ちっぽけな存在

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 再び、ゆっくりとまぶたを開く。  どこまでも続く、空と海だけの世界。  不思議と体内に沈殿していた不純物が風に洗われて、心が穏やかに、(たい)らかになっていくような気がした。  心做しか、海のブルーはより鮮やかに、空は透明感が増したようにも感じられる。  そうだった。  以前は、こんな色をしていたんだ。  古い記憶のページを懐かしむように捲る。  五感で感じようとする心を閉ざしたから、景色がくすんだ色に見えていただけで。  さっきまで水平線に鎮座していた蜃気楼は、いつの間にか姿を消していた。  まさに、見る者の心を映す儚い幻。  もう、そろそろ戻るか――。  そのとき、砂浜にいた人物の動きが、視野の片隅に入る。その服装からして、サーファーではなさそうだ。 ――もしも、海岸で散歩するだけの人なら、あまり気に留めることもせず、すぐに目を逸らしただろう。  だが、その人は砂浜を歩き続けていた。  しかもさっきから同じ辺りをグルグルと。  その動きに違和感を感じて、何をしているのかと目を凝らしてみたが、この場所からは遠すぎてイマイチよく分からない。  肝心の顔までは見えないが、風に揺れる長い黒髪が、女性だということを教えてくれる。  白いロングワンピースを手でたくし上げている裾から、スラッと細い足を覗かせている。  時々、砂に手を伸ばしては、拾い上げた物をしげしげと見つめて、また歩き出す。  まるで、ネジを巻かれた、からくり時計の人形みたいな動きをしている。 ――探し物をしているのだろうか。  こんなに太陽が強く照りつける時間に。   ようやく見えた横顔は、思い詰めたように歪んでいた。どうやら相当困っているらしい。  この過酷な暑さの中で、帽子も被らずに、砂浜に落としたものを長時間探し続けるなんて、あまりに危険で無謀だ。  海の暑さに慣れている人間でも、30分もあの状態を続けていれば、確実にめまいや足のふらつきを感じるだろう。  気付けば無意識に体が動いて、堤防から砂浜へ降りると、その女性の方へ向かっていた。 
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