オフショアの潮風

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 車から外に出た瞬間、湿度を帯びた空気が、肌にモワッとまとわりついてくる。  その湿気を含んだ重たい風が、徐々に温度を上げ始めていることは、背中や首筋の表面がじっとりと汗ばむ感覚で分かる。  陸から吹く強めの風が、背中を押す。  オフショアの風だ。  そこまでは、経験則の範囲内。  だが、俺の想像の範疇の遥か上をゆく目の前に広がる景色に、思わず言葉を失くす。  おそらく、サーフィンをやっている人間なら、誰もが歓喜するほどのいい状態の波が、ひっきりなしに押し寄せているのだ。  しかし、何かがおかしい。  どこにも人影が見えないないなんて。  こんなに良いポイントを、地元の奴らが見落とすはずがない――。  「ここね、秘密の場所なの」   レイカは小悪魔みたいに悪戯(いたずら)っぽく微笑んで、ウインクして見せた。  初めて会った時とは別人のようなレイカのフランクな態度に、ただ、うろたえ戸惑う。  どことなく渚の仕草にも似ている。  渚とレイカの姿が、脳内で交差する。  二人が重なり、混じり合う。  激しく揺さぶられる心を隠すために、へぇ、と、ありきたりな返事をするのが精一杯だった。  素のレイカはどちらなのか。  これが本当のレイカならば、俺の中に残る渚の気配を彼女に投影して、一緒にいたいと思い込んでいるだけなのかもしれない。  レイカは堤防に立て掛けてあった、鮮やかな黄色のロングボードを脇に抱えると、そのまま躊躇(ちゅうちょ)なく海へ入って行く。  その姿は、まるで故郷の海へと帰っていく、人魚のようだった。  その背景に輝く、だんだんと明るくなり始めた空と、その色に染まっていく波たち。  何色ものアクリル絵の具を塗リ重ねたような繊細な色使いは、何度見ても心を打たれる。  自分のショートボードを車から降ろすと、砂浜に置いてその上に腰をかけた。  砂浜から、波のサイズや、崩れ方、カレント(潮の流れ)の確認をする。  あとは波がどれくらいの間隔でブレイクしているのかも重要。  朝日に照らされてキラキラと輝く波を、イルカのように縫って進んでいくレイカ。  安定したスムーズなパドリング。  みるみるうちに、遠くなっていく。  レイカのその姿に静かな衝撃を受けていた。  俺の中にくすぶっていた熱い血が騒ぎ始め、心臓が激しい波のように打ち始める。
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