ちっぽけな存在

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 果てしなく続く水平線は、「おまえはちっぽけな存在だ」と言い切ってくれる。  久々に、その感覚がした。   仕事や生活で心に余裕がないと、身の回りの物事を当然のように扱ってしまうことは、俺だけではなく、誰しもあるだろう。  自然に逆う技術を手に入れた人間が、まるで万能であるかのように、勘違いしてみたり。  人間とは本来、強欲で身勝手な生き物だ。  表皮(ひょうひ)で媚を売り、真皮(しんぴ)で非難をする。  しかしそんな思い上がりを抱いた人間も、海に入った途端、焼けた鉄が水蒸気を上げて一気に冷えるように、自分に興醒めする。  そんなとき、いかに自分が小さな存在であるかということを、嫌というほどに自覚させられるんだ。 「思い上がってはいけない。周りの人と環境に支えてもらっていることを決して忘れるな。海に入らせてもらうときは、自分に過信せず、常に海に謙虚でなければならない」と、いつも父が言っていたのを思い出す。  だから、幼い頃には、たびたび海に叱られに来ていたのに――。  サーフィンの技術が上がっていくにつれ、己の傲慢さや心の弱さに負けて、感情に流されることが増えていった。  それに比例するように、子供の頃に感じられていた海からの叱咤の声が、一切、聴こえなくなってしまった。  しかも、そのことに気付こうとする気持ちすらも、俺の中には残っていなかった。   目を閉じて、全身に風を受ける。  潮風を肺の中へできるだけ多く送り込むと、器官を通り抜けて末端神経の隅々にまで、懐かしい感覚が駆け抜けていった。  そうだった。  海は母親のように、「いつでも帰っておいで」と、大きく手を広げてくれていたのに。  俺の方が向き合えなくなった。  心の大部分を破損していた。孤独だった。  まるで思春期の不安定さのように、本来安心できるはずの「家」が、息苦しい場所に様変わりしてしまった。
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