ちっぽけな存在

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 蒸し風呂状態の車内に、フル回転させたエアコンが効き始めるのは、もう少しかかるはず。  この車は、親父のお下がりの年代モノ。  学生時代に譲り受けて、走行距離はもうすぐ20万キロ。だが、まだまだ現役。  社会人になってから、他の車に乗り換えられなくもなかったが、付き合いの長いコイツを手放したくない気持ちの方が大きかった。  ボルボの240エステート。  四角い形が特徴なステーションワゴン。  親父が若い頃のサーファー連中に、人気が高かったタイプの車種らしい。  だが、残念なことに、車体は無難なホワイトなのに、内装のシートが特注の赤い総革張りで、完全に親父の趣味の仕様だった。  この悪目立ちするシートが恥ずかしくて、譲り受けたばかりの頃は、女の子を乗せることを避けていたくらいだ。  そんなエステートとも、もう8年の付き合いになる。  車内が涼しくなるまでの間、頭から被ったタオルで雨と汗を拭きながら、彼女の言葉に相槌を打った。  この海岸から少し行ったところに子どもの頃から住んでいることや、あのイヤリングは病気で亡くしたお母さんの大切な形見だという話を、一言一言、慎重に言葉を選びながら話してくれた。  だが、まだ心を開いていないからか、全く視線を合わそうとしない。  こんなに狭い車内なのに、まるで、運転席と助手席の間を隔てる薄い壁が存在しているかのようだった。 「お母さんの形見のイヤリングなら、必ず見つけないとね!」  車内に充満する重苦しい空気を変えようと、笑みを浮かべながら明るく言葉を掛けてみたものの、彼女からは「そうですね」と、いまいち感情の読めない言葉が返ってきただけだった。  俺は彼女の話を聞きながら、この真っ赤なシートに、初めて女の子を乗せたときの、腹の底にピリっと感じるような緊張感を思い出していた――。
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