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僕は反射的に頭を押さえてうずくまった。手のひらに血の感触があった。
「貴様は俺たちを笑わそうとしてるのか。それとも舐めてるのか。真面目に答えないと、ストレッチャーの負傷者がもっと痛い目に遭うぞ」
指揮官らしき軍人は部下の兵士に目配せした。部下の兵士は腰に差した軍用ナイフを抜くと、無造作にパルジェの傷口を切りつけた。
パルジェは眼を見開き、全身を痙攣させて苦痛の叫び声をあげた。
「ノー! 死んじゃう!」
僕はそいつのナイフをもぎ取りたかったが、AK47自動小銃を突きつけられて一歩も動けなかった。「僕は日本人です。彼は大事な友達だから助けて」
「なに、日本人?」上官は軍用ナイフの兵を制しながら、僕をじっとのぞきこんだ。「身分証明書と通行証をみせろ。抵抗したら射殺する」
四挺の銃が僕に狙いをつける。僕はポシェットを肩から外し、指揮官に渡した。指揮官はポシェットを逆さまにして中身をぶちまけた。
IDカードケース、財布、ケータイ電話機、スナック菓子、モルヒネの壜、フェイスタオル、ティッシュ、採掘したペリドット原石などがぱらぱらと落ちていく。
指揮官はカードケースを拾いあげると、中身の確認をはじめた。IDカードには、僕の顔写真のほかに国籍、現住所、認証登録番号、通学先の日本人学校名、血液型などが英語とミャンガラマ語で記されている。QRコードにアクセスすれば、もっと詳細なデータが閲覧できることになっていた。
「テイン二等兵、この少年の持ち物を回収しろ」指揮官は部下に命令すると僕に向き直った。「コ・オオクラ・マクル。君を拘束する」
僕は後ろ手に手錠をかけられると、トラックの運転席の後部座席に乗るように命じられた。
ストレッチャーに横たわっていたパルジェが顔を横に向けた。
「マクルが日本人でよかったよ。国軍も日本人には寛大だから。今までありがとう。ここでさよならだね」
「パルジェも病院へ行こう」
「だめだめ」友達はかすかに首を横にふった。「おれみたいなクアラン族に、ミャンガラマの国籍はないんだよ」
クアラン族は五十年間に渡って迫害されてきた少数派民族だった。宗教上の対立がその根源にあるとされているが、詳しいことは僕もよくわからない。ミャンガラマ国内にクアラン州がありながら、彼等は正式に国民扱いされていないのだ。ミャンガラマ政府の武力干渉に対して、クアラン族も武装して抵抗運動を繰り返してきた。ただここ数年は、国内の穏健民主派が政権を掌握したことにより、和平と停戦がもたらされていた。
ただ、はっきりしているのは、僕とパルジェが親友同士だということ。戦闘は関係ない。
「おい、さっさと乗れ」
銃口が僕を小突く。
「あの、友達を病院に運んで下さい、お願いします!」
僕は指揮官に頭を下げた。
指揮官は冷酷な目つきでストレッチャーを見下ろした。
「クアラン族は反政府組織だからそんなことはできないが、日本人の友人ということで処刑は免除してやる。だが、彼はここに置いていく。それだけだ。わかったら、早く乗れ。さもないと胡乱な闖入者として、君を殺す」
「・・・」
僕は軍用トラックの後部座席に腰をおろした。
汗臭い兵士が僕の横に座った。
窓越しに血まみれのパルジェが見えた。せめて、彼にモルヒネを!
僕は指揮官に懇願した。指揮官は薄気味悪く笑った。
「いいだろ。俺もそれほど鬼ではない。だが薬が切れれば地獄の苦しみだぞ」
僕は心の中で叫んだ。
また来る。必ず戻ってくる。だから、さよならは言わない!
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