洋食店のソーダ水

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 そのとき、彼女の前にソーダ水が置かれる。  透明感のある濃い緑の泡が、シュワシュワと音を立ててグラスの中を弾け回っている。  ソーダの中を泳ぐ輪切りレモンの黄色と、チェリーの赤が、鮮やかでポップだ。  彼女はグラスを自分の方に引き寄せ、「お先に」と言って、ストローに口をつけた。  白と青のストライプを緑色が上っていく。  それからカランと小さく氷が鳴った。 「お待たせいたしました」  店員の子の声で、ハッと我に返る。  目の前に差し出された30cmはありそうな巨大ハンバーグが、鉄板の上でジュージューと美味そうな音と湯気をたてている。  それにつられたかのように、腹が鳴った。  上に乗っかった分厚いチェダーチーズが、ハンバーグと同化しながら、じわじわとゆっくり溶けていく。たまらない。  ひとまず、腹を満たすか――。 「熱くなって⋯⋯おり、ますので、お気を付けてください」  まるで、習いたての日本語を懸命に話そうとする外国留学生みたいだ。  初めは「この子で大丈夫だろうか」と心配だったが、奮闘するその姿にいつの間にか「頑張れ」と心の中でエールを送っていた。 ――たぶん、俺も同じだったんだ。  家族や友達や地元の人たちは、渚を失って別人のように変わってしまった俺を心配して、励ましのエールを送り続けてくれた。  だがそれらの思いに真正面から向き合う心の余裕など、あの頃の俺にはなかった。  体の殻を抜け出した魂が、死んだ渚の元へ向かおうとしていたからだと思う。  相手の気持ちを想像できるかできないかは、人生において天と地ほどの差があることも、今なら痛いほど分かる。
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