う淡い青十字

「すっかり陽が暮れてしまった。早く帰ろう。大人たちに見つかったら大変だ」  ネイサは足音を立てないようにと二人に注意を促し、図書室の扉を開けると足早に廊下を進んでいく。ミウと過ごした教室の角を曲がったその時、ハグミは背筋が凍った。 「アンソニー先生がいる」  そう小声でつぶやいたミトも足が震えていた。この時間に大人に見つかったら、一体どんなことになってしまうのだろうか。 「ライアン牧師もいる……でもなぜ!?」  ハグミは自分でも不思議なくらい冷静だった。廊下の角に身をひそめるネイサも、一瞬だけ驚きはしていたけれど、ひどく動揺している様子はない。  うすうすと気が付いていたのだろう。この地には子供の知らない何かがあることに。あるいはネイサは夕闇迫る校舎で、そのことを確かめたかったのかもしれない。戒律が大事だという神父や大人たちの言葉の裏には、戒律にこそ隠された意味や価値があるということ。こうあってほしい、その切なる願いが子供たちの判断の全てなら、大人たちは信仰の力を盾に、子供たちから自由を奪っているのだ。 「次の介入実験は明日の午前中です。子供たちは、夕立の来る時刻をおおよそ把握できています。なので、今回は異例の事態に対する影響の測定を主な目的としています」  アンソニー先生の声はいつもと変わらない。だがしかし、その言葉の隅々に子供たちの理解を超えた力が宿っている。 「そうか。そこで幾人かの死傷者が出ることはやむをえないだろう。本国も了承済みだろうからね。それと……ハグミといったかな。あの子はミギワの子か?」  声色が違うのは、どちらかと言えばライアン牧師の方だ。否、牧師こそ偽りの姿なのだろう。 「ええ。ハグミ・ミギワ。三年前に失踪したユイ・ミギワの一人娘です。父親はご存知のとおり連邦政府の……。いえ、なんでもありません。ハグミはファベーラでは長老のもとで養われている孤児です」 「あの子は感が鋭い。少し警戒した方が良いかもしれない。念の為、本国には状況を伝えておこう。連邦がどう対応するかはわからんが」 「分かりました。私の方でも気を付けておきます。ところで、研究プロトコールによれば明朝の雨量はこれまで以上だと想定されます。むろん、子供らは水門を閉じることもできません。牧師様はここにお泊り下さい。安全ですから」 「牧師様はやめたまえ、アンソニーくん」  ハグミの横で肩を震わせながら口を押さえていたミトは、あまりの恐怖に耐えられず、小さな声を漏らしてしまった。 「まずい……気づかれた」  ネイサは後ずさりをしながら、開いたままになっている教室へと足を滑り込ませた。ハグミとミトもそれに続く。机の上にはシセルダカラが月明かりに照らされ、淡く虹色に光っていた。 「窓から逃げよう」  ライアンとアンソニーの足音が教室に近づいていることは分かっていた。三人は窓を開けると、その隙間に体をねじ込む。校舎から外に飛び出すと、校庭の端を走り抜け、ファベーラへ続く道を急いだ。 「神に抗うつもりか、子らよ」  ライアンは教室の机の上に置かれた虹色の貝殻を手に取り、それを握りつぶす。あけ放たれた窓から入り込む夜風は、牧師を装う彼の十字架を揺らしていた。 「ハグミっ、ネイサっ、それにミトまで……。貴様らはどこに言ってたんだっ!!」  長老が怒るのも無理はない。戒律違反なのだ。しかし、今は素直に怒られている状況ではない。 「明日の明朝、夕立が来ます。絶対にファベーラを離れないでください。長老、子供たちにも伝えてください。どうかお願いします」  ハグミは深く頭を下げると、首をもたげ長老の鋭い瞳をじっと見つめた。状況を察したか、彼女の真剣なまなざしを前にした長老は、ミトに向かって「大人たちを広場に」と叫んだ。 「ここはまかせんしゃい。いずれこの時が来るやもしれぬと、覚悟だけはしていたが、さすがミギワの子じゃ。この世界から羽ばたけ少女よ」  そう言った長老は、ハグミの隣にたたずむネイサを指さすと、さらに語気を荒げて続けた。 「ネイサ、お前はハグミをなんとしても助けろ。良いか、今からすべての水門を閉じるのは至難の業じゃ。だがしかし、教会の二階に行けば何か手は打てるかもしれん。どれだけ夜が明けようとも、われわれは神に守られしファベーラの民。だがしかし、その神に抗うというのなら、それもまた小気味よい」  長老に送り出されたハグミとネイサは、ファベーラの坂を一気に下り、教会へと急いだ。幸いにも月明かりが二人の行き先を照らしてくれた。  教会の扉は鍵もかけられておらず、簡単に開いてしまった。主のいない建物はひっそりと静まり返っている。教会の二階はご神体が祭られていると聞いたことがあったけれども、牧師以外に入ることを許された街人はいない。ハグミは禁じられた階段を駆け上がると、つきあたりドアの前に立った。  ネイサがそっとドアを開けると、二人の前に飛び込んできた景色は異様だった。床は配線コードにまみれ、壁に並んだモニターがこの街のあらゆる場所を映し出している。巨大なコンソールには何かの無線設備があるのだろうか。断続的なノイズが漏れていた。 「これは……」  ネイサはコンソール脇に置かれた書類の束を手に取る。その表紙には「気象管理システム稼働実験報告書」と書かれており、ハグミも良く知る名前が記載されていた。 ――アザニア連邦共和国科学院 気象管理センター主任研究員 アンソニー・フレッド  その下にはアザニア連邦共和国の国旗であろうか。白地に淡い青の十字が描かれていた。 「ネイサ、何の音?」  コンソールから漏れ出ている断続的なノイズ音に紛れて、空気を震わすような振動が徐々に大きくなっている。 「外だ。ハグミ、窓の外を見て」  教会の窓を開け放つハグミの視界に飛び込んできたのは、夜闇に浮かび上がる赤い点滅と、神の住まう塔。しかし、その点滅とは明らかに違う赤色灯の光が徐々に大きくなってくるのが分かる。 「まっ黒な鳥……あれが神?」 「いや、あれは神なんかじゃない。もっと恐ろしいものだ」  ネイサの青い瞳は、こちらに迫る巨大な飛行物をにらむ。むろん、それは巨大な鳥などではない。真っ黒な機体には巨大なプロペラが高速回転している。その胴体部には白地に淡い青の十字が刻まれていた。
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